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【特集:国際秩序のゆくえ】
赤川省吾:揺れるドイツの政策転換──「沈黙の巨人」は変わるのか

2022/07/05

  • 赤川 省吾(あかがわ しょうご)

    日本経済新聞欧州総局長・塾員

民主主義陣営と強権国家の対立が深まり、欧州は「新・冷戦」の最前線となった。ロシアに融和的と批判されてきたドイツは外交対話を重んじる自らの理想主義を棚上げし、ロシアとの対決姿勢を強めた。エネルギーを深く依存し、歴史・文化でもつながりが深いにもかかわらず、脱ロシアに突き進む。欧州全体の方向性を決定づけるドイツ政治のパラダイムシフト(激変)。そこには欧州の盟主としての覚悟とジレンマ、そして危うさが見え隠れする。

ガス禁輸──時期が焦点

いまから半世紀前の1970年、時は東西冷戦まっただ中。当時の西ドイツ(ドイツ)はソ連(ロシア)からパイプラインで天然ガスを輸入することで合意する。西ドイツにとってソ連は安定したエネルギー供給源で、ソ連にとって西ドイツは貴重な外貨収入をもたらす上得意客になった。それから半世紀。エネルギー分野で持ちつ持たれつだった構図が、ロシアのウクライナ侵略で一変した。

欧州連合(EU)はロシアからの石炭・石油の禁輸で合意した。次の焦点はガス。その半分をロシアに頼るドイツは表向き「影響が大きすぎる」などとして慎重論を唱えるが、実際にはベルリン政界でじわじわと容認論が広がる。「いずれは禁輸に踏み切らざるをえない」。ショルツ独首相に近い与党幹部に聞くと、そう答えた。別の与党議員は「対ロシア貿易を全面停止する事態も考えられる」と私に語った。

ドイツ政界は、もはや「禁輸の是非」ではなく「いつ禁輸するか」を念頭に置きつつある。ただ、代替エネルギーがみつかるまでできるだけ時間を稼ぎたい。ベルリンで取材を重ねると、そんな印象を受ける。

ここでは企業の対応が興味深い。業界団体などのロビー活動を通じてドイツ政府に「ガス禁輸の回避」を働きかける一方、「ドイツ政府はいずれガスの全面禁輸に動かざるをえない」と見越す。「もはやロシア産はあてにできない」。複数の企業関係者への取材によると、そんな内部文書をドイツの経団連にあたるドイツ産業連盟(BDI)がまとめ、加盟企業に準備を促したという。

経済界ではロシア撤退の動きが広がる。ロシアでもうけている、との批判を恐れる。物流大手の幹部は苦しい胸の内をこう明かした。「いまはサービスを一時停止しているだけだが、年内に損失を出してでもロシア事業を売却する。ロシアに固執し、欧米で企業イメージが低下すれば取り返しのつかぬことになる」。

脱ロシアという勇ましいスローガンはいいが、経済への影響はないのか。答えを先に言えば、マイナス成長とインフレ、つまりスタグフレーションは避けられない。それでも脱ロシアに踏み切るべきだというのが政府の経済諮問委員会の見解だ。3月30日に発表した経済予測で「ロシア産エネルギーへの依存を終わらせるべきだ」と提言した。

政策転換を促す3つの理由

なぜそこまでして脱ロシアを急ぐのか。理由は3つある。1つ目はウクライナからの圧力。「ドイツ企業はいまだにロシアとつながっている」「あなた方は経済のことばかり考えている」。3月、ウクライナのゼレンスキー大統領はドイツ議会での演説で、ドイツを激しく批判した。

ドイツがロシアに融和的だった一方、いかにウクライナに敵対的だったかを並べ立てた。ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)やEUの加盟にドイツが後ろ向きだったこともやり玉にあげ、欧州に「壁を作った」とまで言い切った。第二次世界大戦後、ベルリンの壁を崩すことがドイツの国是だった。「壁を作った」とこきおろされ、演説を聴いた国会議員は居たたまれない気持ちになったはずだ。

2つ目は東欧からの圧力。5月、私は対ロシア強硬派のカリンシュ・ラトビア首相と話す機会があった。「ガス禁輸はいつ導入すべきか」と質問をぶつけると「あすからだ。いや昨日、導入しておくべきだった」と即答した。慎重派のドイツへの当てつけにほかならない。

