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【特集:日本の“食”の未来】
光田達矢:食肉の歴史から見た21世紀の肉食

2022/02/04

肉食化の減速

ところが、日本の肉食化は、1890年代以降、拡大する需要を満たすような生産体制を築けなかったことから伸び悩む。

まず、洋種との半ば強制的な交配政策は、生産者の反発にあい頓挫する。膨大な費用をつぎ込みヨーロッパやアメリカに繰り返し調査の名目で派遣される役人に冷ややかな目が向けられ、和牛を洋種の受け皿程度にしか考えていなかった農商務省の態度が批判にさらされた。問題の根底にあったのは、国内畜産が抱える地理的制約であった。広大な土地で大量に牛を飼育できるアメリカやオーストラリアでは安価な牛肉は供給可能であったが、山地の多い日本は家畜の大規模飼育が可能な条件に乏しく、飼料を栽培するにしても、ヒトに供給する穀物生産と農地を争わなくてはならなかった。改良政策だけではどうしようもならなかったのである。

このような貧弱な供給体制に追い打ちをかけたのが、相次ぐ戦争であった。日清戦争(1894-95)、日露戦争(1904-5)、第1次世界大戦(1914-18)は、軍国主義を強めただけでなく、兵糧として大量の牛肉を必要としたため、国内の牛頭数の激減と牛肉価格の高騰を招いた。このような状況に対して、飼育が容易で繁殖力も高い豚肉の生産に力が注がれ、また、老馬を食肉として活用するなど、牛肉以外の食肉を普及させる動きが活発化した。その一方、ひっ迫する牛肉需要に応えるべく、外国産牛肉の輸入も本格化した。20世紀に入ると、オーストラリア、中国の青島、朝鮮から生肉や生牛が海を渡り運ばれるようになる。

これら外国産牛肉は、国内牛肉に比べ安価ではあったものの、儲けや求めやすさがそのまま普及につながらなかったのが興味深い。なぜか。世界的に見ると、冷凍・冷蔵技術を導入した大陸間牛肉貿易は、1860年代にまでさかのぼる。家畜生産大国のアメリカやオーストラリアは、大きな市場と化していたヨーロッパ諸国をめがけ多くの食肉を輸出していたが、日本は新しい技術に対する不信感が根強く、冷凍・冷蔵牛肉はなかなか浸透しなかった。たとえば、青島牛は「おひや」と呼ばれていたことからもわかるように、業者にせよ消費者にせよ、遠隔地から運ばれてくる、鮮度が落ちる外来牛肉を口にすることをためらったのである。

この点、朝鮮牛(肉)の事例が示唆的である。1910年以降、植民地牛と化していた朝鮮牛は、オーストラリアと中国から生肉として輸入されていた牛肉とは異なり、生牛として釜山や元山から内地に大量に移入された。役畜として人気が高かった朝鮮牛を国内農家で労働に従事させた後、国産牛同様に肥育された。つまり、外国産として認識されることなくつぶされ、日本人の胃袋に収まっていったことを意味する。その背景として、戦前の商習慣が関係していた。現在、家畜は生産地の近くでつぶされ、冷凍・冷蔵肉として長距離輸送された後、消費地で販売される。しかし、当時、家畜が食用に姿を変えたのは消費地近くの屠場に到着した後であり、その由来と鮮度の保った枝肉を直接確認できる安心感があったと考えられる。

その後、スーパーマーケットで部位ごとに真空パックされた食肉とともに、外国産チルド肉が何ら違和感なく買われるようになるのは、1970年代以降である。

脱肉食化へのヒント

現在、脱肉食化へかじを切ったように見える世界を追いかけるとなると、日本は肉食化の黎明期から学べることはあるのだろうか?

1つ挙げるとすれば、国家による推奨の仕方である。国家全体として富国強兵が国是となっていたように、脱肉食化を本気で目指すとなると、大望を掲げる必要がある。ただ、歴史が教えてくれるのは、生産者と消費者への適切な働きかけである。国産牛の生産者に洋種を半ば強制したような真似は避けなくてはならないし、国内の生産体制が整う前に有事(戦争)に突入しないよう、脱肉食経済を整備しなくてはならないだろう。

ただ、生産体制が整ったとしても、社会的な需要が弱ければ、脱肉食化は道半ばとなる。明治期は軍国主義の副産物として国民の多くが兵役に服す過程で牛肉の味に慣れ親しみ、その滋養の高さを教わることで肉食に対する忌避感が消えていった。大豆ミートをはじめとする代替肉への抵抗感を払拭するためには、たとえば食育の一貫として学校給食に人工肉を一部採り入れることが有効であろう。その際、ネーミングにも注意したい。「おひや」のレッテルを剥がすために、冷凍・冷蔵肉が「チルド肉」と呼び名を改められたように、言葉の持つ重要性を歴史は教えてくれる。

さらに、脱肉食化を啓蒙するオピニオンリーダーが果たす役割も見過ごせない。肉食化の黎明期では福澤を筆頭に知識人や科学者が新聞や雑誌などプリントメディアを通して教育活動を展開したが、脱肉食化の旗振り役は、SNSをはじめとするデジタルメディアを難なく使いこなすインフルエンサーが担うことになるのではないか。若年層を中心に新食習慣は広まりやすいならば、Youtube やInstagram が大きな影響を及ぼすことが考えられる。

また、生産・流通・販売の過程を可視化することが鍵になる可能性がある。現代の消費者は商品が辿ってきた「農場から食卓」への過程に思いを巡らせるようなことはせず、動物の姿を想起させる形をしていない限り、食肉を牛や豚や鶏肉に直接結びつけるようなことはしない。戦前の外国産牛肉の受容から見えてくるのは、豪州牛・青島牛は商品名から由来が可視化されたこと、生牛移入が基本だった「朝鮮牛肉」は不可視化されたことで、消費者の反応が全く異なっていた点である。「アニマルウェルフェア」と呼ばれる動物福祉の視点を消費者に持たせることで脱肉食化を図ろうとするならば、どのようにスーパーで食肉が売られるようになったのかを消費者が自らトレースできるような仕組みが必要になってくるだろう。実際、手許のスマートフォンで商品のバーコード・ORコードをスキャンし、宅配便の荷物追跡サービスのように、食肉の生産と流通情報を瞬時に入手できる技術はすでにあるが、このような新しい消費者習慣を日本に根付かせるべきかどうか、見極めなくてはならない。

最後に、日本食は、脱肉食化しやすい料理である。和食の原料となる大豆は「豆腐」や「納豆」、「醬油」や「味噌」に使用され、植物性蛋白質を多く含む。ベジタリアンやビーガン料理に日本食は転用しやすく、外国人客を相手にダシまで植物性原料に変えるなど、ベジタリアンやビーガンフレンドリーな料理を提供している料亭も少なくない。ポストコロナ時代が幕を開け、外国人観光客が日本に戻ってくれば、諸外国との交流の再開をきっかけとして脱肉食化が一気にすすむ可能性がある。大豆生産は決して環境に優しいわけではないが、脱肉食化を進めるうえでは重要な食材であることに変わりない。

世界的に見ても肉食消費量は決して多くない日本は、脱肉食化が比較的実現しやすい食文化を有している。そのためにも、小学生が好きな食べ物の多くの食材を少し改めなくてはならないかもしれない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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