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【特集:変わるメディアとジャーナリズム】
ウェブ時代のニュースと法規制──ドイツの事例から

2018/06/26

  • 鈴木 秀美(すずき ひでみ)

    慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所教授

1.ドイツのメディア不信

社会のグローバル化やソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の急速な普及を背景として、「メディア不信」が世界的な問題になっている。

ただし、筆者が比較法研究の対象としているドイツは、ヨーロッパの中でもマスメディアへの信頼度が比較的高いし、ニュースを知る手段としてネットの利用度も低い。いくつかの信頼できるデータを手がかりとして、東京大学教授の林香里は、「ドイツでは、新聞、ラジオ、テレビなどの伝統的メディアが、今日も基幹情報源として着実に利用されている様子が伺われる」と指摘している(林香里『メディア不信』岩波書店、2017年)。その背景には、1970年代以降、ナチスの過去の克服、自由社会の希求、リベラル左派の思想の尊重を特徴とする、いわゆる「リベラル・コンセンサス」が、広く一般市民に行き渡っているというドイツの社会状況がある。

とはいえ、そのようなドイツでも、数年前からメディア不信の動きがみられ、SNSを通じて発信される違法な情報、とりわけ難民に対するヘイトスピーチが社会問題になっている。具体的には、2014年末から盛り上がりを見せている、排外主義の右翼市民運動「西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人」(通称ペギーダ)や、2017年9月の連邦議会選挙で初めて議席を獲得した、難民政策を批判する政党「ドイツのための選択肢」(略称AfD)が、デモ行進や集会で「うそつきプレス」という言葉を掲げて、リベラルなメディアの報道を偏向だと批判している。ただし、この「うそつきプレス」という言葉は、ドイツでは19世紀に活字メディアによる世論操作を疑う際に用いられるようになり、ナチスによる新聞批判にも用いられたという歴史的経緯がある。このため、一般市民は、この言葉を使ってメディアに対して不用意に敵対的な態度をとることを控えるようになっているという指摘もある。

2.SNS対策法の成立経緯

2017年6月、連邦議会はSNS対策法を成立させた(同年10月1日施行)。この法律は、正式には、「SNSにおける法執行を改善するための法律」という名称であるが、本稿ではSNS対策法と呼ぶことにする。この法律は、その主たるターゲットがフェイスブックであるため、メディアの報道では「フェイスブック法」と呼ばれている。

フェイスブック、ユーチューブ、ツイッターなどのSNSの普及に伴い、ドイツでは、それらを通じてヘイトスピーチや名誉毀損など、刑法で禁止された表現が投稿されながら削除されず、刑事責任も問われず、そのまま掲載されていることが問題視されるようになった。アメリカや日本と異なり、ドイツではいわゆるヘイトスピーチが民衆扇動罪(刑法130条1項、2項)として処罰の対象になっている。民衆扇動罪は、特定の集団や住民の一部に対して、公共の平穏を乱すのに適した態様で憎悪をかき立てることを禁止している。また、1994年の刑法改正により、いわゆる「アウシュヴィッツの嘘」も禁止の対象となり(刑法同条3項)、2005年の刑法改正により、ナチスの暴力的支配及び恣意的支配の賛美や矮小化も禁止された(刑法同条4項)。

このうちとくに問題視されているのが、SNS上の難民を対象としたヘイトスピーチである。2015年に多数のシリア難民を受け入れたことがきっかけとなり、ペギーダの活動家たちだけでなく一般市民によっても、SNSで難民や難民を支援する人々に対する多数のヘイトスピーチが投稿されるようになった。ペギーダの設立者で元代表のルッツ・バッハマンのように、フェイスブックに難民を誹謗し、憎悪をかき立てるコメントを書き込んだことで、民衆扇動罪で有罪判決を受けた例もある(9600ユーロの罰金)。

しかし、2016年夏頃には、SNSによる多数の投稿について、犯罪としての捜査にも人的・物的限界があるし、SNS事業者の自主的取り組みでは問題を解決できないという見方が強まっていた。さらに、同年のアメリカ大統領選挙において、いわゆる「フェイクニュース」の問題も発生したため、ドイツでも何らかのSNS対策を講じる必要があると考えられるに至った。

なお、SNS対策法は、フェイクニュース規制法として国際的に注目を集めたが、その主眼は、刑法によって禁止されたヘイトスピーチや名誉毀損などの違法な内容のSNSへの投稿を事業者に削除させる点にある。本法案によりSNS事業者が対応しなければならない虚偽情報は、あくまで刑法が従来から犯罪として公表を禁止してきた一定の虚偽情報に限定されており、意図的な事実の歪曲を新たに一般的に禁止するものではないことに注意する必要がある。

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