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【特集:ポピュリズムをどう捉えるか】
比較の中のラテンアメリカのポピュリズム

2020/02/05

ラテンアメリカのポピュリズムの包摂性

ポピュリズムについての多くの議論で、ラテンアメリカ諸国の事例は、ヨーロッパ諸国の多くに見られ、米国でもD・トランプの勝利の形で顕著に現れた「排除的(exclusionary)」なタイプとは対照的な「包摂的(inclusionary/inclusive)」なタイプとして取り上げられる。後に紹介する水島治郎やC・ミュデらの議論が、その代表であろう。しかし、経済政策的にはこの地域のポピュリズムが必ずしも包摂的なわけではない。第2の波のポピュリズムの政策的な特徴であった新自由主義は、少なくとも所得再分配的ではない。ポピュリズムに関する議論における〈ラテンアメリカにおける第2の波のポピュリズム〉の扱いは曖昧であるが、筆者は、後記の理由で包摂的であると考えているし、少なくとも先進国の「排除的ポピュリズム」とは根本的に異なっている。では、ラテンアメリカのポピュリズムの包摂性は主にどこに現れるのだろうか。

1つは、「反移民主義(ネイティヴィズム)」の欠如である。その最も単純な説明は、ラテンアメリカ諸国では排外感情がそれほどは強くないというものである。一般にラテンアメリカ諸国で移民排除・差別がないとは言えないだろうが、「民衆層/普通の人々」(“the people”)に訴えかけるポピュリズムでその要素が重要ではないことの基盤に、排外感情の小ささがあるとの議論は成立しうる(新たにやって来る人々が先進国のようには多くないという差異も、重要な要因だろうが)。

そのような解釈を行い、それを植民地であった過去と結び付けた理論化を行うのがD・フィルクである。筆者なりに整理すれば、植民地を持った西ヨーロッパ諸国は、植民地主義が〈人種主義に基づいた現地人の排除〉を特徴としたことの延長線上にある「ネイション=国民」観念を持ち、ポピュリズムが訴える民衆層がそのように想定されるのに対し、ラテンアメリカ諸国では、混血などの混淆を特徴とする「包摂的」なネイション観念を特徴とするという議論である。そして後者は、〈大国の経済的な支配とそれと結びついた自国の豊かな人々(寡頭支配層)への反対としての反植民地主義〉と同一視されている。

植民地としての性格による説明?

この議論は多重的な混乱を含んでいるように思われる。何よりも、ラテンアメリカのネイション観念は、植民地一般であったことからではなく、特殊な性格を持った植民地であったことによると考えるべきである。ラテンアメリカとなる地域の広い部分では、植民地化の時点に社会階層化に基づく政治が存在した。その場合には、宗主国からは従来の収奪システムを利用する行政担当者やビジネスの人々が派遣され、大量の人口移動はないことを基本とする植民地となるのが通例である。しかし、この地域には、そこを自分たちの土地としようとする多くのスペイン人がやって来た。そのような植民地からは、やって来た人々が豊かなエリート層で、混血層が中間的で、先住民が貧しい層に多い社会を持つ独立国が生まれた。それは、アジアやアフリカの多くの植民地が、宗主国の支配を排して独立し、元来住んでいた人々が大多数を占める土地であり続けたのと異なっている。同時に、元来の住民が少数であり、階層化した社会を形成していなかった土地に多くの人々がやって来て、先住民を駆逐・殺害して自らの土地とした植民地が、独立により、やって来た人々が大多数を形成する国となった場合(セトラー型の社会)とも異なる(以上の議論は高橋均の議論の筆者なりの要約である)。ブラジルも含めて、アフリカから奴隷として連れて来られた人々が多い地域では、アフリカ系の人々が先住民の人々と同様の位置にある形で、類似の性格を持つ社会となったと考えられる。それらの国々では、前記の混淆を中核とするネイション観念が形成されたことが広く指摘されてきた。それはネイティヴィズムが重要になりにくい観念であろう。その意味では、ラテンアメリカに限定すれば、フィルクの議論にはある程度の説得力がある。

