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【特集:エンタメビジネスの未来】
中山淳雄:"推し"が牽引するエンタメビジネス──消費者から表現者へという「確変」

2024/04/05

近代の発明品「消費者」が「表現者」へ確変──YOASOBI「アイドル」のヒットからみるUGC効果

思えば「消費者」そのものが近代の発明品でもある。世界で最初のデパートであるフランスのボン・マルシェが開店したのが1838年。当時は生活必需品以外の奢侈品を一般的な人々が購入することなどなかった。それ以前は、芸術やアートなどのぜいたく品のユーザーは主に貴族であり、彼らの邸宅に行商人として伺い、全てがテーラーメードでモノやサービスをクローズドな空間で提供していった。だがボン・マルシェは「ショーケース」で店頭に手袋やマフラーといった商品を並べ、「定価販売」で価格も明示したうえで誰もが土足で入って商品を眺めることで消費を刺激するようになる。同じことが日本でも始まるのは1880年代、それまでは店頭に看板もなく値段も明示されず掛け売りを基本とする信用商売だったものが、徐々に商品陳列方式へと変わる。そうなると「買うものを特に決めずに店先をウィンドウショッピングする消費者」が登場するようになる*3。1911年に日比谷に帝国劇場が作られ、1914年に日本橋三越が設立されると、「今日は三越、明日は帝劇」と日本中が消費を謳歌していく。

「消費者」が生まれ普及してから、すでに100年超もの時間が経った。“推し”の社会的ムーブメントに現れた諸現象が示しているのは、その受動的で静的な消費者という概念そのものがもはや古いものとなり、より能動的でダイナミックな消費者~表現者の間をさまよう存在になっていくという変化なのではないだろうか。

「流行」を誰が創るのかという点でも象徴的な転換点とも言える事例がある。2023年にYOASOBIの「アイドル」がJ - POPとしては初めて「Billboard Global Excl.US(米国を除いたグローバルランキング)」で世界1位を獲得した。この楽曲はアニメ『推しの子』のオープニング曲に採用され、アニメが放送・配信されていた2023年4-6月の3カ月の間ずっと日本の楽曲のトップであり続け、結果的には「日本レコード大賞(特別国際音楽賞)」や「Spotify 国内で最も再生された楽曲1位」など合計77冠を総ナメするような状態であった。

だがこの楽曲を「流行させた」のは楽曲の力なのか、歌唱の力なのか、アニメ『推しの子』の力なのだろうか。実はリリース後3カ月の間にAyaseのYouTubeチャンネルで公式にあげられた1曲が約1億回再生されたのだが、この期間に約1000人ものクリエイターがそれぞれのチャンネルで「アイドルを歌ってみた」と自分なりにアレンジして歌ったり踊ったりした動画をアップし、それもまた合計で約1億回再生されていたのだ[図2]。こうした“サブクリエイター”たちが1人あたり10万回再生されていたことになり、YOASOBIのプロデューサーたちから出てきた言葉としてはこうしたUGC(ユーザージェネレイテッドコンテンツ)による切り抜きや再編、私が定義するところの「Remixer」部分を誘発したことが勝因の大きな部分であったという。なぜならその1000人こそが本来のYOASOBI自体のファンではない、外の層を惹きこむ「拡散」役割を担っていたからだ。

図2 YouTube におけるYOASOBI「アイドル」の「歌ってみた」「踊ってみた」動画投稿人視聴回数
YouTubeデータよりこちら徒然研究室(仮称)作成の図を元に作図。「YOASOBI アイドル 歌ってみた」「踊ってみた」でそれぞれ検索して表示される動画が対象。「両方」には両方に出現する動画。重複は排除している。公式動画は除く。2023年6月12日筆者作成

