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【特集:「移民社会」をどう捉えるか】
2018年入管法改正──その政策的含意について

2019/07/05

歴史的な転換なのか――肯定的見解

一方で、今回の入管法改正は大きな転換であるという主張も十分に成立する。否定的見解の場合と同じく、3つの点から説明しておきたい。

第1に、日本政府が労働力不足を理由として海外から働き手の受入れを認めたという点で、つまり「フロントドア」を開いたことにおいて、今次の入管法改正には歴史的かつ象徴的な意味が見出せる。従来の政策方針からの完全なる訣別とまでは言えそうにないが、この点での意味は強調されてもよいだろう。同改正は、古くは「研修生」、「技能実習生」、「日系三世」らの就労を認めることで「サイドドア」と久しく揶揄されてきた日本の外国人労働者政策を、そのすべてではないまでも「正常化」させる1つのプロセスであった。

第2に、「特定技能」による受入れは、将来的には拡大運用されうる。日本の外国人労働者の代名詞とも言える技能実習生の受入れの過去を振り返ってみよう。それが始まったのは今から約四半世紀前の1993年である。制度発足当時、認められていた職種は20に満たず、1年間の受入れ規模は数千人程度であった。「就労」は最長で1年(研修と合わせれば約2年)に限られていた。

現在は、80の職種(144種の作業)を技能実習生に開放している。さらに、一時帰国を挟むと最長5年間まで就労が認められている。直近の2018年に技能実習生として入国した外国人は15万人に達していた。技能実習に観察された展開が「特定技能」に限って現れないという保証はない。今後の状況如何により、この在留資格が大きく「化ける」可能性は否定できない。

第3に、企業や事業主の意識の問題である。2018年の入管法改正による「特定技能」の新設に色めき立った人々や団体は少なくなかった。報道によれば「支援登録機関」の申請が4月19日までに1100件を超えたという。今でも日本では諸手をあげて外国から労働者を歓迎するというムードは決して強くないが、外国人労働者の受入れの賛否をめぐる報道各社等による昨今の一連の世論調査は、多くの場合、「賛成」あるいは「どちらかと言えば賛成」という回答者が過半数を占める結果を示している。

これまで表立っては受入れが推進されてこなかった分野において、外国人の雇用が公に認められたことの心理的影響は、可視化できないまでも無視はできない。外国出身の働き手を積極的に登用することが、かつてよりも多くの企業や事業主の前に所与の選択肢として浮上している。もはや変則的・例外的な人材確保の手段ではない。このことを、令和という時代を特徴付けるだろう一側面として指摘しておきたい。

政策的含意――入管法改正の「副産物」?

筆者自身は、改正入管法の目玉である「特定技能」の1号の導入は、付随する制度的な副産物を生み出したのではないかとの私見をもっている。副産物とは、第1に、「特定技能」の1号に対する「支援」の義務付け、第2に、就労が続く限り在留期間に限りがなく、家族呼び寄せや定住が認められる「特定技能」の2号の(1号との)併設、そして第3に、同時期に200億円以上の予算が計上された「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」の取りまとめ、である。

在留資格「特定技能」新設の背景的事情の1つは、技能実習制度のもとでみられた労働基準法違反の多発や低劣な就労環境、さらには時に失踪へと追い込む労働者搾取に対する一連の批判である。加えて、この制度が規定する家族呼び寄せの禁止や定住阻止の原則への道義的非難も思い出される。いずれも、程度の差こそあれ、入管法改正をめぐる国会審議でも議論され、頻繁にメディアに取り上げられていた。この経緯は、日本の外国人労働者政策、あるいは政府が否定するところの「移民政策」の立案において、こうした問題点に対して少なくとも形式上は応答しうる方策やルールを含むことを求めたと言えるだろう。

今回の入管法改正の主眼は、本来的には、必要な期間だけ、必要な職場に、必要な量の労働「力」を確保するということ、それ以上でも以下でもなかったはずである。しかし、多方面から長きにわたり数多くの批判と疑義を招き続けてきた技能実習制度の刷新版として、あるいはその延長上に新たな在留資格を設けるうえで、上述の「必要」性だけを前面に押し出して政策立案を進めるのであれば、周囲からの反発と摩擦は収まらず、法改正手続きに支障が生じる。外国から働き手を呼び入れる政策は、一義的にいって国益追求の現れでしかないにしても、このような自国都合主義的な道理を幾分でも中和するためには、制度設計上、ある種のリベラルさや人道性が要請される。この要請は、一種の政治的なバランス感覚として、義務としての「支援」、条件付きながら家族呼び寄せと定住の可能性を認める特定技能の「2号」、200億円規模の予算措置を伴う「共生」の策へと反映されていったのではないか。

というのはもちろん、筆者の憶測に過ぎず、確たる根拠もない。私見の適否はさておき、測られるべきは、こうした「副産物」が今後の日本社会に及ぼしうる実質的な効果であろう。すなわち、支援は当事者の就労環境を改善するのか。特定技能の2号を取得する外国人の数と、日本でのその定着率はいかほどか。「総合的対応策」は共生の進展に寄与するのか。それはつまるところ、外国人とホストたる日本社会の関係を健全かつ友好な方向へと導くのか。2018年の入管法改正が「歴史的転換」であるかどうかは、後年、こうした観点からも判じられることになるだろう。

筆者自身は、入管法改正をめぐる今回の一連の動向の社会的帰結を予測する能力を持ち合わせていない。周囲の多くの人は、状況は楽観をまったく許さない、とみている。このたびの入管法改正をめぐる「副産物」云々の筆者の憶測と比べると、これはよほど穏当な見方のように思える。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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