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【特集:コロナ後の医療政策】
座談会:パンデミックを経て日本の医療は変わるのか

2023/07/05

  • 鈴木 康裕(すずき やすひろ)

    国際医療福祉大学学長
    塾員(1984医)。医学博士。大学卒業後厚生省(当時)入省。世界保健機関(WHO)事務局長補、厚生労働省保険局長等を経て2017~20年厚生労働医務技監。21年国際医療福祉大学副学長。22年より現職。

  • 土居 丈朗(どい たけろう)

    慶應義塾大学経済学部教授
    1993年大阪大学経済学部卒業。99年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。特選塾員。慶應義塾大学経済学部専任講師、准教授を経て2009年より現職。専門は公共経済学、財政学。

  • 春田 淳志(はるた じゅんじ)

    慶應義塾大学医学部医学教育統轄センター教授
    2004年旭川医科大学卒業。15年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。博士(医学)。日本プライマリ・ケア学会認定家庭医療指導医。地域の市中病院で総合診療医を担い、20年准教授を経て、23年より現職。

  • 秋山 美紀(あきやま みき)

    慶應義塾大学環境情報学部教授
    塾員(1991政、2005政・メ博)。2017年より現職。博士(医学)、博士(政策・メディア)。専門は公衆衛生、ヘルスコミュニケーション。19~23年厚生労働省中央社会保険医療協議会公益委員。

  • 中村 洋(司会)(なかむら ひろし)

    慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授
    1988年一橋大学経済学部卒業。96年スタンフォード大学博士課程修了。Ph.D.(経済学)。2005年より現職。専門は産業組織論、経営戦略。17~23年厚生労働省中央社会保険医療協議会公益委員。

新型コロナ対策の問題点、評価すべき点

中村 日本のみならず世界中が3年あまりの「コロナ禍」を過ごしたわけですが、その間、様々な医療体制・医療政策に対する指摘や問題点もあり、またそこから学んだことも多かったと思います。今日はそれぞれの分野の専門家の方にお集まりいただき、コロナ禍を経てのこれからの医療政策・医療体制のあり方について考えていきたいと思います。

最初に、見えてきた課題と、日本の医療のあり方が比較的よかった点をお伺いしたいと思います。鈴木さんからいかがでしょうか。

鈴木 私は3年前に厚生労働省医務技監として引退したのですが、その年の1月に新型コロナが流行し始めたので、最初の半年間ぐらい対応を担当させていただきました。その時期は、当然ですがワクチンもないし、治療薬もない。病気の本質もよくわかっておらず、非常に大変でした。特にその時に私が課題だと思ったことがいくつかあります。

1つは「平時と有事の切り替え」です。日本は、平時は地方分権で、それぞれの地方の特色を生かしてしっかり医療をやっておられますが、有事に一定の号令一下、パッと国全体がまとまるということになかなか対応できない。

特に私が課題だと思ったのは、重症者の定義が国と東京都で違っていたことです。重症者数の比較をする際、東京都だけ違う基準になっている。もちろんいろいろご意見はあるとは思いますが、やはり有事には、症例の定義などは揃えていかないといけないし、国全体として対応していくことに共通性がないといけないと思いました。

2つ目は、保健所に代表される公衆衛生の機能です。結核が相当克服され、感染症もごく限られたものしか基本的には対応しないということで、どんどん機能が縮小されてきたわけです。しかし、このようなパンデミックが起こった時に保健所は限られた人数と限られたキャパシティだと当然限られたことしかできない。

今回のコロナでは症例の発見から、患者の移動、病院の特定から検査など、全部保健所がやらなければいけないという建て付けだったので大変なことになりました。パンデミックの時、例えばアプリを使うとか、他の機関に依頼するとか、民間の機関にやってもらって保健所は全体を見るようなやり方にしないといけない、と思いました。

最後にサプライチェーンの問題です。覚えておられると思いますが、最初の半年ぐらい、マスクがない、医療用手袋がないという事態が起こりました。費用対効果の点では安くて丈夫なものはやはり輸入品です。しかし世界的なパンデミック下では工場が止まったり、国外になかなか品物を出さないということになる。

そうすると輸入は途絶えてしまい、需給ギャップが生じてすごく品薄になってしまう。これは、石油のような戦略物質として医療に必要なものを一定の備蓄をするとか、何かあった時に最低限は作れるように日本国内の業者を支援するようなプランBをちゃんと持っておかないと3年前のようなことが起こってしまう。そういうところはやはり反省すべきかと思います。

中村 日本の政策で評価すべき点はいかがでしょうか。

鈴木 人口当たりの死亡者数を見ると、日本はアメリカやイギリスの5分の1ぐらいなのです。これはいろいろな理由の複合だと私は思っています。1つの仮説は、通常われわれがいままで冬にかかっている風邪の3分の1ぐらいがコロナウイルスだったということです。Covid-19とは違うコロナですが、東アジアではそれが結構流行っていて、日本人を含む東アジアの人は以前似たようなコロナにかかっており、一定の免疫があったのではないか。これはかなり強い仮説です。日本だけではなく、韓国や中国、シンガポールでもやはり死亡率は低いですから。

もう1つは行動変容です。プロスペクティブな調査と言って、罹患した後、誰に会ったかを調べ、広げないようにする調査がある。これは各国やりましたが、日本はレトロスペクティブな遡り調査もやりました。罹患する1週間前にどこで何をしていたかを調べる。それでいわゆる3密の場所が特定でき、それが行動変容につながって一定の予防効果になったのではないか。

韓国よりも日本のほうが死亡率は低いんです。同じようなワクチン接種率で、医療レベルもほとんど違わないことから、やはり日本の公衆衛生政策に一定の効果はあったのではないかと思っています。