この本来は「視聴者」でしかないはずのユーザー自身が、自ら「編集者」「クリエイター」であるかのようにふるまう、SNSでのアップロードカルチャーはまさに100年かけて浸透してきた供給者/消費者の対置関係を大きく揺るがす事態であった。別に彼らはお金をもらって販促活動しているわけではない。自分の身近な数百人・数千人に面白いものを届けようと、利害関係なくただ流行「しそうなもの」を真似して歌ってみた・踊ってみたをしてみた・・・・だけであり、その行為がホンモノが広がっていく補助輪となって本当に流行を創っていってしまう。ここ5、6年かけて人々が「推し活」として温め続けてきた活動は、この楽曲「アイドル」の2023年の全世界を席巻する大流行という大円団をもって、「消費者の確変」の象徴的な事例だと私は感じた。

売りたいものではなく、ユーザーが見たいもの知りたいもの推したいものを提供するという「透明性」

それでは消費者がどうやってミキサーやビルダー、推し活ファンに変貌してくれるのだろうか。実はこのUGCが流行の根幹を握るようになって、これまでビジネスを行ってきた人々は今迷宮の中に迷い込み始めている。有名な監督と俳優、日本を代表するクリエイターが作り出したMVでテレビ番組・ラジオ番組・雑誌をジャックしながら広げていく「大手企業の必勝パターン」はどんどん効果を弱めている。ヒットさせようと、プロデューサー同士が手を組んで、完璧な座組で仕上げていった映画や音楽、ゲームやアニメに、ユーザーが全く興味関心を示さない、といった事例は、上記のYOASOBI事例とは対照的なものとして増え続けている。「ヒットの法則」がどんどんユーザー自身の手にゆだねられるようになると、逆に何をしていいか、作り手側が暗中模索になってきている。

“消費/購買”は牽引できても、“推し”は牽引しようとすればするほど手から離れていくものだ。紅白歌合戦はあらかじめ芸能事務所ごとに枠が決まっていて、売り込みたいアイドル・歌い手を各社が当て嵌めるだけ。起用される女優は、その役柄に合っている合っていないにかかわらず、事務所の強さや意思決定者の手心で決まってくる。こうした「実質的でない動き」はSNS社会でボロボロと表に出てくるようになった。作品の質を高めることを阻害するような行為であっても必要悪として肯定されているのは、「作品の質」が勝因にはならないという、どこかでユーザーを舐めた提供の仕方が横行していたからだろう。

実は簡単な話で、ユーザーが“推したくなる”ものは、正しくユーザーが推した成果が反映される透明性の高いプロセスをもつものだ。AKB48の選挙であれだけCDの枚数を重ねて投票したのは、自分の一票が明確にその結果に跳ね返っていることが分かるからだ。いまではその寡占性が問題になっているAmazonが20年前にどんどん人気を博していったのは出版社側の理屈でレビューが消されることなく、良いものも悪いものもユーザー自身が声をあげたものがそのまま反映されたからだ。当時どんどんAmazonに駆逐されていったバーンズ&ノーブルの書籍検索エンジンは「最高額を支払った出版社の書籍がトップに来る」仕組みだった。ユーザーの嗜好も人気も関係なく、ただひたすらにビジネス慣行における勝利者のみを優先した偏ったランキングで、自分たちが知りたいもの見たいものではなく、売りたいものが前面に出されていた*4

売りたいものではなくユーザーが知りたいもの見たいものを提供し、ユーザーが推した成果がきちんとフィードバックされていく。そう考えてみると、なんとまっとうな世界になったことだろう。「供給者/消費者」の間に大きな壁をつくっていた20世紀のマスプロダクション・マスディストリビューションの仕組みも、今となっては過渡期に過ぎなかったと思える。「推し」というユーザーの参加行動を誘発できる、ユーザーに選ばれるものが、次のエンターテインメントの中心を担うものになっていくのだ。

〈注〉

*1 https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/casestudy/00012/00838/

*2 https://woman-type.jp/academia/discover-career/data/vol-75/

*3 初田亨『百貨店の誕生』1993、三省堂

*4 Tim O’Reilly(著)、山形浩生(翻訳)『WTF経済──絶望または驚異の未来と我々の選択』2019、オライリージャパン

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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