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【特集:『帝室論』をめぐって】
戦後の思想空間の中での福澤諭吉、小泉信三──『帝室論』に触れながら

2019/05/07

3 英国王室に見た「象徴」

松本試案が頓挫した後、GHQは独自に憲法案を作成し、それに従うように日本政府に求めた。ダグラス・マッカーサーはメモランダムを示し、連合国軍総司令部の民政局に日本国憲法草案の作成を命じた。これが1946年2月初旬であり、同月中旬までにGHQ案が作成されている。マッカーサーの提示には「symbol」という言葉はなく、「天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする」と記されていた。ただ、マッカーサーの当時発した機密電報から、「symbol としての天皇」はこの時点においてすでに彼の念頭に置かれていたとの指摘がある。

民政局で「天皇」の章を担当したのは、尉官クラスの将校であったジョージ・ネルスン及びリチャード・プールであった。彼らは英国の王位(Crown)を意識していたといわれている。その1つが、英国連邦結成を定めた1931年の「ウェストミンスター憲章」における前文であり、もう1つが、ウォルター・バジョットの『英国憲政論』における「symbol」としての王の存在に係る記述だった、といわれている。いずれも王位を「symbol」と表現し、あるいは「symbol」として存在することが可能であることが述べられている。前者はコモンウェルス統合という独立した国家の間における連邦形成に向けられたものだが、後者は王と国民との関係を正面から論じたものである。

1882年に刊行された福澤の『帝室論』でバジョットに言及するのは「帝室の財政」に係る箇所に限定されているが、王位の意義についてのバジョットの記述が『帝室論』に通底していることは容易に理解できる。王は政治外においてこそ、その国の人々に対して導きを与えるというバジョットの見立てを、福澤は見事に帝室論として表現し直している。

国会の政府は二様の政党相争うて、火の如く水の如く、盛夏の如く厳冬の如くならんと雖ども、帝室は独(ひと)り万年の春にして、人民これを仰げば悠然として和気を催(もよ)うすべし。国会の政府より頒布する法令は、その冷なること水の如く、その情の薄きこと紙の如くなりと雖ども、帝室の恩徳はその甘きこと飴の如くして、人民これを仰げば以てその慍(いかり)を解くべし。

小泉信三にとって、日本国憲法による象徴天皇の規定、すなわち天皇の非政治化は、日本の再生と復興の絶好の条件に映った。独立自尊の福澤哲学を受け継ぐ小泉は、福澤の『帝室論』の冒頭にある「帝室は政治社外のものなり。苟(いやし)くも日本国に居て政治を談じ政治に関するものは、その主義に於て帝室の尊厳とその神聖とを濫用すべからず」との記述を見逃さなかった。

4 天皇の非政治化:その方向性

敗戦は過去の言論の反転をもたらし、天皇はその反省の中心となった。日本国憲法は天皇の非政治化を実現し、その制度自体、将来における民主主義の判断に委ねる可能性を提示するものであったことから、象徴天皇制は当時の思想空間において、その存在に合意する抽象的なコンセンサスを獲得することができた。しかしその非政治化の先に何があるのか、という思想の形成はその空間ではほとんど展開しなかった。言論の反転によって過去の反省がデファクト・スタンダードとなり、「象徴」の積極的意義を追究することは当時の思想空間ではおおよそ射程外だったのである。

憲法学者は日本国憲法上定義のない「象徴」というキーワードを手掛かりに、日本国憲法によって定められる、あるいはそこに定めのない天皇の活動を、いかにして「象徴」との整合性を図るか、という難題を与えられ、その問題への解答に苦心した。バジョットの『英国憲政論』は刊行からすでに80年が経過していたが、「symbol」という言葉がごく僅かしか用いられていないこともあってか、その議論は参照点とはならなかった。

あるいは、想像の域を超えないが、知識人の多くは言論界で隆盛を誇ったマルクス主義者に忖度して、国家独占資本主義として非難する帝国主義戦争に勝利した英国にそのモチーフを見出そうなどとは、その発想の入り口にも辿り着かなかったのかもしれない。また、英国王制が自らのイメージする非政治化された王の姿とは乖離していると認識したのかもしれない。戦後間もない頃の憲法学コミュニティーでは「象徴」とされた天皇が「君主」といえるのか、あるいは「元首」といえるのか、そんなところに考察と討議のウェイトを置いた。戦後日本は果たして立憲君主制なのか共和制なのか、言論が反転した思想空間では、そういった類の形式的な概念論が論者にとって譲れない一線であったのだろうか。

しかし小泉信三はその思索の次元が異なった。天皇が「政治社外」のものであることが、日本にとっての真の近代化の条件であり、そこに日本の再生と復興の鍵があると考えた。

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