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【特集:防災を考える】
座談会:来るべき地震災害にどう備えるか

2018/03/01

想定外を想定する訓練

山口 マンネリ化した防災訓練をなんとかしたいですよね。正解があって、それを達成することしか評価しないですから。

大木 予定調和なんです。

山口 アクティブラーニングと同じで、教師も学生も児童も考えさせなければ駄目だと思います。失敗前提でいろいろなシミュレーションをさせて、突発の状況を与えて君はどう考えるか、という訓練をしないといけないと思うのです。災害はどんな形で起きるか分からないし、被害の様相も千差万別で異なりますよね。

教師のマインドから変えないといけない。避難訓練をして、ケガなく5分以内にちゃんと校庭に出たということが先生の人事評価につながっている。それは行政の防災訓練も同じです。失敗したら得点3ポイントみたいな形に失敗と改善を尊ぶ文化に変えていかないといけないのだろうなと思います。

大木 学校の先生は安全担当者の1人が全児童と全教職員の責任を負っているので、その人がやる気があってマニュアルを変えても、その年たまたま地震が起きて被害があったら、「結局前のほうがよかったじゃない」となる。だからすごい勇気が必要なんです。結局どうなっているかというと、新任の先生とか、転任して赴任地1年目とかいう先生が担当していることが多い。

そこで、私は教員研修の教材として小説を書いたんです。「何月何日の何時何分に地震が起きる。そこで1年生がキャーッと悲鳴をあげて、その悲鳴が悲鳴を呼ぶ。停電で放送が聞こえなくなり、教室内待機なのに誰かが校庭に行ってしまったからみんな校庭に焦って向かい、昇降口の一番危険なところで一番大きい余震が起きた。校庭に集まったら、今度は1年生が「トイレ」と言って、トイレが流れなくて、地震とは何も関係なく雨が降り出した」と書いて、「どうですか。これを聞いて不安になったことを話し合ってください」と言ったんです。

そうすると、自分のクラスの子の顔が見えてきてたくさん意見が出てくるのです。いまは冒頭部分だけ書いて、「続きの小説をあなたのクラスを想定して書いてください」とやっています。そういうふうにクリエイティブにしたら上手くいったのです。例えば自分はガラスが割れていると思っていなかったけど、「ガラスが割れていたが、6年生ならば通れると言って廊下を通して避難させた」とか他の先生が書いていると、新しいパターンに出会えるわけですね。つまり、他人のストーリーに出会うことで何が起こるか分からない想定外を疑似体験できる。

廣井 そこは東日本大震災の1つの教訓で、われわれも正解を知らないのですよね。防災というのは、当然避難所と避難場所は何が違うかとか、わが国ではどこでも地震が起きる可能性があるといった最低限の知識は紹介できますが、その先の話はわれわれが教えることでもないと思うのです。

特にまちづくりなどになると、地域をどうしたいかは地域の人が考えることなので、彼らの発想をお手伝いすることがわれわれの仕事なのではないかと思います。災害リスクとどう付き合うかは人によるし、状況にもよります。

大木 そうですね。「どうしても寄り道しておばあちゃんを助けてから津波の避難をしたいのだ」と言う人に対して、「いやいや、最短距離で行かなければいけないですよ」と言えませんよね。それぞれの価値とどうやって折り合いをつけていくかですね。

山口 情報通信の分野から防災分野に入ってきた人間として申し上げると、通信の世界は技術標準とかグローバルなルール作りがしっかりしていないと、そもそも携帯電話がつながらなくなってしまうという、いわば統制の世界なんです。でも、防災分野はそれとは正反対だというのがよく分かりました。

熱意ある人は頑張っているのだけれど、バラバラで統一感がなくて、国家としてまとめよう、ルール化しようという動きが薄い。災害の被害想定は地域で異なるので、地域ごとに多様性があってもいいけれど、誰かがまとめないと効率が悪いじゃないですか。例えば慶應発のモデルを出していくとか、国家としての標準案を示していくことが重要なのではないか。多様性とイノベーション創出のバランスをうまく取るような防災行政が欲しいですね。

大木 いまはリスクがどんどん個別化されているんですね。個別のリスクが見えてくると、防災マニュアルでできないものに対して、個別化を尊重しながら、どうやって標準をつくるかということが重要なのだと思います。

例えば防災についてのシミュレーションの物語も全国の教科書に同じものを載せたら意味がないと思うのです。うちの小学校はこれだけ外国人の児童がいる地域なのでこういうふうにしました、としてほしい。だけど、物語を先生方でつくる研修をすると有効だということは標準化できる。そのように根幹には一定の標準があるようなものができるとよいのではと思うのです。

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