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【特集:変わるインドと日本】
現代インド社会の諸相──見える/見えにくい変化

2019/11/05

見えにくい変化──トイレ事情

現モディ政権が前面に打ち出しているプロジェクトに、「クリーン・インディア」とよばれる環境キャンペーンがある。2014年10月に開始され、2019年10月のガーンディー生誕150周年記念までに、屋外での排泄慣行を撲滅させることなどを目標に掲げ、1億2千万戸へのトイレ設置や公衆トイレの整備・普及に取り組んでいる。2011年の国勢調査によれば、トイレを持たない世帯は全体で53.1%(2001年は63.6%)と半数を占めており、さらに地域差をみると、都市(18.6%)と農村(69.3%)で大きな格差が生じていることが分かる。農村部における野外排泄の問題は、日本でも公開されたインド映画『トイレ──ある愛の物語』(Toilet: Ek Prem Katha, 2017)を通じて知られるようになった。排泄物を不浄とするヒンドゥー教の伝統的な社会規範ゆえに家の中にトイレを作ることが敬遠され、野外排泄を余儀なくされている女性たちの困難な状況が描かれている。こうした問題が大々的に焦点化されたことは、モディ政権以前にはほぼみられなかったという点で、「クリーン・インディア」は評価されてよい。しかし、そのねらいは衛生改善を国内外の投資家にアピールすることや、ダリト(旧不可触民)の支持を取り込むための政治パフォーマンスにすぎないのではないか、という見方も否定できない。公衆衛生、さらにはインド社会の根本にかかわるカースト問題を克服するという視点が欠けているのである。

もうひとつのストーリー──カースト問題

ヒンドゥー教において、排泄物、廃棄物は不浄の最たるものと考えられ、それらとの接触が避けられない清掃、洗濯、動物の屍体処理の仕事はダリトに限られてきた。職業と身分意識は密接に関係しているのである。日本で公開されたインド映画『裁き』(Court, 2014)は、トイレ事情にかかわるもうひとつの悲劇を描いている。法廷劇を中心に展開されるが、前半に、「ある下水清掃人の死体が、ムンバイのマンホールの中で発見された」というエピソードがある(警察は「自殺」を主張)。インド社会で「下水清掃人」といえば、カースト最下層のダリト出身であることは明らかである。降雨量が増すモンスーン期(6〜9月)は、未整備の下水道から汚物を人力で清掃する多くの清掃人がマンホールのなかで命を落としていることは日本であまり知られていない。下水清掃人は日雇いで、防御マスクなどの十分な器具も与えられず、その労働環境は非常に過酷で不衛生である。人権侵害という観点からも廃止すべき職業として、1993年に禁止する法律が制定されているが、実際にはなくなっていない。過去10年間で1,800人近くの下水清掃人が作業中に窒息死しているというNGOの報告もある。社会問題として、ダリト出身の活動家たちによる下からの運動が海外の人権機関の資金援助を得て行われている。

社会が変化していく兆しは、このような周縁の問題を見つめるなかで見えてくることがある。人びとの意識のありようにも注目して、インド社会を理解する姿勢が求められるだろう。

「ムンバイの下水清掃人」(出典:写真家Sudharak Olwe氏より寄贈。弱者層の生活を記録するOlwe氏の写真作品は国内外で高く評価されている。2016年にインド政府として民間人に与える最高の栄誉の一つ、「パドマ・シュリー(蓮華勲章)」を受賞した。)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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