【特集:科学技術と社会的課題】
大澤 博隆:人工的エージェント研究から、物語応用の研究へ ──SF的想像力の展開
2024/08/05
2. 物語の歴史とその役割の変容
HAI研究と物語研究の接点を示したが、人類における物語の位置づけ自体も、情報技術の発達に伴って変容しつつある。特に、生成AIを中心とした人工知能技術と、サイエンスフィクション(SF)に関係する文芸分野が、この発展を促している。
人類史において、想像力を元に虚構を扱う力は、人類文化の大きな発展の要因であったと考えられている。社会の結束、文化の伝承、個人や集団のアイデンティティ形成、さらには問題解決や創造性の促進など、様々な側面で人間の想像力が貢献してきた。文学研究者のBrian Boydは、物語がどのようにして人間の認知発達に不可欠な要素となったかを論じ、物語が情報の伝達、社会的なルールや価値観の共有、そして集団内での連帯感の醸成に重要な役割を果たしてきたことを示している。近代以降、こうした人類における虚構を扱う想像力は、物語を軸とした産業構造の形で整備された。特に、科学技術を扱うサイエンスフィクション(SF)は、こうした時代に誕生した科学技術と社会のあり方を探るジャンルとして誕生した。
SFは、科学への憧憬と厳しい自己批判を繰り返しながら、文学の1ジャンルにとどまらず、社会設計に対して様々な影響をもたらしてきた。人文学においても、複数の関連影響が見られる。SFは科学コミュニケーションの道具として使われ、未来学のように、複数の学問をつなぎ未来を議論する糧となった。かつては科学プロパガンダと呼ばれ、現在はSTEAM(Science,Technology,Engineering,Art and Mathematics)教育といった分野においても、SFのもたらす想像力は教育上の大きな支援となる。経営学においては、シナリオを用いた未来予測の試みが未来洞察などの分野で行われてきた。また昨今では、作品そのものではなく、作品を制作する過程を作家と専門家で共有し、企業経営や教育に対して新しいビジョンを得る「SFプロトタイピング」などの試みも誕生してきている。また、クリティカルデザインやスペキュラティブアートのように、SFの批評的態度、批判精神を継ぎ、問題提起を主要分野とするアート分野も登場してきた。
SFプロトタイピングは特に、新しい物語の応用のトレンドと言える。これは、かつてSFが期待されてきた「未来を予見するSF」という枠組みを、遥かに広い範囲で拡張したものである。SFプロトタイピングは必ずしも未来を予測しない。これは、SF小説が単に未来予測小説でないのと同様である。しかし、SFは現在ある知見や技術や、人々の価値観、そして未来に対する複数のビジョンを結びつけ、あり得る可能性について物語の形で人々に提供することはできる。そして、人々はその物語を鑑賞し、場合によってはそれを批判的に検討し、さらに場合によってはその作成過程に関わることで、結果として未来に対するより深い視点を持ち、ビジョンを作り上げることができる。SFはこうした形で、結果として未来のビジョン作成に貢献し、結果として一部のSF作品は「未来を予見した」という名誉を(有り難いかどうかは別として)受けることになる。こうした試みを、意図的に企業内で起こすのが、SFプロトタイピングであると言える。
SFが最も効果をもたらす領域の1つが、科学技術によって人間が拡張され、人間の価値観が転換する時代におけるシミュレーショナルな視点の導入である。こうした未来における人類のあり方は、「ポストヒューマン(人類以後)」というテーマとして扱われている。20世紀後半から登場した科学技術、特に情報技術によって、現在、想像力の生み出す物語、そして人間のあり方は大きく揺さぶられている。インターネット技術やソーシャルメディアによって、誰もが自身でコンテンツを作ることのできる時代になり、金銭的なフィードバックだけでなく、他者の評価によって物語自身が生み出される環境が整った。これはある意味ではコミュニケーションとしての物語の復権である。また2010年代から登場した生成AI技術によって、自身の作品が学習に使用される一部の創作者たちの大きな反発を受けながらも、創作スキルのあり方はより民主化されていくことが期待されている。一方で、人口減やコンテンツ環境の変化による出版業態の構造の変化から、作家たち自身も、物語のあり方として、科学技術が生まれる現場に物語の方法論を持ち込んでいる。人類社会が情報技術によって抜本的に強化され、我々自身の知性のあり方が拡張されるポストヒューマニティ時代の社会において、人間の想像力に対する研究は従来以上に越境した形で捉えられる必要があると考える。
2024年8月号
【特集:科学技術と社会的課題】
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