三田評論ONLINE

【特集:変わるメディアとジャーナリズム】
座談会:ニュースの今、そして、これから

2018/06/26

フレームと行為を解体する

荻上 それがメタ化できるのは、ある種の知の特権みたいなところがある気がします。例えばツイッターの大多数は数十人とか数百人ぐらいのフォロワーがいたら多いという世界で、基本的にはプライベートな空間を生きている人たちが、結果として集合になるという意識です。ご指摘のように政治コミュニケーションを意図的、意識的に行っている人は少数だと思う。

しかし、レイシズムとかセクシズムについて今、ネットワーク分析をしているんですが、やはり一部のオピニオンリーダーの書き込みがリツイートされることによって、全体としての空気、意見が形成されていくわけです。ということは、ごく一部の人しか熱心にやっていなくても、その人の書き込みがリツイートされて閲覧されていくと、そうした意識が浸透していきます。

先ほどフレームの話を出していただきましたが、アーヴィング・ゴッフマンの議論でもそうですが、具体的なフレームというのは、僕は行為そのものに宿ってしまうと思うのです。例えば野党がそもそも反対しなければ議会制民主主義になりませんよ、ということが理解されずに、何だか野党は反対ばかりだというようなことがフレームとしてどんどん広がり、しかもそういったことを行為として言うことが政治的なリアクションとして正しいのだということが共有されてしまう。

しかもそれはむしろ政治的なコミュニケーションに関心がない人こそ、そうした行為をどこからか学んで、「そんなものでしょう」みたいな一言で済ませていく。こういう人たちこそ、むしろ感染度が高くて広がっていくということが起こっている。

だからそのフレームと行為を解体して別のフレームを提供するということが必要なのです。そのために専門知というものをウェブ上のより分かりやすいところに出していく。一方で、生データをなるべく出すことも同時にやる。この並行性が必要になってくると思うのです。 ヘイトスピーチやLGBT差別というものを何とかしなければという方向にアジェンダセッティングし直すことによって、「ポリコレ棍棒」と言われようが、これはならぬものはならぬのだ、ということを言い続けることは必要だと思うのです。

津田 でも、ネットというのはある意味フラットな空間なので、常に相対化され、本来は並べられるべきではないものが、すぐに並べられてしまうというのが非常に難しいところだなと思っています。例えば「これは問題だよね」と誰かが提起したら、すぐに、「いや、あなたはそういうことを言いますけど、あなたが支持している側にもこういう問題がありますよ」というような形の反応がすぐに返ってくる。

でも考えてみれば、その問題とここで言われている問題というのは、比較されるべきものなのか。ダブルスタンダードを指摘し合うところに回収されてしまい、議論がすぐに堂々巡りになる。ネット上のコミュニケーションはフラットだからこそ、歴史修正主義的ないい加減なものと、研究者が何十年もやってきたものとがすぐに同列に並べられてしまう。

荻上 そうですね。そのときは2周目を防ぐということが一つのミッションになると思います。慰安婦問題については、「Fight for Justice」という歴史研究者の方々が立ち上げたウェブサイトなどもあります。例えばテーマが上がったときに、いちいち相手にせずそうしたものをリンクを張って、「まずこれを読め」で済む。そういう格好をつくっておくことが一つです。

それから本来であればディベートをしてはならないテーマがあるのです。例えばSTAP細胞などはアカデミックに丁寧に積み重ねていくもので、ディベートをするものではないんです。歴史修正主義についても同じです。

そこでこそ、しっかりと「その論点についてはこういった検証が既になされています」というある種のログを残すことで、そうした反復を抑止することもできる。そのログを見せることによって、これはもう繰り返さなくていいのではないかという「ポジティブなげんなり感」といったものをシェアし、議論をいったん止めて、別のフレームに変えましょうと言うこともあり得るのではないかと思います。

津田 そういった形でいわばアカデミックな、これまで積み重ねられてきたものを提示するということは効果的ではあると思う一方で、アカデミックなものそれ自体を切り崩していくような流れが最近出てきていますね。

要は研究者といっても、結局、非常に党派的で狭いものの見方しかできない。だからそういった人たちが積み重ねてきたものは基本的に無効なのだと、学問の積み重ねを拒否していくような動きです。科研費に対して、いま国会議員などで問題視している人もいますが、アカデミックなものの土台というか信頼をどんどん切り崩していくような流れもあると思うんです。

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