ただし、最も典型的なポピュリズムを生み、そのポピュリズムがネイティヴィズムを持たなかった──そして、フィルクが主要な事例として紹介している──アルゼンチン社会(の支配的な部分)は、セトラー型の性格を持っている(独立後の19世紀後半から20世紀初頭に、イタリア人を中心としてヨーロッパから多くの人々がやって来たことも含めうるであろう)。ラテンアメリカの多くの国では、前記のネイション観念が公式のイデオロギーであるのに対し、アルゼンチンでは、エリート層の欧化主義に限らず、自国をヨーロッパ系の人々の国とする観念はかなり広く抱かれている。ペロンのポピュリズムは、おそらくは内陸部やそこから都市に来た貧しい人々へのエリート層(や中間階級)の蔑視に人種主義的な要素も含まれていたことに対抗して、ネイションの混淆性も唱えたが、その主張の中心は反帝国主義(経済的な「反植民地主義」)であった。

排除的なネイティヴィズムは、フィルクが含意するように「植民地を持った国々/西ヨーロッパ」に限定されず、ヨーロッパ一般やほかの先進国にも見られるが、フィルクの言う「植民地主義」を、〈人種主義と結びついた排除的なネイション観念〉と一般化して、彼の議論を維持・拡張することは可能かもしれない。しかし、植民地としてのラテンアメリカの例外性を見ないフィルクの議論は、発展途上国については維持しがたい。それは、ヨーロッパ系を上と見る人種主義と、経済的な収奪を意味する〈広義で経済的な側面での植民地主義〉を同一視することで、ラテンアメリカの第1・第3の波のポピュリズム(と先進国の左派ポピュリズム)に見られる〈国際的にも国内的にも経済的な不平等性に反対する左派性〉と、先進国ポピュリズムの多くをなす右派ポピュリズムが持つ〈アイデンティティーの重視〉とが同じ次元での対照ではないにもかかわらず(後に紹介するミュデらの議論は、それが別次元のものであることを重視している)、両者を植民地主義対反植民地主義という同じ次元での対照へと無理矢理に整理しようとしている(なお、ラテンアメリカには「包摂的なネイティヴィズム」があるという議論もミスリーディングであろう)。

すなわち、ラテンアメリカのポピュリズムは、エリート層を攻撃して民衆層の人気を集める別の要素が重要ならば、成功するポピュリズムの主張ではその要素が中核となり、ネイション観念は重要ではないことを示している、と考えられる(ペロンのポピュリズムは、ラテンアメリカにおける左派ポピュリズムが反人種主義を主要な要素にしていないことを──ラテンアメリカの中でのアルゼンチンの例外性ゆえに──より明確にする)。水島やミュデらの二分は、そのような議論として解釈できる。エリート層が支配している秩序で「排除」されている人々が多ければ、当然「反排除」すなわち「包摂」がポピュリズムのアピールになる。そして、自分も含まれる政治社会を想定して、それが外から脅かされていると思う人々に訴える場合は、エリート層との対立は「少数の包摂された人々 対 多数の排除された人々」として図式化されないため、国の問題についてのほかの観念との競争が生じやすく、ポピュリズムの主張を受け入れる人々はより少数になりやすいであろう。

ただし、ポピュリズムの二分論の中でも単純化が強いミュデらの議論では特に、その違いが〈ラテンアメリカ諸国が経済的にまだ豊かではない〉ことに求められているのには疑問を呈しうる。ミュデらの理論化では、ヨーロッパでは脱物質的なアイデンティティーが重要なのに対し、ラテンアメリカではまだ物質的な分配が多くの人々にとって重要だとされる。その議論では、政党などの形で政治的に代表を持たず、社会的・観念的に低い地位に置かれている人々が経済的にも貧しいことから、社会的・政治的な排除を正すポピュリズムの訴えが、客観的にも再分配的な政策の提唱・実施と結び付くことが当然視されている。その誤りは先に述べた。経済的な分配を重視する左派性を持たない第2の波のポピュリズムも、〈下に見る他者〉の排除を伴わずに、民衆層の代表であることをアピールした。排除されていると感じている人々の存在が重要だと考えられよう。メネムもフジモリも、大統領選挙時には新自由主義とは逆の政策を期待されて支持を集め、政権獲得後に新自由主義的政策に転じたことを、ラテンアメリカのポピュリズムが持つ共通性の証左として挙げられよう。

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