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【特集:変わるインドと日本】
世界に広がるインド舞踏

2019/11/05

  • 古賀 万由里(こが まゆり)

    開智国際大学国際教養学部講師・塾員

インド舞踊というと、インド映画の中で歌に合わせて大勢のバックダンサーとともに、主人公が踊る場面を思い浮かべるかもしれない。その踊りのリズム、ステップ、振り付けは独特で、モダンバレエやジャズダンスとも異なる。インド舞踊の歴史は長く、中世に建てられた寺院の壁画にすでに踊り子の彫刻が見られる。神も踊りが好きだったようで、南インドのタミルナードゥ州の寺院には、ナタラージャと呼ばれる踊るシヴァ神が祀られている。寺院では神々を喜ばすため、踊りが奉納されていた。踊り子の多くは、音楽コミュニティに生まれた女子か、子授けを祈願して子供を授かった夫婦が寺院に献上した女子である。踊り子はデーヴァダーシー(「神の下僕」の意味)と呼ばれ、神と結婚した僕(しもべ)として寺院で仕えていた。またデーヴァダーシーの踊りはシャディルと呼ばれた。

彼女たちの踊りは、宮廷や寺院で王や土地の有力者を魅了し、彼らから支援されるようになった。19世紀になると、デーヴァダーシーとパトロンとの関係が売春行為として、イギリス人から批判されるようになった。インドの知識人層の間でも議論が生じ、デーヴァダーシーは踊ることが規制されるようになる。しかし、デーヴァダーシーの踊りに芸術的な価値を見出し、芸術舞踊として残そうとする人々がいた。マドラス音楽協会の会員や、西洋文化の影響を受けたルクミニー・デーヴィという女性によって、シャディルは芸術舞踊、バラタナーティヤムとして再生する。

1936年には、インドで初の舞踊学校、カラークシェートラがマドラスに設立された。そこでは、バラタナーティヤムは寺院や宮廷で踊られた舞踊から官能的な動きを取り除き、曲も恋愛詩より神への信愛や神話を題材にしたものが多く踊られるようになった。また、デーヴァダーシーの踊りは音楽コミュニティの女子だけが踊ることができたが、カラークシェートラは、男女国籍、カースト問わず誰に対しても門戸を開いた。

1940年代には、インド映画にバラタナーティヤムのダンスシーンが登場するようになった。子役の舞踊家、カマラの踊りに魅了されたインドの一般家庭の親の中には、自らの子供を舞踊教室に送り出すものも出てきた。子供たちは、一定の曲を習得するとソロ舞台を披露することになる。ソロ舞台は生徒の親が全て出資するため、ソロ舞台を踏んだ女子は経済的にも豊かで、インドの伝統文化のたしなみがあると見なされ、見合いに優位であると言われている。

現在では、学校時代には熱心に踊っていた生徒も、大学を卒業して仕事についたり、結婚したりすると踊らなくなることが多い。配偶者によっては、妻が結婚後に人前で踊ることに難色を示すものもいる。そうした中でも舞踊を続けた人たちは、音楽祭の舞台で踊ることになる。音楽祭のシーズンは12月(元々はクリスマス週間だけであった)から2月で、チェンナイのあちこちの劇場で朝から晩まで、歌や踊りのプログラムが公演される。朝から夕方までのプログラムは無料で見られる場合が多いが、夜のプログラムは有料である。そこで登場するダンサーは、劇場からギャラをもらっているためプロとみなされる。

女性ダンサーが大多数を占める舞踊界だが、男性ダンサーも女性とは異なる魅力を発している。大きな劇場で踊るには、登録料を支払い、プロフィールやビデオによって選別されるのだが、最近ではアメリカなどに住むインド人も参加するため、シーズン中に大きな劇場で踊るのは競争率が高くなっている。

劇場に見に来る人々には、インドの伝統音楽と舞踊に通じている人と、そうでない人がいる。またインド国内だけでなく、海外の国々からもインド舞踊の生徒を中心に見に来る人がいる。日本からも、カラークシェートラや個人の舞踊教室に入り、何年もインドで学んでソロ舞台を踏み、日本で教室を始める人が少なくない。インド舞踊が西洋のバレエや日本舞踊などと異なるのは、様々な感情を顔や手を使って表現する点である。神話のストーリーや神、恋人に対する思いを詠んだ詩に合わせて、ジェスチャーで表現していくのである。ステップや手足の動きだけの場面もあるが、感情表現がかなり重要となってくる。インド舞 踊固有の身体の動かし方、表現の仕方、そして音楽も海外の人が惹かれる要素である。

振り付けや曲は、伝統的なものもあれば、舞踊家と楽師による創作もある。さらにコンテンポラリーダンスの影響を受けた海外や州外の都市のダンサーも舞台に登場するようになった。インドは世界に数多くの移民を送り出している。移民らによって、インド舞踊の種が世界中に播かれ、それがその国の文化を吸収しながら育っている。インド舞踊はインド人のためのインド人の踊りではなく、様々な国籍やルーツをもつ人々にとっての表現文化であり、鑑賞の対象となっている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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