プライマリ・ケアの現場における地域差

中村 春田さんは総合診療専門医として地域医療にかかわってこられました。そのお立場からいかがでしょうか。

春田 私自身プライマリ・ケア医として現場で働いていますが、コロナが始まって以来、全国のプライマリ・ケア医に継続的にインタビューをしており、地域でどんな問題があったのか、その知見からお話しさせていただきます。

鈴木さんから平時と有事の話がありましたが、今回、有事の場面での対応に明らかに地域差がありました。都内近郊で見られたのは救急車の受け入れが困難となったことです。病院間でどのぐらいベッドが空いているかという情報がほとんど共有されず、うちの病院が受けなくてもどこかが取ってくれるだろうと皆が思っていたと推測されます。

100件以上重症者を取ってくれないこともありました。それは東京だけではなく、近隣の横浜や埼玉などでも同様に起こっていました。受け入れられない事情は、病院内でのスタッフも含めた感染者のクラスター発生が一因としてありました。それを公にすると、初期は風評被害があったので、公にできない事情がありました。

一方で、地域によっては、情報共有が上手くいっているところもあったのです。軽症者の療養の場となったホテルや情報のハブとなる保健所でどんなことが起きていたのか。それを徹底的に調べた地域の中核病院の医師たちがいました。結果、ホテル・保健所・病院での情報共有・指揮系統がシステムとして機能してないということがわかったので、それを明確にしました。

そうやってホテル・保健所・病院の患者受け入れのインフラ整備をすると、コロナ感染者の受け入れが円滑に機能し始めた。そして、それを継続することで、医師がいなくてもシステムが回るようになったのです。施設を超えた働きかけの違いが地域の患者の受け入れの差として出た例の1つです。

また、コロナの発生が増加すると、内科を中心としたスタッフが発熱外来を担うようになり、同時に入院患者も診なければいけなくなりました。新たな受け入れシステムや治療プロトコールを作りながら自分たちも最前線にいなければなりませんでした。結果、身体的・心理的に疲弊していきました。

一方、例えば保健所にこういう情報を提供してほしい、と内科系医師から外科系医師に言ったところ、「それ私の仕事ですか?」と言われたことがあったと聞きました。内科系と外科系が「縦割り」で互いのタスクが見えないことによる対立であり、平時は互いのタスクが見えなくても問題となっていなかったのが、タスクの偏りが顕著となった有事で、皆で協力すべき状況になった時に上手くいかなくなったのだと推測できました。

全体が見えている管理者と現場のスタッフ間でも同様のことが生じていました。有事では、医師の専門性や立場によって見えているものが異なるので、対立が発生しやすく、これを予防するには平時からの関係が重要なのだと思いました。

また、介護施設が悲惨なことになっていました。施設全体でクラスターが起きた時に、どこをレッドゾーンにするかの判断を迫られました。認知症の方などは、廊下にアルコールを置くと、それを飲んでしまうこともあり、感染予防も通常通りにはできません。そういう中で、誰が指揮を取ってどういう決断をするのかが迫られます。

介護施設は病院と違うので、外から助言者として医療者が入ることが多いのですが、医療的な制限ばかり強いると日常生活ができなくなってしまいます。それを理解した上で、施設全体をレッドゾーンとするとか、ある階全てをレッドゾーンにするという形で、全体の移動制限をお願いし、生活と医療を両立させなければいけませんでした。医療あるいは介護現場に合わせて問題解決をするということの必要性が浮き彫りになりました。

国と地方の連携の難しさ

土居 上手くいった地域といかない地域の差は、何か特徴があるのでしょうか。

春田 30万人から100万人ぐらいの規模の都市で、ある程度病院が限られ、使えるホテルも決まっていて、保健所のトップと病院のトップ、あるいは病院間の管理者が顔見知りという関係があると、有事の迅速なシステムを作る際には、トップダウンで動きやすかったのかもしれません。

東京のような1000万人以上の都市は、新宿区の病院でももっと広範囲で患者さんを診ていたりします。すると病院が何百とある中で、連携は難しいです。規模が小さめの村や離島は資源が限られているので、外とのつながりができれば、行政と旗振り役との連絡相談で上手くやっていました。

ですので、牽引者が居なくても上手くいったのは大体30万から100万人弱ぐらいの都市という感覚があります。

土居 なるほど。日本の国と地方の関係はある種独特なものがあるんですね。90年代以降地方分権がどんどん進んできて、中央省庁の官僚の人たちが何か地方自治体側にものを言おうとすると、地方分権の趣旨に反すると言って、口出ししてほしくないと言われる。コロナが始まっても、有事なのだから中央からきちんと指示を出せば上手くいきそうなものも、自治体側は、自分たちで独自にやると言う。

では全部やるのかというと、やりたくないこと、できないことは、中央省庁で何かガイドラインを作ってくれとか指示を出してくれとか、お金も出してくれと言ってくる。ある意味、悪い癖が国・地方間であったと思います。

もう1つ、同じ県内でも、政令市と県もまた、感染者数をどちらが発表するのかという話では、ニュースで見ると県が一手に引き受けて発表していると思われがちだけど、実はそうではなく、政令市は政令市で独自に発表する県もある。対抗意識があるのですね。

最後のほうはようやくわだかまりはなくなってきましたが、初期は誰が主導権を持つのか、誰が責任を負うのか、誰がお金を出すのかというところで、県と市、国と県・市町村との間で残念ながら感染症に柔軟に対応できるような関係にはなっていなかった。行財政の研究をしている立場からすると、非常に辛いところがありました。

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