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【特集:国際秩序のゆくえ】
赤川省吾:揺れるドイツの政策転換──「沈黙の巨人」は変わるのか

2022/07/05

「明確なメッセージ」が課題

過去はともかく脱ロシアに傾くドイツ政治にとっての課題はスピード感と、自らの国家がどこに向かうのかを国民にしっかりと伝えることだ。しかし、いまのショルツ政権はそれができていない。

ウクライナへの重火器の供与、ロシアの脅威に備えたドイツの軍拡、エネルギーの脱ロシア、ロシア市場からのドイツ企業の全面撤退――。少し前まで考えられなかったことに取り組もうという意欲は伝わってくる。だが明確な工程表は見えず、いつまでになにをするのかがみえない。

ロシアとの対話と経済関係の強化を重んじる政策を180度転換するというのに、青写真を示せていない。「コミュニケーションが失敗している」との声が与党内からも漏れる。

羅針盤となるべきショルツ首相の動きは鈍い。例えばウクライナにとって焦眉の急の「重火器の供与」を公約したものの実現には数カ月もかかった。駐独ウクライナ大使からは感謝もされず、「動きが遅い」と罵声を浴びた。

これまでショルツ氏には何度も会ったことがある。夜遅くまでワインを片手に議論に花を咲かせたこともある。小声でぼそぼそ話すから正直、カリスマ性は感じられない一方でどんな質問にも真摯に答える真面目さがある。それでも政治家からクリアなメッセージを求める国民には少し物足りない、と映るのだろう。

オフレコのことが多かったため、具体的な発言を紹介するのは差し控えるが、欧州統合には非常に熱心な親欧派という印象を受けた。一方、ロシアや中国など強権国家に対しては対話重視で臨む、つまり伝統的なSPD路線の継承者だった。

ウクライナ侵攻後は、この路線を放棄し、ロシアとの「力での対峙」に移行することにしたものの、まだドイツの立ち位置を決め切れていないようだ。ロシアとの関係を絶つのは本当に正しいことなのか。まだ迷いがある。第三次世界大戦の引き金を引くことを恐れているのか、やはり経済への打撃を避けたいか。少人数の側近だけとの話し合いで意思決定を下す密室政治がショルツ流だ。公文書の開示請求などを通じて揺れ動くショルツ氏の心情と、側近らの助言を検証することが今後、必要になってくるだろう。

グリーン革命のジレンマ

ドイツの政策転換で大きく影響を受けそうなのが気候変動対策だ。ドイツはロシア産エネルギーに頼りつつ、再生可能エネルギーの普及を進めて脱炭素社会を実現するつもりだったが、目算は狂った。

とはいえ、リベラル票に支えられて政権を手に入れたショルツ政権が気候変動をないがしろにするとは考えられない。連立与党には欧州の環境運動を主導してきた緑の党も加わっている。

ひとまず脱原発、脱石炭、脱ロシア産エネルギーの三兎を追う作戦を堅持しつつ、エネルギー高騰による企業・家計の負担増になんとか歯止めをかけようとするだろう。具体的には食品・ガソリンなど対象を絞った形での減税や、補助金などが考えられる。再生可能エネルギーの普及も急ピッチで進めることになろう。

この状況下で脱原発とは無謀すぎる、との見方が日本にある。ドイツでも原発容認派は増えているが、若年層ほど拒否感が強い。仮にエネルギー不足への不安から2022年末に予定する原発全廃を先送りしても新増設は考えられない。

「経済大国」から「軍事大国」へ?

もっともエネルギーの脱ロシアなどの経済問題は突き詰めれば財政・経済・金融政策で解決できる。問題は外交・安保政策だ。理想や理念、コンセプト(概念)を重んじ、高い目標に向かってまい進することを好むのがドイツ流なのに肝心の国家の将来像がみえてこない。

ウクライナ侵攻を受け、「20世紀型戦争」への危機感が高まった。国家同士の武力衝突が現実に起き、戦車や戦闘機などによる戦闘に再び備える必要がある。ドイツは国防費の大幅増額を表明した。

これで欧州における外交・安保の重心は「対話」から「力の均衡」に移った。ロシアの脅威に備えるため、スウェーデンとフィンランドが伝統的な中立策を放棄し、NATO加盟を決めた。ドイツの軍拡と相まって欧州が軍事力でロシアに対峙することが明確となり、消滅したはずの「鉄のカーテン」が復活する。世界はグローバル化からブロック化に移行し、民主主義陣営はロシアとの外交・経済関係はもちろん、文化・スポーツ交流も断絶した。

そうしたなかでドイツはどんな役割を担うのか。取材したドイツ政府高官は悩んでいた。「我々が再び軍事大国になってもいいのだろうか」。自らに問うようにつぶやいた。欧州最大の経済大国ドイツが軍拡を続ければ計算上は早晩、欧州最大の軍事大国になる。だからこその憂いである。

「周りの国は欧州安保に責任を持てという。けれどもドイツが経済力でも軍事力でも欧州で突出したら近隣国はどう思うだろうか」

しかも各国における「政変」がドイツを脱皮させるかもしれない。注目すべきはフランスと米国の選挙がドイツに与える影響だ。

フランスでは2022年4月の大統領選で現職マクロン氏が極右ルペン氏の追撃をかわした。しかし5年後の次回選挙で「ルペン大統領」となる恐れは残る。米国でも将来、トランプ復権ということがありうる。仏米におけるナショナリスト政権の誕生という世界にとっての最悪シナリオ。「そうなればドイツがNATOの中核にならざるをえない。核武装という議論だって浮かんでくる」と独政府関係者は語った。

もはやドイツは以前の冷戦期のように平和を模索し、欧州秩序に口を挟まぬ「沈黙の巨人」ではない。とはいえジレンマを抱え、煮え切らない。二度も世界大戦の引き金を引いたという過去をいまだに引きずる。自らの突出を防ぐため、「欧州軍」あるいは「EU軍」を創設し、そのなかにドイツ軍を取り込むしか方策はないようにみえる。実現すればNATOのなかで米国と並ぶ柱となる。

煮え切らぬ日本

ロシアのウクライナ侵略は外交、安保、エネルギー、通商など様々な面でドイツに政策転換を迫った。日本はどうか。ロシアの資源開発に官民ともにこだわり、ロシアビジネスの撤退・縮小ですら賛否が割れる。

確かにエネルギー確保は大切だが、「中国にとられてしまう」「インフレになってしまう」ことを恐れるあまり、ロシアにカネを払い続けるのか。ロシアビジネスを続ければ、国際法と主権を軽んじ、多くの命を奪ったプーチン体制に目をつぶることになる。

冷戦時代、日本は「欧州企業に共産圏市場をとられてしまう」という論理でソ連・東欧ビジネスに積極的に取り組んだ。その帰結が1987年の東芝機械ココム違反事件だった。日本側には当初、西側の安全保障体制に穴をあけたという意識が薄く、対応が後手に回った。

欧州はドイツですら脱ロシアを図ろうとしている。そうなればロシアに執着する日本企業に注目が集まる。来年、日本は主要7カ国(G7)議長国としてロシア制裁をまとめる立場になる。対応が後手に回ってはならない。いまの日本に強権国家との長い対峙に備える心構えがあるだろうか。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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