三田評論ONLINE

【特集:福澤諭吉と統計学】
福澤諭吉が大隈重信にスタチスチクの仲間らを推薦した書簡がもたらしたもの/奥積 雅彦

2020/06/05

6.おわりに

「福澤書簡」からも、明治初期における福澤諭吉と大隈重信の2人の偉人の交遊関係がいかに政府統計の発達のための原動力になったかをうかがい知ることができると思う。

明治12年1月の福澤書簡の後、同年4月、製表社との合体による統計協会の設立(のちの東京統計協会)、明治14年4月、大隈重信による統計院の設立の建議、同年5月、大隈自らの院長就任と展開し、その中で福澤の門下生(慶應義塾塾員)や大隈の側近が深く関わっている。言わば福澤書簡による人材の紹介は、我が国の統計史にとって重要な位置づけにあると言えるのかもしれない。

そして、民間統計団体である東京統計協会は、明治・大正期において、機関誌『統計集誌』の発行、講演会の開催等を通じて統計の理論や技術の進歩に大きな貢献をしたほか、累次にわたる政府や衆議院、貴族院に国勢調査の建議・陳情などの国勢調査実現のための促進運動や多くの統計家の育成を通じて統計の発展にも寄与している。こうした活動も奏功し、大正9(1920)年に第1回国勢調査が実現した。

令和2(2020)年に実施する第21回国勢調査は、第1回国勢調査の実施から100年の節目を迎える。今後とも未来の礎を築いていくという国勢調査の社会的利益は普遍的なものであり、明治・大正期における民間統計団体の活動があったからこそ、100年の節目を迎えることができたのだと再認識した。

ところで、国勢調査の社会的利益*7に関連して19世紀のフランスの統計学者モーリス・ブロック著「Traité Théorique et Pratique de Statistique」( 1878年) の Chapitre premier(第1章)の冒頭部分の「Il n’y a aucune exagération à dire qu’on fait de la statistique depuis qu’il y a des États.」を想起する。これを直訳すると、「国ができてから統計を行ってきたと言っても過言ではない」(統計は国家運営に欠かせない)となるが、塚原仁(まさし)は、これを『統計学の理論と実際』(昭和18(1943)年)において「国家の存するところ統計ありとは何等誇張ではない」と訳した。出版年を考えると、戦時下の日本に、統計を軽視することの過ちを暗に示唆するメッセージ(警鐘)のようにも思う。そして、その警鐘は、現代社会においても真摯に傾聴しなければならないと感じた。*8

〈注〉

全体の参考資料として総務省統計局HP「統計図書館ミニトピックス(№3のほか、№2、№⒕)」を参照されたい。

*1 木村毅『大隈重信は語る』(1988年)20頁

*2 「早稲田大学図書館HP(古典籍総合データベース)」参照。

*3 早稲田大学図書館所蔵 市島謙吉編『大隈家収蔵文書(抄録)下』(早稲田大学大学史資料センター編)では、日付について、かっこ書で「明治十二年」と補足。

*4 東京統計協会『東京統計協会沿革略誌』

*5 木村毅『大隈重信は語る』21頁

*6 総務省統計局HP「統計図書館ミニトピックス№2」参照

*7 国勢調査の社会的利益:総務省統計局HP「統計Today №150」(国勢調査の基本的役割)参照。

*8 総務省統計局HP「統計図書館ミニトピックス№25」参照。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事