昨年末に発足したドイツのショルツ政権は欧州結束を政権公約に掲げる。メルケル前政権時代にギリシャ危機や難民危機で「ドイツの利益」をごり押ししたことへの反省だ。それゆえポーランドやバルト三国などEU内の対ロ強硬派の意見にドイツは耳を傾けざるを得ない。

3つ目はロシアへの失望だ。ドイツの政治家の多くは粘り強く対話を続け、経済交流を深めればロシアが民主化に進むと信じてきた。理念先行でロシア政治の現実をみていなかったわけだが、それだけにプーチン大統領に裏切られた、との気持ちは強い。

「ロシアがウクライナを攻撃するとは信じたくないが、仮に侵略するなら強力な制裁を科さざるを得ない。ロシアとは断絶だ」。ウクライナ侵攻が現実味を帯びた2月、長年にわたってロシア対話をけん引してきた与党・ドイツ社会民主党(SPD)の党内左派の重鎮、シュテグナー連邦議会議員(元副党首)は、かみ締めるように語っていた。

失策を招いた独ロの深いつながり

もっとも決断は遅すぎた。勢力圏とみなす地域を力ずくで従わせようとする「プーチン・ドクトリン」はかなり前から明らかだった。遅くとも2014年のクリミア半島併合でドイツはロシアに対する警戒心をもっと強めるべきだったのに、甘い姿勢に終始した。「プーチン独裁が明らかになったのちもドイツはロシアからガスを輸入しようとした」。ウクライナのザリシチューク副首相外交顧問の携帯電話を鳴らすと猛烈な対独批判を展開した。「ロシアを理解しなくてはいけないという強迫観念のようなもの」が判断を鈍らせた、と元独政府首脳は筆者に吐露する。

そんなロシア融和策は、歴史的な経緯を抜きには語れない。

そもそも半世紀前、ソ連からのガス輸入を決断したのは現与党SPDの中興の祖とされるカリスマ政治家のブラント西独首相(在任1969~74)だ。第二次世界大戦後、初めてSPDから西独首相になると東方外交(共産圏融和策)を掲げ、ガス輸入に相前後するようにソ連指導者ブレジネフと会談した。同年にノーベル平和賞を受賞し、1990年のドイツ再統一の起点となったブラント氏の対話路線は、いまでも語り草だ。SPD党本部は元首相の名前を冠し、「ヴィリー・ブラント・ハウス」と称する。

ロシアに対する「償い」の歴史認識も影響する。戦時中、ナチスは数百万人のソ連兵捕虜を虐待や栄養失調などで死亡させた。戦後70年の節目となった2015年、ドイツのガウク大統領(当時)はソ連兵虐殺について「大きな犯罪だった」と謝罪している。ロシアに敵対することで戦後に積み上げた贖罪(しょくざい)と謝罪が無駄にならないか――。いまだに左派リベラル陣営は悩む。

ドイツ東部にある親ロシア感情も無視できない。旧東ドイツ地域の住民には1990年のドイツ再統一後、「二等市民」として扱われてきたとの被害者意識がある。だから東ドイツが「社会主義国の優等生」と誇れた冷戦時代、後ろ盾となっていたソ連に郷愁を感じる。ドイツ東部を基盤とする野党・左派党は長年、NATOの解体を訴えてきた。私は同党のモドロウ長老会議長(元東独閣僚評議会議長=首相)と長いつきあいがあり、これまで数十回の取材を重ねた。彼は会うたびに「ドイツはロシアの軍事的脅威となるべきではない」と繰り返す。

独ロの歴史は複雑に絡み合ってきた。ともに後発の資本主義国であり、ロシアの港湾都市カリーニングラードは戦前、ドイツの中核都市ケーニヒスベルクだった。対ロ強硬派として知られる与党・自由民主党のラムスドルフ副院内総務とて、祖先をたどればロシア帝国の外相に行きつく。

もっとも歴史的な背景があるからといって、もはやロシア融和策が許されないのは前述した通りだ。

元ロシア反体制派ジャーナリストで、ハインリヒ・ベル財団キエフ前事務所長のセルゲイ・スムレニー氏は手厳しい。「ドイツは戦時中、ウクライナでも蛮行を働いた。ロシアばかりに負い目を感じ、ウクライナに感じないのは間違っている」。歴史認識の陰に隠れ、事なかれ主義を貫けば風当たりは強まるばかりだ。

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