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【特集:公園から都市をみる】
公園から見た水都大阪

2021/06/07

水都大阪を取り戻す都市再生プロジェクト

戦後、大阪の水辺は都市の中心ではなくなっていった。人や物の交通の中心は水から陸に変わり、復興のために多くの堀が瓦礫で埋められた。かつて水の都と呼ばれた美しい水路網は悪臭が漂う排水路となり、都市の裏側となってしまった。そんな状況が大きく変わりだすきっかけは、2001年に都市再生プロジェクト「水都大阪の再生」が採択されたことによる。大阪府・大阪市・大阪経済界の三者による官民連携の取り組みが推進され、2003年に策定された「水の都大阪再生構想」では都心部をロの字に囲む「水の回廊」が重点エリアに位置づけられた。

大阪都心部で水面を望むことのできる公共空間のうちの約4割と、河川空間にもまして最も高い割合を占めるのが都市公園である。中之島公園から南天満公園、桜之宮公園にかけての大川沿いに特に集中している。これらの多くが戦前に整備されたものであり、近年の都市再生で新しく生み出された公園はほとんどない。河川敷地占用許可準則が改訂された2011年以降は、「北浜テラス」のような民間による独自の親水空間が創出され、断絶していた水辺の回遊性を線的につなぐ試みが進んでいる。しかし、堤内地の整備を伴う面的な水辺再生が実現した近年の事例は、「湊町リバープレイス」や「ほたるまち」など数十年も前から計画が進められてきたものが数える程度で、河岸だけでなく後背地を含めた抜本的な水辺空間の再編の難しさが表れており、都市化が進展した時代には水辺に公園をつくることは容易でないことがわかる。

一方で、すでにある公園の価値を高める取り組みも重要である。2006年には、大阪市によって中之島公園再整備のコンペが実施され、「水都大阪2009」にあわせてリニューアルされた。それ以前の中之島公園は都心に取り残されたエアポケットならぬリバーポケットのような空白地帯で、ブルーシートのテントが並び、市民の足が向かうことのない場所だった。再整備によって往時から名所として根付いていたバラ園は美しく生まれ変わり、芝生広場には南北の河川を伸びやかにつなぐ起伏が施され、腰をおろすとどこからでも水面が望めるようになった。島という土地のポテンシャルを活かすことで、いまでは市民が日常的に使いこなす場所として定着している。

再整備前の中之島公園 (提供:株式会社現代ランドスケープ)
再整備後の中之島公園

水都大阪2009のスペクタクル

中之島公園をはじめとするこのような水辺空間の価値を市民に印象づけたのが、水都大阪再生のシンボルイベント「水都大阪2009」であった。水の回廊の各所でアートプログラムやワークショップが展開され、再整備が進んだ水辺を市民が楽しむ多彩なプログラムが実施された。地元の活動団体を中心とした市民参画の手法が導入され、官民のパートナーシップで進めていくプロセスが確立された。これまで官主導で進められてきたハード整備がそれだけで完結するのではなく、民の意向が水辺の再生に盛り込まれ、継続的なマネジメント体制の礎が築かれた。

このような官民のパートナーシップが展開できた背景には、それ以前からの民による独自の活動の蓄積があったことが大きい。筏を浮かべてお花見をする、橋上をライブ会場に見立てるといった水辺での活動は、個人の思いに端を発するゲリラ的なものであったが、段階的な社会実験の導入や連携体制の構築を経て正式に位置付けられるようになり、水辺の個性が育っていった。これからの水都大阪における官の役割は、民が生み出す水辺の魅力を都市全体へと広げていくためのプランニングにあるだろう。

公園に現れる大阪の公徳心

そもそも誰が都市をマネジメントしているのか、その捉え方にも大阪ならではの歴史的な蓄積がある。終生大阪を愛し、大阪に暮らし続けた司馬遼太郎は大阪を「日本におけるもっとも市民的な都市」だと述べている。まちは誰かにつくってもらうものではなく、自分たちがつくっていくものだという気概がこのまちにはある。様々な個性がぶつかり合い、響き合うことを是としている。だから大阪人は大阪のまちを身近に感じるとともに、自負も持っている。とくに公園は市民の公徳心を最もよく表す場所の一つである。公園のパブリックライフには人とまちの信頼関係が現れている。そこには、自由な活動を受け入れてくれる包容力が備わっている。大阪のまちは、人の魅力が場所の個性に映し出されている。規律や制限でまちの秩序を保つことよりは、なにか面白い、他にはない、新しいものに出会えるまちを大阪人は期待している。大阪のまちは、そんなコミュニケーションのための場としてある。

今夏、東横堀川に沿った公園にオープンする「β(ベータ)本町橋」はそんな大阪の自由で親密な民の気風を感じる施設になりそうだ。単なる飲食や舟運のための施設にとどまらず、公園に立地するという社会的な価値を深く理解した事業展開が目指されている。高速道路が上空を覆い、これまであまり目が向けられることのなかった水辺を舞台に、民の多彩なプログラムによって、水辺とまち、人と場所をつなぐ新しいコミュニケーションが生まれようとしている。

「水と緑の都」大阪へ

このように水都大阪の魅力は、民の取り組みを官が支えながら大きく展開してきた。大阪出身の作家、柴崎友香は「大阪はつながっていく」と題したエッセイのなかで、大阪のまちの魅力を次のように述べている。「一極集中や経済の停滞など厳しい環境が続いているが、いきなり『東洋のマンチェスター』と大きく打って出た大阪の人の柔軟さはまだ健在だ。現代は当時のようにがむしゃらに規模を拡大するのではなく、街だとか国だとかいう枠を超えて、フラットにいろんな人や場所とコミュニケーションを取れる、おもしろいことができる可能性がある街だと、わたしは思っている」。まちの魅力をつくるのは、直接的にも間接的にも人である。はじめて訪れるまちの魅力は、そこで出会う食事やお土産物を通してつくられる印象にもまして、そこで接した人とのコミュニケーションによって大きく左右される。大阪人は自らの楽しみとして、フラットにいろんな人や場所とコミュニケーションを取ることに長けている。都市のプランニングとは人が都市の魅力をつくることに対する直接・間接の継続的な支援に他ならない。まちの側が人の気風を受け入れて、まちのイメージに反映させることができるかどうかが大切だ。人ばかりが主張するのではなく、まちばかりが目立つのでもない。水都大阪の魅力は、人とまちがひとつながりになって形成されているのである。

公園は昔も今もそのための大切な場所である。官民が築いてきた水の都としての歴史において公園が果たした役割は、これまでにもまして大きくなる可能性を持っている。水の回廊に緑が相まってネットワークを広げることで、市民のより自由で闊達な活動がつながっていくだろう。「水と緑の都」へ向けて、これからも大阪はますます人とまちとのコミュニケーションを深めていくと信じている。

水都大阪2009 の光景

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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