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【特集:防災を考える】
座談会:来るべき地震災害にどう備えるか

2018/03/01

災害時の医療人の役割とは

山崎 意外と純粋に医療で助けられる命は少ないと思うのです。直接死で下敷きになった人は、もしかしたら頑張れば1人や2人は助けられたかもしれない。でも、関連死を医療の力で本当に助けられるかというと、その人たちは病院に入院しているわけではないので、むしろいま言われたような情報などが重要になってきます。医療人も医療だけではなくて介護、福祉、保健、 それこそ都市工学的に建物や道路も理解していないといけない。

僕は学生のときに阪神・淡路大震災のボランティアに行って、区役所の仕事をひたすら手伝っていました。そのように医療人ではない立場で震災ボランティアをやった経験からすると、「私は医療人だから医療だけで人を救う」ということではたぶん駄目なのだろうと思います。

医療人は医療の情報は普段からそれなりにパイプがあるのですが、介護、 保健、福祉などの方と基本的にあまりパイプがない。いまは高齢化社会なので、介護、医療、福祉はシームレスに しようと普段から少しずつ進んではいるのですが、それでもまだ分断している感じがあります。

山口 災害時の医療というのはマスの情報をまず捉えなければいけないと思うのです。いまここで感染症が流行し始めているから重点的に対応しようということが分かる情報収集手段が必要で、そこにAIを使えないかなと思っているのです。整理した情報は多職種で電子的に共有できますしね。

集まってくる情報は定型化されたデ ータだけではなくて、自由記載の状況報告もいっぱいある。それも日本語を解読するAIで整理して、「ここでいま肺炎が起きています」というような情報をすぐに取り出せるような形にしたい。

山崎 DMATをやっていない救急医から、「情報を集めるような仕事を医者がやる必要があるのか」と言われたことがあります。東日本大震災でも医者はたぶん500人程度行っていると思いますが、せっかくのDMATの特性である機動力のある医療部隊の力が別に使われてしまっているのではないかという指摘を受けたことがあります。

山口 誰が最初に避難所へ入れるかというと、保健所の保健師たちも自治体の職員もすぐに入っていけない。そうすると、DMATが一番先に入るという現実があって、健康に関わる避難所のアセスメントも同時にお願いするということになってしまう。

山崎  一見、「なんでDMATがそれ やっているの」と言われることは確かにあるのですが、自然とそういう流れになっているところもある。医療人には、一見そうは見えなくても医療人がやる必要があるという仕事があるのだということは分かってもらいたい。

医学部で医学の勉強をして卒業して、そのまま病院で働いて医者になっていると、その発想が湧きづらいんです。大体医師は自分のフィールドだと一番偉い立場に立つことが多いので、ほかのエリアの人と横並びで働くということは案外ない。分野を超えた付き合いが下手な職種ではないかという気がします。

分野を突破する仕掛け

山崎 そういう意味で慶應のような総合大学に期待したいのは、分野を突破できる仕掛けです。医学部とSFCが一緒に授業をやって防災を学ぶとか、一貫教育校で医療も含めて災害の勉強をするとか。

大木 AEDの使い方をいま中学校や高校で教えていますが、実は最初に始めたのは慶應の志木高校で、山崎さんも関わったんですよね。

山崎 そうです。最初は結構ハードルが高くて。AEDを置くとむしろ責任が発生するので置かないでくれという変な話もあったりしました。

そのとき思ったのは、慶應という組織はそういった新しいことを広める発信力がすごくあるなということです。卒業生たちが将来日本の第一線で働いていくということを考えると、慶應の教育の中でぜひ防災についても議論や仕組みをつくってくれるといいのではないかと思います。

小学校などでいまだによくやられている、ただ行列を組んで校庭に出るだけの避難訓練を変えていかなければいけない。そういったところも慶應の一貫教育校から変えていけば、日本全国にすごい発信力があると思います。

山口 その話はとても共感するところがあって、AIやSNSを防災・減災に取り入れようという話を消防や警察に持っていっても総じて反応が鈍いのです。イノベーションを現場に起こして、最新技術を社会実装するにはすごいエネルギーが必要です。

イノベーションの先には大きなメリットがあるんだよ、と説得するためには、異分野の先生方がまとまると突破できる。AEDはイノベーションの最たる例ではないですか。そういったものを慶應の中のネットワークでどこかで実証をしながら効果を出して、横展開していくのがよいと思います。

山崎 AEDはもちろん医療の技術なのですが、技術だけでは人は救えない。使ってもらえなければ駄目で、使う人の教育もしなければいけない。それを全部突破して初めて人の命を救うことができるようになる。そういう一つ一つの積み重ねが、慶應の中でまとまれば結構いけるのではないかと、AEDを広めたときに思ったのです。

いまでこそ学校でAEDと救命講習を教えるのは当たり前みたいになってきています。防災の教育も慶應ではもう普通にやっていますと言えると、10年後の日本が少し変わるきっかけになるのではないかと思います。

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