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【特集:自由貿易のゆくえ】
座談会:世界は保護主義とどう向き合うのか

2018/08/06

台頭する保護主義

清田 今までの話を受けて、若杉さんはこのような世界経済の流れをどのようにご覧になっていますか。

若杉 戦後の世界経済を振り返ると、かなり長い期間にわたって成長と貿易の拡大が相乗効果をもって実現してきた。その背景にはブレトン・ウッズ体制下で、自由貿易が大事であるという、確固とした理念による支えがあったのだと思います。

1960年代、70年代初頭は、自由貿易がどんどん広がっていく、非常によい時代だったと思います。その後、オイルショックの結果、先進国を中心にして経済成長が低下していく。そうなると、どうしても保護主義的な潮流が出始めます。

オイルショックの結果として、産業構造の変化が各国の経済構造に大きな変化を与え、それに対応できる国と対応できない国とが生まれ、両者の間で貿易摩擦が非常に大きくなってきた。そこで深刻化した貿易紛争を国際ルールに拠って克服すべきだという合意が生まれ、ウルグアイ・ラウンドを経てWTOができあがりました。

この経過の中で見えたのは、自由貿易というのは経済全体としては利益になる。ただ、必ずしもあらゆる人が等しく利益を受けるわけではなく、得る者もいれば失う者もいるということです。自由貿易の拡大と同時に、時として不利益を受ける側から反自由貿易、保護主義といったものが出てくる。

貿易が拡大すれば、摩擦が拡大するといったことはあり得るのですが、これまで多くの国々は戦前の苦い教訓を踏まえ、自由貿易が全体としては利益をもたらすということを理解して、保護主義を何とかコントロールしてきたのだと思います。

しかし、ここにきて残念ながらアメリカのトランプ政権では、自由貿易に反対する側が政策を左右し始めていることは否めないと思います。保護主義へと振れていく時代に入ってきたことが非常に危惧されます。

先ほど、清田さんがスムート・ホーリー法の話をされましたが、当時は経済状態が非常に悪く、農産物の価格低下に苦しむ農業者保護から保護貿易が始まったわけです。しかし、農業保護にとどまらず工業品の保護に広がり、アメリカと欧州の間で関税の引き上げの報復合戦が始まった。

今がそれと違うのは、アメリカ経済が良いにもかかわらず、全体の利益にならない保護主義の動きが政治的に発生していることです。保護主義をどうコントロールしていくかが非常に重要な局面になってきたと思っています。

清田 藤山さんは海外ビジネスの経験も豊富ですが、自由貿易をめぐる現状についてどのようにお考えですか。

藤山 商社などにいると、エネルギーや資源の確保、それから自由な輸出市場の確保ということで、自由貿易は国益に適うという感覚は常にありました。日本にとって自由貿易が非常に重要であると認識しています。

ただ、もちろん国によって、場面によってはモノカルチャー型の生産構造が固定化されてしまうとか、比較的競争力のある国であっても、食料とエネルギーの安全保障の問題など保護主義の誘惑は必ずあるのです。

それから、成長産業にしたいと目論んでいる産業に対して一時的に保護を与えるという考え方があります。総合商社などは、基本的に自由貿易を標榜しているわけですが、実は保護主義が出てきそうになったり、保護主義から自由貿易に変化する場面でわれわれは商機を摑むということがあるので、そのあたりの感覚は非常に研ぎ澄まして見ていました。

自由貿易というのは相対的に競争力のある産業を持っているところが、自国の国益につながるということで主張することなので、アメリカも競争力が強いと判断した時には自由貿易の旗手になっていく。ところが今回、アメリカが非常に古典的な保護主義を言い出しているのに、どうも競争産業に転化するだけの国内産業政策を準備していないように見えるところが大きな問題です。

一方、中国は自由化と保護主義の問題ということを長い歴史的スパンの中で考えていて、トランプ政権が保護主義を出してきたタイミングを捉えて、「一帯一路」を宣伝しながら、あたかも自由貿易を推進する旗手であるかのような発言をし始めているという興味深い状況があります。

私は自由貿易だけが揺れているのではなくて、今の市場原理のテーゼそのものが揺れているのではないかと考えているのです。近代をつくっている科学技術と市場原理と民主主義の3つが複雑に絡み合いながら、ここ300年間でグローバリズムをつくってきた。このグローバリズムそのものの規範が揺れている中に、「自由貿易のゆらぎ」というのを位置付けて考えないといけないのではないかと思います。

米中関係の推移

清田 滝田さんは、長年アメリカを記者として取材されてきました。

滝田 記者をやっていて印象に残っているのは、1990年代以降の世界の変化です。ちょうど1989年にベルリンの壁が崩れたわけですが、1990年代以降のグローバリゼーションはパクス・アメリカーナ(米国の覇権)・パート2という色彩が強いのではないか。

やはり90年代以降に、モノと金融を両方とも上手くコントロールするシステムを、アメリカがつくったということが大きいと思います。ITを含めた技術進歩も、アメリカにとって都合がいい仕組みをつくった。さらに、ウォールストリート・ワシントン・コンプレックス(複合体)のように、意思決定の仕組みもつくり替えていきました。

一方、中国もまさにWTOに加わることを1つの目標にして、その受益者として存在してきたのだと思います。

では、アメリカと中国の関係がどのようになっていたのかと言えば、いわば「割れ鍋に綴じ蓋」みたいな関係だったのではないか。典型的なのは2000年代、リーマンショック以前の米中関係です。アメリカで住宅バブルが起こり、非常に個人消費が活発になり、アメリカ経済が消費主導で活性化した。そのアメリカ人が消費するものを盛んに輸出することができたのが、WTOに入った中国でした。

つまり、2000年代前半は、アメリカ主導の世界経済の活性化と、そこにモノを供給して経済のテイクオフを成し遂げた中国の関係が、ミラーイメージ(鏡像関係)だったと思います。

さらに重要なのは、中国を含めたアジア諸国が貿易で稼いだお金を基軸通貨であるドル、つまりアメリカ国債に再投資した。そして、アメリカの金融市場、資本市場が活性化して、それをアメリカのファンドが世界に再投資する。お金のメカニズム、貿易のメカニズムが、アメリカを軸として成立して、それが上手く回っていたのが、2008年のリーマンショック以前です。

ところが、リーマンショック以降、その仕組みの立て直しが迫られている。それが今日までのフェーズです。

アメリカFRB(連邦準備理事会)のQE(量的緩和政策)が最たるものですが、世界の中央銀行が、無理をして金融主導で世界の経済を下支えし、リーマンショックから10年経ってみると、実体経済の指標はかなりいいところまできた。しかし、社会の中にある格差という矛盾はなかなか解決しないまま残ってしまっている。その不満が対外貿易、対外取引のほうに向かっているというのが現状なのではないでしょうか。

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