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【特集:団地の未来】
座談会:❝集まって住む❞から見える新しい豊かさ

2023/05/08

  • 西野 健介(にしの けんすけ)

    UR都市機構都市再生部長
    塾員(1990法)。1990年住宅・都市整備公団(旧日本住宅公団)入社。都市再生機構西日本支社都市再生業務部長などを経て、2022年より現職。都市再開発や地域の再生、まちづくりなどを手がける。

  • 渡邉 大輔(わたなべ だいすけ)

    成蹊大学文学部現代社会学科教授
    塾員(2001総、2009政・メ博)。博士(政策・メディア)。成蹊大学文学部現代社会学科専任講師などを経て、2021年より現職。専門は社会学、社会老年学。著書に『総中流の始まり』(共著)等。

  • 鈴木 美央(すずき みお)

    建築家、O+Architecture 合同会社代表
    塾員(2016理工博)。博士(工学)。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、英国FOA勤務。2016年慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻博士課程単位取得退学。著書に『マーケットでまちを変える』。

  • 大江 守之(おおえ もりゆき)

    慶應義塾大学名誉教授
    1975年東京大学理学部地学科地理学専攻卒業。77年工学部都市工学科卒業。博士(工学)。国立社会保障・人口問題研究所などを経て慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は人口・家族変動論、都市・住宅政策論。

  • 宮垣 元(司会)(みやがき げん)

    慶應義塾大学総合政策学部教授
    塾員(1994環、2001政・メ博)。博士(政策・メディア)。第一生命経済研究所、甲南大学教授などを経て、2014年より現職。専門は経済社会学、非営利組織論。著書に『その後のボランティア元年』等多数。

「コモンズ」としての団地

宮垣 今日は「団地の未来」をテーマに議論したいと思います。戦後日本の団地は1955年に日本住宅公団がつくられ、60年代から70年代にかけて公共政策として都市郊外を中心に大量に建設が推進されました。

持ち家に憧れるサラリーマン層を中心とした近い年代の多くの人びとが、時代を先取りする、比較的似た設計思想の住宅に同時期に住むことを経験した、いわば同時代的な現象だったことは、団地を語る上で1つのポイントだろうと思います。比較的似通った層が、なじみがない所に集住し始めたことが、私たちの住宅観や家族観、ライフスタイルにも大きな影響を与えたのだろうと思います。

一方、同時代的な現象であることゆえ、時間が経ってから同じような問題が同時多発的に起きてきました。2000年前後には老朽化や高齢化の問題が顕在化し、具体的な施策の対象になっていきます。高度経済成長期に課された宿題を、今になって引き受けている面もあるように思います。そこには建築や都市計画、ライフスタイル、家族など、様々な側面の問題があり、供給側の視点もあれば、生活者側の視点もあります。こうした多様な切り口からこの問題にアプローチしていければと思います。

まずは長らくこの問題に携わってこられた大江さんに、団地と政策面での関わりについて伺いたいと思います。

大江 建築は一般的に一建物一敷地が原則ですが、私たちがイメージする団地は5階建ての板状の集合住宅が複数棟建っているというもので、一建物一敷地ではない建て方でつくられています。つまり道路に面していない形で共同空間、コモンズみたいなものを抱えているところに特徴があると思うのです。それが団地の規模に応じて広がりや機能も違ってきて、とても多様です。

公的な賃貸住宅団地の経営主体は公営、公団(現UR都市機構)、地方住宅供給公社の3つがあり、公団・公社にはそれぞれが分譲した住宅団地もあります。これらは居住層や共同空間のマネジメント方法が異なります。私は横浜市戸塚区の大規模団地ドリームハイツとコミュニティ・カフェの運営を通じて長くお付き合いしていますが、ドリームハイツは市と県の住宅供給公社が分譲した住宅団地です。

公営団地に関しては現在、神奈川県住宅政策懇話会で県営住宅全体のストック活用・再生の議論をしています。また建て替える際のPFI事業(官民連携の1つ)の審査にも関わっています。実際に設計提案なども見ながら、どのように造っていけばよいかを考える場面があり、持続的な管理を含めて難しさを感じる機会が最近増えています。

団地の稼働率と新陳代謝

宮垣 経営主体の話が出ましたので、続いて供給者側からの視点で西野さんに伺いたいと思います。

西野 UR都市機構のルーツは日本住宅公団ですが、現在は様々な事業を手掛けており、中でも今「UR賃貸住宅」と呼んでいる賃貸部門はCMの効果もあって知名度が上がっています。

