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【特集:「在宅ケア」を考える】
「平穏死」を迎える場を考える

2019/12/05

福祉の現状

約20年前、我が国に介護保険制度が定められました(介護保険法制定 平成9年12月17日 法律第123号)。

特養に常勤医を置いた場合、介護保険上加算が付きます。入所者1人当り1日25単位です。しかし全国に9,700もある特養のうち、常勤医を置いている施設はわずか1%にしか過ぎません。理由は介護施設に医師を常勤させる意義が認められていないからです。制度上特養に常勤医師を置く役割が特定されていないのです。

介護保険の定義では「入所者に対する健康管理及び療養上の指導」を担う者とありますが、これは医療機関から派遣される配置医も同じで、両者の役割が区別されていません。しかし現場での両者の役割は大いに違っています。医療機関からの配置医は、2週間に一度介護施設を訪問して看護師から病状を聞いて薬を処方したり、検査をオーダーして帰ります。短い滞在で当面の医療処置をオーダーすることに関心が集中し、入所者の人生における医療の意味は二の次になります。

一方、特養の常勤医は入所者の人生を看ています。終焉の時が近づいて来たらわかります。他の職員、ご家族も入所者の人生に伴走していますから、常勤の医師を交えてこの際医療を継続するかどうかを検討できます。

介護施設に常勤医を置いているところが少ないもう1つの理由は、入所者数に比例する加算額では特養の規模が小さいと常勤医を置きたくとも、医師に回せる給与が確保できないという問題があります。この給与額の問題は、常勤医が複数の特養を兼任できれば解消できます。フランスにある「コーディネート医師制度*1」がそれです。フランスでは医師が複数の介護現場を担当しています。その上常勤医が、医療機関から来る配置医の医療の必要性を吟味し、余計な医療の差し控えを示唆、助言します。

我が国にも既に常勤医を配置している特養があります。社会福祉法人世田谷区社会福祉事業団が経営している世田谷区立特養「芦花(ろか)ホーム」、加えてもう1つの区立特養「上北沢ホーム」が例に挙げられます。同じ経営体の複数の特養に常勤医が居ますから、お互いに連携して入所者個々の意向や状態を看て、医療・介護両面から業務を評価することが可能となります。医師の休暇時は病院からの配置医も連携してお互いの業務をカバーし合えます。医師の誰かが常に関与してくれますから、職員たちは安心して働けます。スタッフの不安や矛盾がその都度解消され、目標を共有し、やりがいが醸成され、介護職員の定着率が維持されます。看取りについても、ご本人ご家族の希望があれば特養で最期を迎えることができます。そこでは人間性と組織の生産性においてケアが成果を上げています。

しかし、ここに来て浮上して来た問題は、医療と介護の連携ができていないわが国の現実です。介護施設に医師を二重に関与させるのは無駄だ、非効率だ、常勤医だけでよい、いや医療機関からの配置医だけでよいと意見は真っ二つに分かれています。医療保険ができてほぼ半世紀遅れて介護保険ができました。かつては介護の必要性が意図的に回避された可能性があります。事実、介護の重要性の認識が遅れています。

おわりに

私は医療と介護両方の場を通って来ました。そして思うことは、人間の一生、特にその終わる場のあり方です。そこでは人間としてどうあるべきかが問われます。

老衰は自然の摂理、受け入れるしかないのです。人間の考えた科学で無理に自然に逆らうと苦しい最期を迎えねばなりません。超高齢社会の今日、目指すべきは、人々が幸せな最終章を迎えることです。もともと医療と介護は、人の1回しかない人生の役に立ってこそ意義があるのです。それには医療と介護が単に連携し合うかどうかではなく、両者が一体となって人の一生を支え合う機構を立ち上げるべきではないでしょうか。

我々も自然の一部です。自然の摂理に従って、みんなで支え合って、ああこれで良かったと思ってそれぞれ自分の人生を平穏に終えたいものです。

〈注〉
*1
  カンディダ・デルマス、「フランスの介護施設におけるケア」(『生存科学叢書 ユマニチュードを語る』、2016)より

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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