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【特集:スマホが変えた社会】
津田正太郎:スマホ時代のニュースの流れ方

2022/04/05

「壁」を越えるニュース

インターネット上での情報チャンネルの多様性によって社会の分極化が促されるのではないかとの危惧が表明されてから、すでにかなりの年月が流れた。エコーチェンバー、サイバーカスケード、フィルターバブルなど、個々のユーザーの関心に合致する情報としか接触させず、意見の異なる他者との対話を困難にさせるというネットの仕組を表す概念は、もはやお馴染みになったと言ってよいだろう。

しかし、人びとの情報行動に関する実証的な研究は、ネットでの情報流通が政治的分断をもたらすという主張を必ずしも支持していない。むしろ、ネットでニュースに接するユーザーは、従来のメディアから情報を得る人びとよりも、多様な情報に接する傾向にあるというのである*10。その大きな要因と考えられるのが、ネットにおける情報コストの低さである。

たとえば新聞の場合なら、普段とは違う新聞を読もうとする場合、普通はそれを買ってくる必要がある。だがネットなら、立場が異なるメディアや論者をすぐに見つけ、その見方や意見に接することができる。したがって、ニュース接触という次元だけでみれば、ネットには人びとの政治的な分極化を抑える働きを期待することすらできる。

それでは、ネットを中心とするニュース流通には何の問題もないのだろうか。より近年の研究で問題視されるようになっているのは、右と左といった政治的分断よりも、政治や社会、経済に関する情報と積極的に接触する層と、そうでない層との「分断」である*11。つまり、同じようにスマホを使うのでも、前者はそれらの情報を積極的に入手しようとするのに対し、後者の画面に映っているのはゲームや動画、娯楽情報ということになる。言い換えるなら、スマホというメディアが、もともと存在する格差をさらに押し広げる役割を果たすことになりかねないのだ。

実際、マスメディアで重視されるニュースと、ネットでリツイートやシェアされやすいそれとが乖離していることも、しばしば指摘されている。既存メディアがある程度まで社会的な重要性を考慮して報じるべき内容やその優先度を決めるのに対し、ネットで共有されやすいのは総じて娯楽色の強い「ニュース」である。フォローする相手を自分で決めるソーシャルメディアの場合、重い話題が一切排除されたタイムラインが出来上がっても全く不思議ではない。

とはいえ、そのようなタイムラインであっても、京都アニメーションでの放火殺人事件やロシアによるウクライナ侵攻など、重大な出来事が発生した場合には「壁」を乗り越えてニュースがやってくることはある。その意味では、特定のニュースに対する社会的関心の強さは、それがどこまで「壁」を越えたのかによって測定できるかもしれない。

しかしそれでも、「壁」の力は侮れない。それらはあくまで「たまたま」タイムラインに流れてきただけにすぎず、その原因や結末まで追跡するような形でのニュース接触にはつながっていかないのだ*12。重大な出来事であっても、わずかの間、関心をもっただけで、すぐにそれは別の情報のなかに紛れ込んでしまう。

ただしこれを政治的関心の薄い、若者を中心とする層だけの話としてしまうのは、おそらく誤りだろう。先に述べたように、われわれは全体的に「飽きっぽく」なっているように思われるからだ。

本稿で何度か言及してきたウクライナ侵攻について言えば、ロシアが同国との国境付近に軍隊を集結させているという第一報が流れた2021年11月初旬以降、新聞による報道量(朝日、毎日、読売の関連記事数の合計)は増えていき、2月初旬には最初のピークを迎えている(図1)。その後も継続的に報道は行われ、侵攻が始まった2月24日以降に報道量が激増したが、3月6日にはかなり減少している。

図1 ウクライナに関する言及量の推移

※ツイート数はYahoo! Japan のリアルタイム検索で「ウクライナ」を検索した結果を示している。新聞記事数は朝日新聞社『聞蔵II ビジュアル』、毎日新聞社『毎索』、読売新聞社『ヨミダス歴史館』のデータベースをそれぞれ「ウクライナ」で検索し、そのヒット数を合計した。なお、いずれも東京発行の本紙(地域面を含む)で条件を合わせてある。

他方、ウクライナ関連の日本語ツイート数の推移をみると、2月10日ごろまでツイート数はおおむね5000~7000の水準であり、関心が高かったとは決して言えない。2月10日を過ぎると2万~3万の日が多くなり、ここでようやくユーザーの関心の高まりがみえる。そして、2月24日、25日の関連ツイート数はいずれも約29万に達した。

ところがその後、ツイート数は減少していき、3月7日の時点でおよそ13万である。依然として高水準であり、今後の状況いかんではまた盛り返すことも考えられる。しかし、戦闘はなお継続しているにもかかわらず、ツイッターユーザーがウクライナ侵攻についてすでに「飽き始めている」可能性もまた否定できない。

とはいえ、人びとの根気のなさを責めるのもまた違うような感もある。従来のマスメディアから発信されるものに加えて、ネット上の膨大な情報は、古い情報を次々と押し流していってしまう。そのせいか、ほんの少し前の出来事が、ずいぶんと古い出来事のように感じることが頻繁に起きる(もちろん、それは筆者の加齢のせいかもしれない)。たとえそれが新型コロナウイルスの感染拡大のように世界を揺るがす出来事であっても、である。

もし仮に社会全体が飽きっぽくなっているのだとすれば、そしてそれゆえに長期的な視座に立つことができなくなっているのであれば、それは若者が悪いのでも、ソーシャルメディアに問題があるのでも、ましてやスマホに原因があるのでもない。むしろそれは、膨大な量の情報が氾濫する状況に対する、一種の処世術なのだろう。

〈注〉

*1 VRDigest 編集部(2019)「平成から令和 『改元』からみるテレビ視聴動向」【2022年3月1日 アクセス】

*2 日影耕造(2019)「新元号の発表を配信 令和、スマホ動画時代の幕開け」日経MJ【2022年3月1日 アクセス】

*3 ターリ・シャーロット、上原直子訳(2019)『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』白揚社、p.13。

*4 法政大学大学院メディア環境設計研究所編(2020)『AFTER SOCIAL MEDIA』日経BP、pp.114-127。

*5 李光鎬/鈴木万希枝(2013)「メディア環境の変化とニュース普及過程の変容:金正日死亡のニュースはどのように拡まったか」『メディア・コミュニケーション』63号、p.74。

*6 石戸諭(2021)『ニュースの未来』光文社新書、pp.64-67。

*7 前掲書、p.67。

*8 前掲書、pp.197-205。

*9 保髙隆之(2018)「情報過多時代の人々のメディア選択」『放送研究と調査』2018年12月号、p.29。

*10 日本での調査に基づいてこうした立場に立脚する著作としては以下のものがある。田中達雄/浜屋敏(2019)『ネットは社会を分断しない』角川新書。

*11 小笠原盛浩(2021)「ニュースへの接触パターンは政治的態度とどのように関連しているか」辻大介編『ネット社会と民主主義』有斐閣、pp.66-67。

*12 土橋臣吾(20115)「断片化するニュース経験」伊藤守/岡井崇之編『ニュース空間の社会学』世界思想社、pp.31-32。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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