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【特集:スマホが変えた社会】
津田正太郎:スマホ時代のニュースの流れ方

2022/04/05

  • 津田 正太郎(つだ しょうたろう)

    慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所教授

新元号をどのように知ったか

2019年4月1日、筆者は喫茶店で仕事をしていた。ノートPCで文書を作成しながら、時折、スマートフォンでツイッターのタイムラインを確認する。平成の次の元号が発表される時間が迫っていた。

オンライン上のライブ配信にアクセスすれば、リアルタイムで新元号を知ることはできた。しかし、喫茶店で仕事をしながらとなると、どうにも気が引ける。

となると、情報が早く、片手間にでも確認できるのはツイッターということになる。期待通り、午前11時41分に新元号が発表されると、筆者のタイムラインには「令和」の文字が一気に溢れた。

新元号を確認して、筆者はさしたる感慨もなく仕事に戻った。しばらくすると、中高年の男性が店に入ってきた。男性客は注文をしながら女性店員に「次は令和らしいね」と話しかけた。店員が「何がですか?」と応じると、客は「新しい元号だよ」と返す。店員が「へー、そうなんですか」と明らかに興味のなさそうな態度を示すと、客はやや不満そうであった。おそらく、違った反応を期待していたのだろう。

この日、多くの人びとはテレビ経由で新しい元号を知った。NHKは言うまでもなく、重大事件であっても他局と足並みをそろえないことで知られるテレビ東京ですら、発表を中継した。関東地区での総世帯視聴率は発表直後の午前11時44分に49.5%に達している*1

もっとも、同じ午前11時台にはツイッターの利用者が600万人にも及んでおり*2、筆者と同じくツイッター経由で新元号を知ったユーザーも数多くいたはずだ。新元号のように突出したニュースバリューをもつ情報を知ると、他人にも伝えたくなるのが常であり、筆者がいた喫茶店の店員のように口コミで知らされた者もいたことだろう。

近年の研究では、人間の脳にある報酬中枢は、とっておきの情報を他人に分け与えるときに活性化することが確認されている*3。要するに、相手は知らないだろうが、知れば驚いたり、喜んだりしそうな情報を伝えるのには快楽が伴うのである。こうした脳の特性によって情報や知識が迅速に社会で共有される反面、頼まれもしないのに余計な情報提供をしてしまう人が後を絶たなくなるのだろう。

変化する「メディアの時間」

先に述べた事例からも明らかなように、インターネット、とりわけスマホに代表されるモバイルメディアの普及によって、ニュースの伝わり方は大きく変化しつつある。とりわけ若年層にとって、ニュース接触は自宅のみならず、電車での移動時間などの「すきま時間」にスマホで行う行為となっている*4。それだけに1つのニュースがじっくりと読まれることは少なく、スマホ経由でのニュース接触の場合、2分未満で処理されることが多いという。言い換えると、朝や夕方の決まった時間に新聞を読んだり、ニュース番組をリアルタイムで視聴したりといった固定的な「メディアの時間」は、急速に崩れつつある。

上述した新元号の発表、あるいは原稿執筆時(3月上旬)のトピックで言えばロシアによるウクライナ侵攻など、気になる出来事がある場合、多くの人びとは従来の「メディアの時間」に従うことなく、可能な限り早く最新情報にアクセスしようとする。

他方、そこまで気にならない情報なら、従来の「メディアの時間」に接触することもあれば、「すきま時間」に自分のタイムラインにたまたま流れてくれば読むといったタイプの情報接触になりがちである。ただし後者の場合、流れてきた情報が最新のものとは限らない点には注意が必要だ。むしろ、そこにこそネット上におけるニュース流通の特性があるとも言いうる。

やや古い事例であるが、2011年12月に朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記(当時)が死亡したというニュースをどのタイミングでどのように知ったかを調査した研究によれば、第一報が出た直後にはテレビ経由でそれを知った人が多かったのに対し、時間が経つにつれてネット経由でそれを知った人が増えていったという*5。テレビの速報を見逃しても、ネットなら後から情報を知ることができるからである。

こうしたインターネットにおける情報の蓄積性により、かなり以前に発表された「ニュース」にアクセスが集まるというケースもある*6。一方でそれは、多くのユーザーが古い情報だと気づかないままにリツイートやシェアをしてしまい、結果的にフェイクニュースのように機能してしまうというリスクをもたらす。

しかし他方では、現在の出来事によって古い情報に新しい価値が生まれたり、簡単には古びない内容をもつ「ニュース」が発見され広まったりすることもある。個人的な体験で言えば、何十年も前に出版された著作の内容をかいつまんでツイートすると(もちろん出典は明記する)、それがかなり多くリツイートされるのは珍しいことではない。

ネットでの情報流通については、その速報性が注目されがちだが、このような蓄積性がもたらす新たな流通過程にこそニュースの未来はあるとの指摘は*7、一考に値しよう。

しかし、ネット経由でのニュース流通は、むしろ既存メディアを速報性重視の方向に駆り立てているように思える。ロシアによるウクライナ侵攻の場合、本稿の執筆時においても、朝日新聞社のサイトにはつねに【速報中】の文字がみられる。

速報性に対するこうしたこだわりの背景には、それがアクセス数の多寡に大きく影響するという理由があるとも考えられる*8。ネットでは情報発信のわずかな遅れが、ページビューの大きな違いとなって現れる。しかも、スマホのように小さな画面は長文の閲覧には向いていないこともあり、背景を掘り下げた記事よりも短文の速報のほうが読みやすいということも挙げられよう。

加えて、その記事がヤフーに代表されるポータルサイトのトップ画面に選ばれれば、それを経由して自社サイトにユーザーを誘導することができ、結果としてページビューをさらに稼ぐことができるという(もっとも、若年層ではヤフーよりもLINEニュースやソーシャルメディア経由でニュースに触れることが多く、今後において接触経路が変わっていく可能性もある*9)。

このように記事を素早く作成し、それをポータルサイトに載せることが目的化するのであれば、自ずとニュース報道の質は低下する。実際、速報性の重視が報道の質を低下させる危険性についてはすでに数多く指摘されている。

さらには、ニュースの作成から消費に至るまでのプロセスが短縮されるほど、言い換ればニュース・サイクルの期間が短くなるほど、人びとは特定のトピックに対してより「飽きっぽく」なるのではないか。以下では、この可能性について、やや異なる角度から検討することにしたい。

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