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【特集:自由貿易のゆくえ】
トランプ時代におけるEUの通商政策

2018/08/06

  • 赤川 省吾(あかがわ しょうご)

    日本経済新聞社欧州総局編集委員・塾員

「ほかの国を全面的に信頼できる時代は終わった」。

メルケル独首相が語ったのは1年前の2017年5月のことだった。国際協調に背を向けた米国のトランプ大統領。信頼関係が破綻し、戦後の世界秩序の基礎となってきた大西洋同盟が揺らいだ。

欧州にとっては、通商政策を見直せば済むという話ではない。エネルギーや外交、安全保障に至るまであらゆる政策を再検証する動きが広がる。自由や平等、人権の尊重といった「西洋の価値観」を誰がどう守るのか。米国の代替役をどこまで担うのか。そんな自問自答も始まった。米国抜きの国際秩序の模索である。

欧米関係は日米関係にあらず

日本から欧米関係を見つめる際に犯しがちな誤りは、日本の立場を欧州に投影することである。つまり、米国のアジアにおける同盟国の日本と、ヨーロッパにおける同盟国のドイツやフランスを類似のものと考え、「日米」と「欧米」を重ね合わせる。しかし、欧州と日本は対米政策の基本コンセプトを異にする。

対米協調か対米自主かという議論はあったものの、日本の戦後政治は、おおむね「ワシントンと溝があるのは好ましくない」と考えてきた。米国が唯一無二の同盟国である一方、昔はソ連、今は中国の脅威にさらされているという国民意識がある。「安全保障を頼る米国とは対立できない」という固定観念に異議を挟まず、対米追従と揶揄されながらも良好な日米関係を保とうと腐心するのが基本指針だったと言える。

だからこそ、自由貿易に水を差すような発言を選挙期間中から繰り返していたトランプ氏が当選しても「現実路線に転じるかもしれない」という願望を捨てられず、危機感が募ったのはようやく最近だ。安保が足かせになっているから、安保と通商を絡めるトランプ流の交渉術にやきもきする。

一方、欧州とワシントンとの間合いは違う。福祉国家を標榜し、セーフティ・ネットを重んじる大陸欧州諸国は、弱肉強食の英米型資本主義を拒絶する。米国の軍事力に頼り切っていた冷戦時代ですら、外交・安全保障政策で米国と距離を保つように心掛けた。

自らの経済・社会政策が米国よりも優れているという確信。ドイツ出身のキッシンジャー元米国務長官らに代表されるような深く広い人脈があることへの安心感。孤立を防ぐ欧州統合の存在もあった。

しかも、米国に頼りすぎれば自主性を失いかねないという懸念から、仇敵であるソ連・ロシアとも決定的な対立は避けた。1960~70年代に共産圏との融和を図る「東方外交」を展開したドイツ(当時は西独)には「安保を人質に取られ、米国に通商やエネルギー政策でつけ込まれたくない」という思想がある。エネルギーの多角化を図るため、ソ連からガスの直接輸入を始めたのも冷戦時代だった。そうした自立心が日本とは別次元の対米政策を可能にした。

表裏一体ではなかったからこそ、トランプ政権が発足しても「有能なビジネスマン」を信じる空気は最初からなかった。欧州外交の基本は粘り強い対話だ。折に触れ、国際協調に戻るよう米国を説得するが、それは政治劇であり、本心ではとっくにトランプ政権を見切っている。国際会議のたびに批判されても、あきれ顔で聞き流す。

欧州にとっての衝撃は、政策における温度差ではなく、むしろ少数派や人権の尊重といった「西洋の価値観」が共有できなくなったことではないか。仮にトランプ政権が経済で「米国第一」に転じても、価値観を守る姿勢を見せれば、ここまで関係がこじれることはなかったに違いない。

人種差別や女性蔑視などを連呼するトランプ大統領が、リベラル派の多い欧州の指導層に受け入れられる素地は小さい。そのうえ「ポスト・トランプ」で米国が正常化する保証もない。今日、欧州の政策当局者が「米国抜きの国際秩序」に備えて頭の体操をするのは当然のことと言えよう。欧州の通商政策を分析する際には、こうした欧州の立ち位置を知る必要がある。

再燃した米独論争

昔からドイツが標的だった。大統領になったら何をするのか。「メルセデス・ベンツと日本製品に税金をかけてやる」。そうトランプ氏が答えたのは28年前の1990年、米男性誌『プレイボーイ』でのインタビューである。

初志貫徹にして有言実行。今も主張は変わらない。貿易黒字をためこむドイツを「悪い、非常に悪い」と攻撃し、「不公平」だと不満を漏らす。保護主義との批判が巻き起こっても「(マンハッタンの)5番街からメルセデスが消えるまでやる」と宣言した。

トランプ大統領の祖先はドイツ出身。家族はメルセデス、マイバッハ、アウディといったドイツ車に乗っていると伝わる。なぜ、ドイツが攻撃の矢面に立つのか。

背景にはドイツ経済の強さがある。巨額の経常黒字と財政黒字という「双子の黒字」を抱え、失業率も極めて低い。成長をもたらす自動車輸出の3割は米国向け。トランプ政権から見れば、米国に600億ドル台の貿易赤字を押しつける一方で、自国の成長を謳歌する近隣窮乏策に見える。

しかし、ドイツに言わせれば、貿易黒字は改革を通じて手に入れた果実だ。ケルン経済研究所によると、ドイツの労働コスト(製造業)はユーロ圏平均を3割、日本を7割上回る。価格競争に巻き込まれるのを避けるため、ドイツ企業はブランド力を磨いて高付加価値帯にシフトし、カネを出しても買いたい製品に昇華させたという自信がある。輸出大国であり続けることへの焦りとおごりが自動車大手フォルクスワーゲン(VW)の排ガス不正事件を生んだが、メイド・イン・ジャーマニーへの誇りは揺らがない。

貿易黒字の解消を米国が迫り、ドイツがのらりくらりとかわす。そんな米独論争は1970年代から繰り返されてきた。因縁の対立が再び過熱しているのである。

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