三田評論ONLINE

【特集:スマホが変えた社会】
座談会:ユーザーが先導する未来のモバイル

2022/04/05

  • 武藤 佳恭(たけふじ よしやす)

    慶應義塾大学名誉教授、武蔵野大学データサイエンス学部教授

    塾員(1978工、83工博)。ケースウエスタンリザーブ大学准教授等を経て1992年慶應義塾大学環境情報学部助教授。19972021年同教授。21年より武蔵野大学教授。工学博士。専門はニューラルコンピューティング、ものづくり技術(セキュリティ・電気電子・人工知能)。

  • 児玉 哲彦(こだま あきひこ)

    IT企業プロダクトマネジャー

    塾員(2003環、08政・メ博)。博士(政策・メディア)。10代からデジタルメディアの開発に取り組む。頓智ドット株式会社、フリービット株式会社を経て2014年株式会社アトモスデザインを立ち上げる。著書に『人工知能は私たちを滅ぼすのか』等。

  • 白土 由佳(しらつち ゆか)

    文教大学情報学部メディア表現学科専任講師

    塾員(2007環、12政・メ博)。博士(政策・メディア)。産業能率大学専任講師等を経て、2020年より現職。専門は情報社会学、ソーシャルメディア論。著書に『基礎ゼミ 社会学』(共著)等。

  • 加藤 文俊(司会)(かとう ふみとし)

    慶應義塾大学環境情報学部教授、大学院政策・メディア研究科委員長

    塾員(1985経、88経修)。ラトガース大学大学院コミュニケーション研究科Ph.D2001年慶應義塾大学環境情報学部助教授を経て、10年より教授。専門はコミュニケーション論、メディア論等。著書に『キャンプ論』『ワークショップをとらえなおす』『会議のマネジメント』等。

世界初のカメラ付き携帯

加藤 今日は今や誰もが手放せなくなったスマホ(スマートフォン)について、皆さんと考えてみたいと思います。スマホを語る時、様々な観点から語れるはずです。1つはジェネレーション、つまり、どのタイミングでスマホを手にしたか。それぞれの専門分野もあるし、場合によってはジェンダーという観点もあるかもしれません。ユーザーは多様なので、いろいろな形で話が広がっていくといいなと思っています。

まずは最初に、スマホとどのようにかかわってきたか、といったことをお話しいただけないでしょうか。

武藤 私はスマホの前の携帯電話(ケータイ)から開発にかかわっています。ずいぶん昔、1995、6年頃、三菱電機のカメラ事業部長さんが小さなカメラを売りたいという。このカメラは普通のカメラではなく、実はニューラルネットワークの演算ができる人工網膜カメラで、これを売るにはどうすればいいかと相談を受けました。

95、6年というのは、ちょうどデジカメが流行り出した頃で、まだ携帯電話はそれほどポピュラーではない。でも、これからどんどん売れていくだろうと思われていました。そこで「ケータイと一緒に売れば?」とサジェストしたんです。それが功を奏してこれが世界で最初のカメラ付きの携帯電話へと発展したんです。このような経緯でたまたまケータイにカメラが付いた。

その時、ドコモとかいろいろな通信業者に同じことを言われたそうです。皆、「デジカメがあるのにわざわざケータイにカメラを付ける意味があるんですか」と言う。でも、ツーカーという会社がとにかく付けてみましょうと、カメラ付きの携帯電話ができたんです。「ポシェット」と言って、これが世界で最初のもの。1999年のことです。

今、カメラがスマホに付いているのは当たり前のことになり、コロナ下ではスマホが命の絆になっている人もいる。今や生活に密着して必要不可欠なものになっています。

でも、僕自身は実はケータイ、スマホは個人的には嫌いです(笑)。小さくてクリエーションができないから。僕はパソコンでいろいろなプログラミングをするのでスマホは小さ過ぎるんです。遊ぶ分にはいいのだろうけれど。

加藤 最初にカメラとケータイを結び付けようとした時は、今のようにネットワークで写真が飛び交うようなことを想像していたのですか。

武藤 そんなこと何も考えていない。とにかくカメラを付けたらなんかいいんじゃないか、という感じでした。

その後、すぐアプリが出て、ニューラルネットワークなので輪郭などがすぐ計算できるようになった。だから写真を撮ってマンガみたいに似顔絵を描くようなことも世界で最初にやっています。実はあれはニューラルネットワークから生み出された副産物です。

