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【特集:福澤諭吉と統計学】
福澤諭吉が大隈重信にスタチスチクの仲間らを推薦した書簡がもたらしたもの/奥積 雅彦

2020/06/05

3.製表社の創設

製表社は、杉亨二を中心とする統計の先駆者たちが明治11(1878)年12月に創設した統計結社である(明治12年4月統計協会、のちに東京統計協会と改名)。

製表社は、藪内武司『日本統計発達史研究』によれば「製表社の名称の由来については……「製表」のことを訽議(こうぎ)する(意見を聞き議論する)、すなわち統計資料の収集編纂を主目的にするという、同社の結成趣旨にそっての名称」とされているが、「製表」の名称の由来については不明である。宇川盛三郞「統計協会来歴」(「統計集誌」創刊号(明治13年))によれば、「製表社」は、取捨した「内外の年表報告等を抜粋して年表を製し……」とあり、これは、明治7年に刊行された津田真道訳『表記提綱』でいう「政表の製作」を参考に杉亨二が「製表」の用語を考案し、「製表社」という社名としたのかもしれない。

製表社の創設に向けた動きをみると、福澤書簡でスタチスチクの仲間の1人としてリストアップされた小幡篤次郎らが中心となり準備を進め、製表社は明治11年12月に創設された(前述のとおり創立当時の会員の多くは福澤書簡の別紙で挙げた義塾出身またはその関係者と一致)。このことを考えると、その著書(『文明論之概略』など)でスタチスチク(統計)の重要性を指摘する福澤の思いを通じて、小幡篤次郎らによる製表社の創設に向けた原動力になったことも考えられる。ちなみに、福澤書簡でも、時候のあいさつの次のパラグラフで小幡の名前が出てくる。

4.製表社との合体による統計協会の設立

製表社の創設の翌年、明治12(1879)年2月に渡辺洪基、馬屋原彰、小野梓も統計に関する学会を起す企画があり、これを杉亨二に相談したところ、杉はその趣旨は製表社と概ね同様であることから、協議の結果、同年3月6日これを合一することに決し、更に委員を挙げて規則案を作らせ、4月1日にこれを議定し、その名称を統計協会(のちの東京統計協会)と改称し、幹事に渡辺洪基、小野梓、阿部泰蔵、矢野文雄、小幡篤次郎の五名を挙げて諸般の事を委任したとされている*4

ここで、小野梓(立憲改進党、東京専門学校(のちの早稲田大学)の創設に深く関わる)は、大隈重信のブレーンとして有名である。また、阿部泰蔵(本邦初の生命保険会社創設者。日本ではじめて統計処理により算出される予定死亡率などから保険料を導いた近代的生命保険事業として誕生させた)、矢野文雄、小幡篤次郎は言わば福澤の門下生(慶應義塾塾員)で、このうち、阿部、小幡は、福澤書簡のスタチスチクの仲間としてリストアップされている*5。矢野は、福澤と大隈の交流が縁で、大隈の宅に来るようになり、とうとう大隈の側近になってしまったとされている。また、矢野は、犬養毅(いぬかいつよし)、尾崎行雄とともに明治14年に設立された統計院(院長は大隈重信)に勤務した。

5.大隈重信の統計院設立構想と統計観

大隈重信は、明治14(1881)年に統計院の設立を建議し、自ら院長に就任したが、その2年前の福澤書簡は、大隈の統計院設立構想に何らかの影響を与えたのかもしれない。

大隈の統計院設立構想と統計観については、明治31年の統計懇話会における大隈の演説(『統計集誌 第205号』)から読み取ることができる。それによれば「……熱心なる杉君なりその当時人口を調査して1つ……行ってみようと言うので、試験として甲斐国一国をやったその時の勢いでいけばよほど疾(はやく)に進まねばならぬ。それから、(統計は、)とても大蔵省ではいかぬ。十分強い権力をもってやらなくちゃどうしても各省各箇でもってやるようなことではいかぬ、何と任じても大蔵省だけではいかぬ、そこで中央に統計院を拵(こしら)えて……1つの大きな組織でやるとなったものだから……自分(大隈)の道楽のことには大きなことをやるというので余程攻撃を受けました。しかし、これは決して道楽ではない。……統計院それから会計検査院2つを拵えた。十分中央に権力を集めて行政の整理をこれから行っていこうという企て、政略と真に統計を進歩させようという2つのものが結びついて地位の高いものを拵えた。……」としている。

さらに、「……議論で国政をやっていく。政治も社会も学術も悉(ことごと)く議論である、その議論の根拠には何を以てして行くかと云ふと是非1つの学理から拠る所のものがなければならぬ、あるいは漠然たる理想、漠然たる想像これだけでは一向議論の根拠がかたくない、段々議論が進んでいくにしたがって議論を決するものは1つの証拠である、……この問題は何で決するか、ここに拠るべき統計があるか、ないかである」と論じ、大隈はEBPM(事実・根拠に基づく政策立案)の視点でも統計を見ていることは現代にも通用することであると言える。福澤の『文明論之概略』などの著書*6でも統計の有用性が論じられており、大隈と福澤の統計観については2人の間で共通する部分があったと考えられる。

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