【特集:科学技術と社会的課題】
見上 公一:科学技術の倫理的・法的・社会的課題──科学史の視座から考えるその曖昧さ
2024/08/05
「科学技術の倫理的・法的・社会的課題」という課題
科学技術の研究開発を進める上で、その倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues, ELSI)についても併せて検討を行うことを求める傾向が近年強まっている。例えば、政府が主導する大型研究開発事業のムーンショット型研究開発制度においても、研究目標を横断する支援体制が整備され、ELSIの検討が進められている。
しかし、そのようなELSIの検討は、必ずしもうまくいっているとは言えない状況がある。それがどのようになされるべきかという方法の問題に加えて、その成果がどのような形で科学技術の研究開発に影響を与えるべきかという目的の問題についても、誰もが納得するような明確な答えはまだ出ていない。結果として、人文・社会科学の研究者のより一層の関与が求められる一方で、そのことによって研究開発に遅れが生じることを科学者たちが懸念するという、双方にとって不幸な歪みが生じることも珍しくない。
そもそも科学技術の研究開発を進める上でそのELSIの検討を同時に進めていくというスタイルが初めて実現されたのは、1990年にアメリカで開始したヒトゲノム計画であった。そしてそれが日本の科学技術政策の根幹を成す科学技術基本計画に登場するのは、ヒトゲノム計画の終了後に策定された第3期(2006年〜2010年)のことである。一般的に、私たちが理解する科学の基盤が確立されたと言われるのは17世紀であり、その歴史に比べたならば、それはごく最近の出来事でしかない。しかし、逆の見方をすれば、この30年程の短い間に科学技術の持つ意味合いが変わったとも捉えられる。
科学技術のELSIの検討が何のために、そしてどのようになされるべきかを議論する上で、今一度科学の歴史を振り返ってみることも重要ではないだろうか。
科学史から見る科学の発展と社会の関係
科学の歴史に関心が寄せられ、それが科学史という1つの学問分野として成立するのは、20世紀に入ってからのことであった。ガリレオやニュートンに代表されるように、17世紀に実験や数学を用いて自然に秘められた法則を明らかにすることが目指されるようになり、科学の礎が築かれた。その後、産業革命を経て、科学が新しい技術を生み出すという認識が強まったことで、科学と社会の関係は密接なものになっていく。近代国家において政府が自国の繁栄のために科学研究の振興を行うようになったのは、19世紀後半のことである。そして20世紀に入る頃には、科学の発展は人間文明の発展と重ねて捉えられるようになった。そして、これこそが科学史が体系化された背景である。つまり、人間文明の歴史を記述することを目指した学問分野として、科学史は登場したのである。
しかし、20世紀を通じて見えてきた科学の姿は、人間文明の輝かしい発展を示しているとは言えないものであった。20世紀初頭に起きた第1次世界大戦では、化学の力が毒ガス兵器の開発に向けられた。また、生物学でもフランシス・ゴルトンが従兄弟であるダーウィンの進化論を受けて提唱した優生学が、経済状況の悪化に伴って優生思想として広く支持されるようになり、差別的な政策を生み出した。そして、第2次世界大戦が始まる頃に発見された核分裂という現象は、原子爆弾として応用されることになった。使い方を間違えれば、科学は人間文明に大きな影を落とすということが、理解されるようになったのである。
もし私たちの科学についての理解が20世紀前半で止まっていたならば、科学そしてそれが生み出す技術には負の側面があり、その使い方を誤ってはならないという教訓にとどまっていたかもしれない。しかし、さらに時が下る中で話はそう単純ではないことが明らかになっていく。レイチェル・カーソンが著書『沈黙の春』で警鐘を鳴らしたのは、人間の生活を便利にすべく用いられていた農薬が、同時に自然環境に大きな被害をもたらしているという事実についてであり、核分裂の「良い使い方」であるはずの原子力発電所も事故が起きれば周囲を巻き込んだ大惨事になるという危険性についてであった。さらに、世界に先駆けてイギリスで体外受精が成功した際には、技術が提示する新たな可能性を、社会にとって望ましいと考える人とそうではない人の間に大きな隔たりがあることも明らかになった。
このように20世紀後半に見えてきた科学の姿は、人間文明が持続的な発展を遂げる上で向き合わなくてはならない深刻な課題を突きつける存在であった。「良い使い方」と「悪い使い方」の区別は曖昧であり、だからこそ慎重な議論を重ね、社会として最善の決断をしていかなくてはならない。20世紀末にヒトゲノム計画でなされることになったELSIの検討は、まさにそれを実現するための1つの試みとして位置付けることができる。
2024年8月号
【特集:科学技術と社会的課題】
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見上 公一(みかみ こういち)
慶應義塾大学理工学部外国語・総合教育教室准教授