加藤 そうでしたか。面白いですね。では児玉さんお願いします。

児玉 もう携帯、スマホとの付き合いはほとんど人生みたいになっていますが、私もモバイルということではスマホ以前からかかわりがありました。90年代の半ば、高校生の時に、アップルからニュートンのメッセージパッドという世界最初のPDA(個人用携帯情報端末)というものが出たんです。僕はMacマニアだったので、日本語化キットを買い、これが絶対に未来になる、と確信しました。

Windows95が出た頃でしたが、グレーのISDN公衆電話につないでモバイルインターネットをやることができたのです。恐らく日本でニュートンを持っていた高校生は僕ぐらいだと思うので、モバイルインターネット第1号みたいな感じではないでしょうか(笑)。

そしてSFCに入り、大学院に進学した2003年、何を研究テーマにしようかと考えた時に目に留まったのが日本のインターネットの普及率です。当時、パソコンのインターネットの普及率は5~6割ぐらいでしたが、インターネット自体の普及率は9割近かった。なぜかというと携帯電話です。当時iモードが出ていて、日本人のかなりの人がケータイのおかげでインターネットに接続しているという状態でした。それを知ってモバイルは大事だと思い、結局修士から博士までモバイルの研究を中心にやりました。

加藤 そういう経緯だったんですね。

児玉 博士の単位取得退学をした2008年に日本でiPhoneが出ました。もう研究をやっている場合ではないというくらい、やはりiPhoneのインパクトは大きくて、これでアプリを作ろうと「頓智ドット」という会社に入りました。ここがセカイカメラというスマホで初めてのAR(拡張現実)アプリを作っている会社でした。

ここでそれをより使われるものにしようと、地域の情報を集めて共有し合うようなソーシャルアプリを作りました。これが上手くいって80万人ぐらいの方にダウンロードしていただきました。その後、アプリの次はスマホ自体を作ろうと思い、SFC1期生の石田宏樹さんが作ったフリービットという会社に行きました。

ここで、2012~13年に、MVNO(モバイル・バーチャル・ネットワーク・オペレーター)というものを作りました。MVNOというのは、ドコモなどの通信会社の持っている通信インフラを貸与してカスタマイズしたサービスを作るというビジネスモデルですが、僕らがユニークだったのは、端末とサービスも作ったことです。これは当初はフリービットモバイルと言っていましたが、今はトーンモバイルという名前でドコモショップで、エコノミーMVNOという形で販売されています。

その後、自分でコンサルの会社を立ち上げ、モバイルやAR、ロボットの会社のコンサルをやっていたのですが、2016年からあるIT企業のプロダクトマネジャーをやっています。

また、コロナのパンデミックが始まり、シンガポールでブルートゥースを使った接触確認のアプリが出て使われているので、日本でもこれを作ろうと、オープンソースで作っているグループ、「Covid 19Radar」に協力してUIやデザインを手がけたら、厚労省に採用され、それが今のCOCOAになりました。

これはいろいろな不具合などもあって大変でしたが、セカイカメラとかCOCOAでやっていることは実は結構つながっています。モバイルがインターネットの窓口ということですが、それ以上に環境情報を捕捉するセンシングデバイスとして機能しているということが大きいと思います。

SNSを使った社会調査

加藤 では白土さんはいかがでしょうか。

白土 世代で言えば、2001年から3年が私が高校生だった時期にあたります。もう絵に描いたような女子高生で、茶髪にルーズソックスで、携帯電話にぬいぐるみを付けていました(笑)。今日、武藤先生が世界で初めてケータイにカメラを付けたというお話を伺えてすごく嬉しく感じます。

運よくSFCに入学できたのですが、入学時はインターネットやコンピュータは全然わからなくて、いきなりUNIXでメールを読むとかEmacsって何だろうというところから始まりました。小檜山賢二先生の研究会がケータイをテーマにしているというので、そちらに少しお世話になったのが携帯電話の研究のかかわりの最初です。ドコモやKDDIなどのパンフレットを集めて、キャッチコピーの推移がどうなっているかを研究したり、社会学側からのアプローチで世の中を見ることに関心がありました。

