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【特集:スマホが変えた社会】
松村太郎:シリコンバレーで見た、スマートフォンがイノベーションの現場となっている理由

2022/04/05

  • 松村 太郎(まつむら たろう)

    ITジャーナリスト・塾員

2011年11月、筆者は30年以上住み慣れた東京から、シリコンバレーに程近い、カリフォルニア州バークレーという街に初めて引っ越した。「リベラルの聖地」とも言われる場所であり、米国におけるコンサバティブの打倒を語る上で最も重要な学際都市だ。その街にあるアップルストアで、iPhoneを契約した時の心強さといったら、他には代えがたいものだったことを今でも記憶している。

1980年生まれの筆者は、1999年に生まれたケータイとインターネットの融合を大学生活で謳歌した。我々の世代にとってははじめから、ケータイは電話というよりも最重要情報端末であり、おサイフであり、また人とつながる心のより所にもなっていた。こんな話を今の大学生にすると、「何を今さら」とつまらなそうな顔をされるぐらいに、当たり前となっている。もっとも、端末自体は日本のケータイからグローバルなスマートフォンに置き換わっており、その間には飛躍的な進化を遂げているのだが。

そんな「ケータイ革命」を日本で経験した筆者からすれば、2011年の渡米は最高のタイミングだった。当時の米国社会はまさに「スマホによる社会変革」が起きようとしていたからだ。

社会の問題解決手段としてのスマートフォン

2011年に引っ越した当初のカリフォルニアは、問題だらけだった。リーマンショックからの経済の立ち直りが遅れ、街にはホームレスがあふれていた。仕事がない人が目立ち、治安が悪い状態。街ではiPhoneを歩きながら使うのは避けるようにと、ローカルニュースで繰り返し報じられていた。高値転売が期待でき、ひったくりに格好のターゲットになる。そういう時は、苦労して手に入れたスマホでも、執着してはならない。米国のひったくりは殺人も辞さない覚悟で狙ってくるのだ。

そうした直近の経済状況を反映する問題以外に、住んで2週間ほどで、さまざまな不便と不確実性をはらんだ社会であることに気づいた。2011年の日本から引っ越していくと、頭を抱えるレベルで問題点が多かったのだ。自分たちより上の世代が、よくもまあ「熱狂的に憧れる対象」としてきたなと呆れるほどに、アメリカの社会システムは破綻していた。

例えば、移動は不便と不確実性の固まりみたいな領域だった。公共交通へのアクセスが便利なまちづくりがなされていない上、交通手段の主流ではないため、運行本数も少ない。クルマを使わなければ到達が難しい、あるいは公共交通機関の方が3~5倍ほどの時間を要する。タクシーはそもそも街中にも駅にもいないし、料金も基本的にチップなどで多く取られる、など。正直に言ってストレスでしかない。

決済も、カード社会と言われているが、そのカードは数カ月に一度はスキミング被害に遭い、利用停止と再発行が当たり前だった。一方で引き続き小切手などの手段が当然のように使われているし、相手によっては記録に残したくないからと現金でのやり取りを強要される。お金のやり取りは対面が基本で、振込もさほど活用されていなかった。

これらの問題は、いずれもスマートフォンの「アプリ」として問題解決がなされることになる。

移動については、Uber(ウーバー)やLyft(リフト)など「ライドシェア」といわれるアプリの登場によって、劇的に環境が変わった。これらのアプリの普及以降に渡米していたら、おそらく我が家はバークレーでクルマを持たない生活を検討しただろう。

ライドシェアアプリは、移動したい人と、移動を提供したい人をリアルタイムでマッチングしている。スマートフォンの第4世代高速通信(4G)と、スマホに備わる高精度の位置情報サービス、AIを駆使した自動車のナビゲーションシステムを背景にしており、いずれもオープンな仕組みで構築されているからこそ、最適化がものすごい勢いで進んでいく。

ライドシェアアプリが非常にユニークな点は、「都市の交通問題」の解決を、「街の中にある遊休資産の再発掘による雇用対策」という、こちらも自治体が政策として是が非でも実現したい課題解決を通じて実現したところにある。

