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【特集:国際秩序のゆくえ】
廣瀬陽子:ロシアと「近い外国」──ウクライナ危機で変わる関係性

2022/07/05

  • 廣瀬 陽子(ひろせ ようこ)

    慶應義塾大学総合政策学部教授

2022年2月24日、ロシアが「特別軍事作戦」としてウクライナに侵攻し、以後、ロシア、ウクライナの間で戦闘が続いている。当初、兵力・火力でウクライナを凌駕するロシアが有利に戦闘を展開するかに思われた。

だが、2014年にクリミア併合・ウクライナ東部の危機という憂き目を見たウクライナ側は、政府、兵士、国民が一体となり、高い士気と団結力のもと、ロシアに徹底抗戦している。とりわけ、情報戦、認知戦でのウクライナの成功は特筆に値する。さらに、欧米諸国が迅速かつ協調的な軍事支援を行っていることがウクライナの戦闘継続と巻き返しを強く支えている。

他方、ロシア側は誤算続きで、当初、簡単に勝利できると考えていたウクライナに対し、苦戦を強いられている。そのようなロシアを、ロシアが自国の影響圏(後述)と考えている旧ソ連地域の国々(ロシアから見ると「近い外国」)はどのように見ているのだろうか。本稿では、ウクライナ危機によってロシアと近い外国との関係が変化する可能性を指摘したい。

ロシアの影響圏とウクライナへの執着

ロシア外交の根幹は、影響圏(sphere of influence)構想にある。ロシアにとって最も重要な影響圏は近い外国であり、影響圏を確保することが最重要課題となる。ロシアの指導者は、米国の一極的世界の成立を阻止するための多極的世界の構築など、さまざまな外交目標があっても、全ての外交の基本は勢力圏を堅固に維持することにあり、足元を固めて初めて、壮大な国際戦略が成り立つと考えてきた。

ロシアにとって、影響圏が欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に侵食されることは何としても避けねばならないことであり、特に軍事同盟であるNATOの拡大は絶対許容できないことであった。

その中でも、ウクライナの重要性は次の三点の理由から、ロシアにとって別格だった。まず、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの三民族は東スラブ系民族で、民族的に近く、民族間結婚も多い。つまり、親戚関係でもそれら民族が混在するケースが多く、同胞とも言える関係にあるのだ。次に、歴史的同一性である。特に、現在のロシア、ベラルーシ、ウクライナの文化的祖先は、キーウを首都としたキエフ大公国(キエフ・ルーシ)だったことは、他の旧ソ連諸国とは異なる点で、ウラジーミル・プーチン大統領は特にこの点を強調する。最後に、NATOの東方拡大が進んでいた中で、ウクライナはロシアにとってNATOとの緩衝地帯になっていたということだ。このようにロシアにとってウクライナの重要性は突出していたが、加えて、近年、特にコロナ禍に醸成されたプーチン大統領の間違ったウクライナについての修正主義的歴史観がウクライナへの執着をより大きなものに変えてしまったと思われる。

ロシアの誤算とオウンゴール

今回の戦闘を開始するにあたり、当初、プーチンは2、3日でウクライナの首都・キーウを陥落でき、ウクライナ人はロシアの侵攻を歓迎すると思っていた可能性が高い。だが、プーチンが直面した現実は、誤算の連続だったと言える。

ウクライナは、2014年に事実上無抵抗でクリミアをロシアに明け渡してしまい、ウクライナ東部の混乱も引き起こしてしまったという反省から、軍の改革に注力し、米軍・英軍などから訓練を受けたり、軍備を近代化したりした他、サイバー攻撃対策や情報戦対策なども入念に行っていた。つまり、ウクライナ軍は大きく変貌していたにも拘らず、プーチンはクリミア併合の成功体験をそのままウクライナ全土で再現できると考えていた節がある。しかし、ウクライナ軍の士気は高く、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領のリーダーシップが発揮され、そして国民が一丸となってロシアに立ち向かってきただけでなく、国際社会はウクライナ支援で堅固にまとまり、経済制裁など様々な手段がロシアに対して講じられている。

他方、ロシア軍の士気は低く、補給や指揮命令系統もうまく機能せず、そもそも長期戦を想定していなかったため、全てが準備不足という状況で、苦戦を強いられている。

そのような中で、ロシアの当初の目標とは悉く逆行する現実が浮かび上がっている。特に大きなものは以下の3点だろう。

第1に、ロシアはNATOの東方拡大を阻止したいという目的を持っていたはずだが、今回のロシアの暴挙を受け、これまで長年中立を維持していたフィンランドおよびスウェーデンがNATO加盟申請に踏み切ってしまった。現状では、NATOメンバーのトルコが同2カ国の加盟に反対しているとはいえ(6月現在)、NATOの「北方拡大」はほぼ確実になったと言えるだろう。

第2に、世界でロシア語を話す人やロシア正教を信じる人の連帯を示す「ルスキー・ミール(ロシアの世界)」を振興するなかで、ウクライナをしっかり取り込むことを目指していたはずだが、ロシアの一連の戦闘や残虐行為により、ウクライナ人の反露感情は究極まで悪化したことは間違いない。このような状況では、仮にロシアがウクライナを軍事的に制圧できたとしても、抗議行動など、ウクライナ人による激しい反発が永遠に継続していくと考える。

第3に、ロシアの影響圏をしっかり手中に収め続け確保するという目標も、ロシアが影響圏の中でも最も重要だと考えている近い外国がロシアを軽侮しはじめたことによって、崩れつつあると言える。何故なら、ロシアから見ればウクライナというのは、ロシアと比して、軍事規模も全く異なる小さな国のはずであるが、そのウクライナ相手に苦戦するロシアの姿は、これまで「長兄」としてロシアを恐れてきた多くの旧ソ連諸国にとっては衝撃的であった。すなわち、旧ソ連諸国は「今まで恐れていたロシアはこれほどまでに弱かったのか」と驚き、もはやロシアは恐れる対象ではないと感じたのだった。そうなれば、もはやロシアは近い外国を統制できなくなり、旧ソ連諸国もロシアに対して遠慮をしなくなるはずである。つまり、ウクライナ侵攻という泥沼から抜け出せなくなっている間に、ロシアの影響圏は自壊しつつあると言ってよい。

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