そこから熊坂賢次先生のところで博士を取るまでお世話になりました。2009年に博士課程に進学した時がたぶんiPhoneを初めて持った年です。熊坂研究室では、SNSのmixiを対象に、社会調査としてソーシャルメディアのデータを活用していました。ソーシャルメディアを、ユーザーが項目それ自体を自動的に作って回答し続ける社会調査として捉えたのです。そのようなことに取り組んでいる最中にiPhoneが登場し、いきなり普通の人が発信するデータが多様になった印象がありました。それまでテキストだけだったのが、位置情報が付いたり、写真が付いたり、人と共有するということがすごく花開いてきたのがこの頃だったと思います。

その頃研究室で、先ほど児玉さんが仰ったセカイカメラで遊んでいたのですが、もう本当に未来が来たなと思ったのを覚えています。あの頃、セカイカメラは早過ぎて、SFCぐらいでしか面白い情報がないという状況でしたが、今やARアプリは当たり前のように世の中で受け入れられていますね。私はソーシャルメディアを社会調査として使うことの研究が専門なので、インタフェースとしてのスマートフォンというものに関心があります。

スマホが変えたこと

加藤 皆さんおっしゃり方は違いますが、やはり「共有する」ということは1つテーマになってくるのかと思います。白土さんが言われたように、テキストだけではなく、映像や位置情報などいろいろなものが、ネット空間に溢れ出し共有されています。

最初に武藤さんが言われたように、今はスマホがないと生活に支障が出るようになっている人が多い。だけど持っていない人、使わない人もいる。情報の共有が加速している一方で、どこかに集中的に情報が集まって、スマホがないと成り立たない「つながり」も生まれているとも思います。

武藤 2003年に岩波ジュニア新書で『調べてみよう携帯電話の未来』という本を書いたことがあります。携帯電話の未来はこういうデバイスになってこんなことができるよ、ということを書いたのですが、実はこれは今、全部実現されています。

社会で何か変化が起きるためには技術の革新が必要ですが、実際には想像以上に技術革新が起きて、すごいスピードで社会に浸透していったんですね。「面白い」と思われれば、社会にはあっという間に浸透していく。

技術者の想像をはるかに超えた社会の変革があると、もう誰も止められない。それをどう上手にやっていくかは、社会のルールや法律の整備が必要だと思うのだけど、あまりにも技術の発展が速すぎて社会現象としてそれが出てくるので、法律やルールの整備なども遅れているという感じがします。

特にスポーツ競技などを見ていると、人が判定するものはバイアスがかかりますよね。僕などAIの専門家からすると、意外と簡単に判定できるぞと思うんです。

これからそのAIがスマホに融合してくるわけですから、どの部分に人間がかかわり、AIがやるべきところとやるべきではないところとをきちんと識別していくルールを決めていかないといけない。社会科学の人たちは何をやっているのか、と僕からすると思っています。

加藤 なるほど。児玉さん、スマホで何か劇的に変わったことや、印象に残っていることはありますか。

児玉 私は高校の授業にもラップトップを持ち込んでいました。当時から意識的にモバイルパーソナルコンピュータで自分の生活をデジタル化するということをやっていたのだと思います。モバイルでメールするとか、デジタルミュージックなどもCDをMacで取り込んでムービーファイルにして聴くことは可能だったので、未来はこれが当たり前になると思っていましたね。

生活の中で情報へのアクセスが格段にできるようになったということは大きいと思いました。また、コミュニケーションをパーソナルなデバイスを通して行うような社会になることも明確にわかって、時間がたつにつれて、それがどんどん普及していくんだなと感じました。

どちらかというとレイトマジョリティーぐらいの弟がいるのですが、弟がiPhoneなどを使い出したりすると、「おっ、ここまで広がったか」と普及が加速した感があり、それを媒介しないと社会との接点が持てなくなるのだろうという感じがしていました。

加藤 児玉さんはアーリーアダプターということですよね。そういう立場から見ると、世の中がまだ追いついてこないという感覚をお持ちになっていたと思いますが、その不満足感はどういうところに向かっていくのですか。

児玉 最初はやはり学校でしたね。なぜいまだにチョークや黒板といった道具でやっているのだろうと10代の頃から思っていました。最近でも、もろもろの行政手続きなどには感じますね。子どもが生まれ、保育園の手続きや園とのやり取りをする時などです。いまだに紙で、今日食べたのはご飯と、イモと、キュウリでみたいに全部手で書いてコミュニケーションしている。

そういう時、カメラを付けてくれればそれで済むのではないのとか思うんですね。これだけスマホ社会になったとはいえ、まだできることがいろいろな領域にあるような気はします。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事