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【特集:変わるインドと日本】
インド人看護師の国際労働移動とインド社会の変容

2019/11/05

  • 小田 尚也(おだ ひさや)

    立命館大学政策科学部教授・塾員

本稿は、インド人看護師の国際労働移動を通して、変容するインド社会について考察するものである。

インドにおける看護師の社会的地位

世界的に看護師および介護士への需要が高まっている。1970年代のオイルブーム以降、看護師を海外からの人材に依存してきた湾岸諸国での継続的な需要に加え、先進国での少子高齢化や人材不足、そして観光と医療を組み合わせたメディカル・ツーリズムの発展が更なる需要増加の背景にある。本稿で取り上げるインドは、フィリピンと並ぶ看護師の2大供給地として知られており、海外で働くインド人看護師の数は、若干古い推計値ではあるが、2011年時点で64万人であり(Irudaya Rajan, S. and Nair, S. による推計)、またOECD諸国で働くインド人看護師は、フィリピン人について第2位の規模となっている。いまやインド人看護師は世界の医療や介護の現場において不可欠な存在となっている。

グローバルに活躍するインド人看護師であるが、インド国内では看護師の社会的地位は低く、またキリスト教徒がなる職業と見られてきた。これは宗教的な慣習による制約とインドにおける近代的な看護職が英領インド時代のキリスト教布教に付随する活動として発展してきたことに大きく関係する。看護職は、浄と不浄という概念が強いヒンドゥー教において、汚物や患者の体液等に触れる可能性があることから不浄な職業の1つとして見られ、またイスラム教徒の間では、看護師が女性の場合、患者である見ず知らずの男性に触れる仕事ということで好まれない職業として位置づけられてきた。その結果、看護師の仕事はその社会的重要性とは裏腹に、身分の低い者が従事する仕事、そして奉仕の精神を重んじるキリスト教徒の仕事として認識されてきた。文献によると、第2次世界大戦の頃、英領インドにおける看護師の90%はキリスト教徒であり、看護師の80%はキリスト教系列の病院で看護師としての訓練を受けたと記されている(Nair 2012)。また英領インド時代、看護師へのなり手が少なかったことから、未亡人や離婚した女性、そして貧困家庭の子女を中心に看護職にリクルートしたことから、さらに看護師は身分の低い者が従事する職業との認識を植えつけることとなった。一方で、当時、これらの恵まれない女性にとって看護師になることは貧困から脱却する手段の1つであった。

インド人看護師の国際労働移動と社会的地位の向上

このようなネガティブな看護師へのイメージを大きく変えるきっかけとなったのが1970年代のオイルショックである。2度のオイルショックが引き金となり、湾岸諸国の経済が大きく進展した。病院等の医療設備の充実も図られ、その結果、看護師への需要が高まり、ケーララ州を中心とする南インドから多くの看護師が働きに出かけていった。これがインド人看護師の大規模な海外への出稼ぎ、すなわち国際労働移動の始まりであった。看護師たちは湾岸諸国でインド国内より高い給与で働き、インドに残る家族に送金することで、送り出し家族の家計の大きな助けとなった。その後、看護師が不足する英国、米国等の欧米諸国やオーストラリア、ニュージーランド等の先進国で働く機会が増加し、英語能力の高いインド人看護師たちはフィリピン人同様にこれらの国での就業機会を得ていった。湾岸諸国と違い、先進国への労働移動の目的は、単に高い賃金を獲得するのみならず、その国での永住権、市民権を得ることであり、これらの国への国際労働移動は看護師本人およびその家族にとって先進国のパスポートを所有することができる極めて重要な手段となった。一般化には躊躇するが、途上国の多くの人にとって、先進国での永住権や国籍を取得することは憧れであり、高い生活水準を手にすることを意味する。また裕福なインドの息子や娘、また兄弟が先進国に住み、その国の国籍を取得している多くのケースを見ると、先進国の国籍取得は、何らかの際に渡航先を確保しておくための家族の生き残り戦略の1つであるとも言えよう。

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