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【特集:中国をどう捉えるか】
中山俊宏:バイデン政権の対中政策を信用できるか?

2021/08/05

米中は「対立」しているのか?

米中対立は、1つの次元で起きているのではないというのが特徴だ。それをそもそも「対立」と認識していいのかについても、留保をつける必要がある。実際に発生していることはより複雑である。米中関係は、さまざまな争点につき、「対決(confront)─競争(compete)─協調(cooperate)」という座標軸上の異なる地点で成立しており、その総体を米中関係として捉える視点が重要だ。それゆえ、米ソ冷戦とは異なり、米中関係は今後も大きく揺れることを想定しておくことが肝要だ。米中関係には、米ソ関係にあった、「対立の安定性」がない。それが、「対決─競争」の方に大きく傾いていることは疑いないだろう。しかし、トランプ政権は米中関係の「複合性」という本質的な特徴を見誤っていたか、中国との戦略的競争を全面に打ち出そうとするあまり、あえて見ないふりをしていた。

しかし、この複合性よりも厄介なのは、この関係が長期に亘って続くであろうことが想定されることだ。それゆえに「揺れ」の問題はより深刻な問題として浮上することになる。トランプ政権の対中政策で欠落していたのは、この視点だ。確かに米中対立のピークは2030年代に訪れるという向きもある。いま話題の、ジェームス・スタヴリディス提督らによる未来小説、『二零三四年──次の戦争についての小説(A Novel of The Next World War)』は、米中の「熱戦」を2030年代半ばに設定している。しかし、仮に米中対立が熱戦に転化したとしても、それが米中対立の最終決着であるという保証はない。むしろ、この競合関係は、今世紀半ばに至るまで続くと仮定するのが現実的ではないか。冷戦史家であるジョン・ルイス・ギャディスは冷戦を「長い平和(long peace)」と評したが、米中関係は、米ソ関係のようにスタティック(静的)なものではなく、よりダイナミックな競争になるという点において、「長い競争(long competition)」ということになる可能性が高い。

そうだとすると、アメリカの対中政策はなににもまして、「持続性」がなければいけないということになるだろう。瞬間風速的に対立を煽るようなスタンドプレーではなく、2030年代はもとより、2040年代、さらには2050年代における競合も想定する必要がある。トランプ政権の対中政策は、こうした視点が決定的に欠けていた。中国は、アメリカが初めて向き合う「対等な競争相手(peer competitor)」である可能性が高い。アメリカは、20世紀初頭に世界政治のメインステージに登場して以来、乱高下はあったものの、基本的には右肩上がりでやってきた。ナチス・ドイツ、大日本帝国、ソ連、9・11以来の暴力的過激主義など、アメリカは数多くの敵と向き合ってきたが、ソ連を除けば、アメリカの存在そのものを脅かす「実存的な脅威」ではなかった。しかし、そのソ連にしても、ギャディスが形容したように「長い平和」のロジックをキューバ危機以降は共有しえた。中国とはそうしたロジックが共有できるという保証はない。むしろ、中国共産党創立100年の習近平国家主席の演説を見ても、事態は逆行しているように見受けられる。

「アメリカ後の世界」の国際主義

しかも、現在のアメリカはお世辞にも右肩上がりとはいえない状況にある。今のアメリカは、われわれが慣れ親しんできた「自信に満ちたアメリカ」ではなく、もしかすると・・・・・・ 「アメリカ後の世界」・・・・・・・・・・ (ファリード・ザカリア)・・・・・・・・・・・・・ が到来した・・・・・ のではないかとの・・・・・・・・ 不安に苛まれる・・・・・・・ アメリカ・・・・ である。そう考えると、若干、大袈裟に聞こえるかもしれないが、われわれは世界史的な転換点にある。つまり現在の状況を、アメリカの覇権が揺らぐ中で、対等な競争相手が出現しているという状況であると形容できるということである。

こうした状況の中、バイデン政権は対中政策をどう組み立てようとしているのであろうか。バイデン政権が発足しておよそ半年、同政権の対中政策が「あまい」ものになるという不安は杞憂であったといっていいだろう。バイデン外交の主要テーマは、トランプ外交からの決別である。しかし、対中政策に限ってはその限りではない*2。むしろ、中国との対決こそが、バイデン外交の主要テーマであるかのようでさえある。しかし、バイデン政権の対中政策とトランプ政権の対中政策とでは重要な違いがある。それは、バイデン政権が米中対立の「複合性」と「長期性」を認識している点だ。さらに、決して表立っては認めはしないだろうが、世界が「アメリカ後の世界」に突入しようとしていることについて自覚的なことだ。