決済についても、Apple PayやGoogle Payといったスマートフォンにクレジットカードを結びつけるサービスで、スキミング被害はほぼなくなった。アップルやグーグルはクレジットカードを発行する銀行と交渉してスマートフォンに決済手段を持たせた。同時に店舗やアプリ開発者に対して、より安全でリスクの少ない、手軽な決済手段の提供を通じて売上を拡大できる点を啓蒙した結果、スキミングという社会問題の解決につながった。

加えて、ベンモやスクエア、ペイパルといった決済手段がスマートフォンアプリとして発展し、メッセージを送る感覚でお金を送れるようになった。

2011年以降の米国で見てきたのは、スマートフォンとそのアプリ開発環境を「社会の問題解決プラットフォーム」として活用し、社会の不便と不確実性を潰したことだ。これは問題解決を波及させる上で最も効果的な方法だ。老若男女、貧困層から超富裕層まで、あらゆる人々のポケットにスマートフォンが入っており、最も多くの人に影響する問題解決手段を提供できる。そうした実感と確信が形成された10年であり、「スマートフォンによる問題解決の手法」が確立されたのだ。

シリコンバレーの共通言語とのマッチング

ではなぜ、スマートフォンとそのアプリが、これほどまでに社会問題を解決できるのか。そこに見出すことができるのは、シリコンバレーに根付いた「問題解決の共通言語」との相性の良さだ。

シリコンバレーの共通言語には、英語、プログラミング、そしてデザイン思考がある。デザイン思考は、共感や満足といった「ユーザー体験」に重きを置いて、問題解決を志向する製品やサービスを開発する手法だ。アイデアの創出と組み合わせ、試行錯誤を繰り返し行いながら正解にたどり着くことを目指す思考法でもある。

そんなデザイン思考のお手本のようなプレゼンテーションこそ、2007年1月、当時のアップルCEO、スティーブ・ジョブズによる初代iPhoneの発表だった。

当時スマートフォンと呼ばれていた存在は、電子メールとちょっとしたウェブサイトの表示に対応する、ネットにつながる端末だった。メールが読み書きできることに主眼が置かれ、少し幅が広いポケットサイズの端末に、小指のツメの半分にも満たない、小さなボタンのキーボードが用意されているのが当たり前だった。

ジョブズはステージで、「スマートフォンと言いながら、まったくスマートではない」と既存のデザインを痛烈に批判した。そして、せっかくアプリでいろいろなことができるのに、固定されたボタンによって、使いやすい操作方法を提供できていない。当たり前だったデザインが、本当に使いやすさを追求したものではないとの指摘に、多くの人々が共感した。

その問題点を根本的に解決する形として、iPhoneの大きなタッチスクリーンを搭載するデザインを披露した。2007年の段階ではまだ、アップル以外の開発者によるアプリ提供はできなかったが、当然将来的にアプリ市場を構築する前提で、画面の中で使いやすい操作方法を自由に規定できる仕組みを用意した。なお、アプリストアが開設されたのは早くもiPhone登場の翌年、2008年のことである。

iPhoneの革新はユーザーインターフェイスの自由化であり、これがスマートフォン全体に波及することで、スマートフォンのアプリが、デザイン思考における自由な試行錯誤とプロトタイピングの現場となった。スマートフォンが、社会問題の解決に活用される主要なプラットフォームとしてもてはやされるようになったのは、現代の問題解決にフィットするデザイン思考が最も簡単かつ数多く試されているからだ。

もう一つ、秘密がある。プラットフォーム企業はしばしば、自らがすべてのアイデアを決めすぎない「思考の放棄」を戦略的に行う。一見無責任にも見えるこの戦略は、変化が激しく予測が困難で不確実性が増大する時代(VUCA: Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity)においては、トレンドを見極めるために非常に有効な手段となる。これはビジネスを行う開発者や広告主を多数抱え、手元に運転資金となるキャッシュもしくは売上が十分にある、巨大プラットフォーム企業にのみ許される戦い方だ。

例えばアップル自身、iPhoneを登場させた時、人々がツイッターやインスタグラムでコンテンツを自由に共有するとも、ウーバーで移動手段を確保するとも考えていなかったはずだ。しかし現実に、スマートフォンでこれらのイノベーションが起きており、結果としてプラットフォームの価値を高める手法となっているのだ。

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