URの賃貸住宅は全国に71万戸ほどあります。UR都市機構という呼び名となった2004(平成16)年当時は77万戸でしたが、政府の施策によって少しずつ減っています。

建替えも進んでおり、昭和30年代の団地はほとんど建替え、または用途廃止が行われています。これまでに用途廃止となったのは、昭和30年代から40年代に建設された14万戸です。60年代以降新たに10万戸が供給されていますので、この間に4万戸減ったことになります。また、建替えだけでなく耐震改修も実施可能な範囲ではすべて終わっています。

一方、71万戸のうち、かなりのウエイトを占めるのが昭和40年代、50年代に大量供給された団地です。それらをどうするかは今後の課題ですが、私どもが扱っている賃貸住宅全体の稼働率は今も91%を超えています。建物が古くなり、お住まいの方も高齢化していると、空き家も多いのではないかと思われるかもしれませんが、今もそれなりにニーズがある。ただ、やはり高齢化率は上昇してきています。

他方、別のデータでは、世帯主の所得調査を見ると、直近の2020(令和2)年は5年前に比べて数値が上がっています。考えられる理由は、共働き世帯が増えたこと、前期高齢者の方の有職率が上昇していることなどではないかと思います。

これからの課題は、やはり単身化している高齢の居住者の存在です。長く豊かに暮らしていただくためにコミュニティを形成し、見守りサービスや共用部を使ったマルシェの開設など、公団時代では考えもしなかったような新しい試みにも取り組んでいます。

宮垣 91%は驚きですね。世帯年収が上がっているというお話ですが、それは居住者が大きく入れ替わっていることもあるのでしょうか。

西野 そうですね。コロナ禍が落ち着いたこともあり、直近の2023年では年間7万戸、つまり、全体の約1割が入れ替わっています。ちなみに団地の建替えの際には政策的に補充停止を行いますが、91%という稼働率はこうした空室を母数に含めた数字です。

団地イメージの変遷

宮垣 続いてライフスタイルや家族と団地との関わりという点について、渡邉さん、いかがでしょうか。

渡邉 私の団地との関わりは横浜市緑区の竹山団地をテーマに修論を書いたことからでした。そこは1970年代に山を切り拓いて造られた場所ですが、最初は賃貸住宅のみだったのが、80年代に分譲団地が造られました。修論を書いていた2000年前後はまさに高齢化が始まった時期です。そこで高齢者のサークル活動を調査しました。

竹山団地も70年代に一斉入居が始まりました。当時言われていた「住宅すごろく」では、皆、いずれは持ち家を持つと思われていたのですが、90年代前半にバブルが崩壊し、家を買うタイミングが失われてしまい、この団地に住み続けて高齢となった方がたくさんおられました。

「住宅すごろく」は、賃貸型の団地を一時的な仮住まいと想定しています。竹山団地の住民もそこが終の棲家になると思っていなかった人が多いのです。また、公団・公社よりもやや質が劣る公営団地の居住者の方にその意識は高かったのではないでしょうか。

2019年に『総中流の始まり―団地と生活時間の戦後史』(青弓社)という本を共著で執筆しました。1965年の6つの団地を取り上げた団地調査の調査票が、東大の社会科学研究所に数千枚残っていました。一番古い団地は1953年に建てられた川崎市営の引揚住宅、一番新しいものは61年に建った厚木の公団住宅のものでした。私たちは性格が大きく異なる6種類の団地の調査データを復元し、計量分析し直しました。

このデータからまさに団地ができ上がったころのライフスタイルが見えてきます。日本が高度経済成長期に入るとともに団地生活のイメージが広がっていきます。1960年に当時の皇太子、皇太子妃両殿下が公団ひばりが丘団地を訪問したのが話題となり、団地での生活が輝かしいものとして広まっていきました。

他方で70年代後半には、団地にネガティブなイメージが持たれるようにもなっていきます。管理社会に対する批判みたいなものから「団地族」や「鍵っ子」といった言葉が生まれましたが、私たちの本ではまだそのようなイメージが付く前の団地の姿と現代との連続性のようなものを分析しています。その記録にあるような生活をしていた方々がその後もずっと住み続けた結果、今の団地の姿になっているとも言えます。当初はそうなることを想定していなかったところに団地を語る難しさがある気がしています。

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