バイデン政権の外交姿勢の根幹をなすものとして「中間層外交(foreign policy for the middle class)」という考え方がある。これは、アメリカの対外政策が、中間層にとっても有意味なものでなければならないという発想である。バイデン大統領本人も含め、ブリンケン国務長官など、複数の政権高官がこの考え方に言及している。これは、本来的には、国内政策で実現すべき雇用の確保や中間層の底上げなどの政策目標を、対外政策を通じて実現しようとするものであるという点において、外交安保エリート層からは極めて評判が悪い。しかし、この発想は、アメリカの対外行動を支えてきた国際主義がかつてほどは盤石でないという認識に根ざしたものである。トランプ外交の、主要テーマであった「アメリカ・ファースト」は、まさにアメリカに蔓延していたこうした「対外コミットメント疲れ」に迎合したものであり、それはトランプの政治的な嗅覚の鋭さの賜物であった。アメリカに蔓延するこのような気分を察知したトランプは、それを受け入れ、増幅させた。バイデン政権は、この気分を、どうにか押し返さなければならないものとして認識している。しかし、単純に国際主義の復権を訴えるだけでは、説得力が一切ない。そこで、アメリカの国際主義は、中間層にとっても有意味なものであるという論理構成で、国際主義の復権を目指した。

中間層外交のもとでのアメリカ対中政策

では、中間層外交をアジア、とりわけ対中政策に当てはめるとどういうことになるか。その前に、例えば中間層外交を中東に当てはめるとどういうことになるかを見てみよう。中東は、アメリカにとって、「可能性の地域」ではない。そこは、繰り返し生起する問題に対処しなければならない地域である。さらに、中東におけるアメリカのプレゼンスそのものが歓迎されておらず、むしろ、そのことこそがアメリカと中東との関係の難しさの主たる原因となっている。サウジアラビアにおける米軍の存在が、9・11 テロ攻撃を引き起こした原因の1つであったことを想起されたい。また、中東において、信頼できる同盟国やパートナーがいるかといえば、決してそうではない。つまり、中東は、問題を抱えたパートナーであると共に、繰り返し生起する問題群に対処していかざるをえない地域である。もともと低かった中東へのエネルギー依存の度合いがますます低下するなか、中東への関与は、中間層外交のロジックのもとでは正当化が難しいものとなっている。それを、証明するかのように、バイデン政権は中東における「足跡」を軽くする方向で政策転換をすすめている。

対して、対中政策は、中間層外交のもとでも十分正当化できる政策案件である。まずなによりも、中国からの挑戦が明白であることが挙げられる。しかも、アメリカの国民もそのことを十分に認識している。そして、世界経済の牽引役であるアジア経済にアメリカが関与し続けることが、アメリカに便益をもたらすことは明白である。さらに、最重要の点だが、この挑戦は、アメリカが単独で引き受ける挑戦ではないことを、アメリカの為政者はアメリカ国民に対して示すことができる。中東とは異なり、アジアにおけるアメリカは歓迎される存在である。これは、アメリカの対外行動を支える国際主義が消沈しつつあるなか、極めて重要な点だ。中国については、日本をはじめ、豪州、インドなど、アメリカの関心と完全にオーバーラップするというわけではないが、概ね懸念を共有する国々がアメリカと伴走している。

その中でも日本の存在はとりわけ重要である。日本は、信用できる民主主義国であり、なおかつ頼れる同盟国でもある。日本は、アメリカの対中政策について絶えず心配しているが、実は日本こそがアメリカの対中政策を支える重要な要の1つである。日本はこうした状況により自覚的でなければならないだろう。

〈注〉

*1 なお、ワシントン・ポスト紙に掲載された共同書簡は、同紙ウェブサイトでは確認できるが、同じ時期に開設された連動するウェブサイト(www.openletteronuschina.info)はもう存在しない。「深読み」をしたくなる動きである。対中穏健派さえも、もはや「中国は敵ではない」という共同書簡に名前を連ねたことはあえて公にはしたくはないということなのかもしれない。ちなみに、この書簡に名を連ね、対中政策に関わる主要ポストでバイデン政権入りした人物はいない。

*2 ちなみに、厳密に言えば、トランプ外交とバイデン外交の連続性は、対中政策のみというわけではない。他にも、自由貿易への疑念(TPP忌避)、アフガニスタンからの撤退など、バイデン政権は、アメリカ・ファーストのアジェンダの一部を継承している。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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