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【特集:防災を考える】
座談会:来るべき地震災害にどう備えるか

2018/03/01

  • 山崎 元靖(やまざき もとやす)

    済生会横浜市東部病院救命救急センター長

    塾員(平7医)。慶應義塾大学医学部救急部助手、東北大学大学院医学系研究科救急医学分野助手等を経て2008年済生会横浜市東部病院救急科医長。17年より現職。慶應義塾大学医学部救急医学非常勤講師。東日本大震災時には医療救護班派遣として南三陸町で活動。日本DMAT隊員。

  • 廣井 悠(ひろい ゆう)

    東京大学大学院工学系研究科准教授
    塾員(平 理工、 理工修)。2007年東京大学大学院工学系研究科博士課程中退。名古屋大学准教授を経て16年より現職。東京大学卓越研究員、JSTさきがけ研究員(兼任)。博士(工学)。専門は都市防災、都市計画。東京都「今後の帰宅困難者対策に関する検討会議」座長も務める。

  • 山口 真吾(やまぐち しんご)

    慶應義塾大学環境情報学部准教授(有期)
    1995年早稲田大学理工学部電子通信学科卒業。同年郵政省(現総務省) 入省。99年英国City University修士課程修了。総務省情報通信国際戦略局国際経済課企画官等を経る。大規模災害時の非常用通信手段の在り方に関する研究会等、防災ICTシステムについて広く研究。

  • 大木 聖子(司会)(おおき さとこ)

    應義塾大学環境情報学部准教授

    2001年北海道大学理学部地球惑星科学科地球物理学専攻卒業。06年 東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学科博士課程修了。理学博士。東京大学地震研究所助教を経て13年より現職。専門は地震学、災害情報、 防災教育等。著書に『家族で学ぶ 地震防災はじめの一歩』等。

東日本大震災を振り返って

大木 2011年の東日本大震災からこの3月で満7年を迎えます。今日は様々な知見をもっている方々にお集まりいただき、東日本大震災を振り返りつつ、来るべき地震災害にどう備えるかを議論していきたいと思います。

東日本大震災以降、「防災・減災」についての研究は各分野で進んでいるのですが、それをどこまで次に生かせるか。各分野の「防災」研究がいくら進んでも完全に被害を防げるわけではないので、逆にその「限界」も知ってもらうことも必要かと思います。

まず、東日本大震災の教訓と言いますか、この巨大な震災をあらためて振り返ってみたいと思うのですが、地震学の見地から先に私から少し申し上げます。東日本大震災のようなプレート境界で起こる地震は、熊本地震や阪神・淡路大震災のような直下型の地震に比べておおかた分かってきていると思っていました。もう少し頑張れば、プレート境界で起こる地震は、起きたらどのぐらいの規模になるか等、何月何日という日時の予測以外はできるようになるのではないか、という認識でいて、特に宮城沖などは分かりやすいと思っていました。

ところが宮城沖、福島沖、岩手沖と 広範囲に渡って同時に動き、マグニチュードが9までになる地震となり、巨大な津波も来て原発の事故をも引き起こした。想定外だと言うと社会からお叱りを受けるのですが、東日本大震災を引き起こした「東北地方太平洋沖地 震」というのは、地震学者にとって、比較的研究の進んでいたプレート境界地震ですらわれわれは分かっていなかったのだ、ということを突き付けられた地震でした。

当時現地に医療活動支援に入られた 山崎さん、どんな様子であったか振り返っていただけますか。

山崎 震災発生後、医療救護班派遣ということで宮城県の南三陸町に行きました。近年の日本の災害医療は、阪神・淡路大震災(1995年)が出発点で、そこで、助けられる命があるのに助けられなかったということからDMAT(災害派遣医療チーム)や災害拠点病院、情報通信環境などを整備していったのですが、その備えが東日本大震災でも十分生きていなかったところがあると思います。阪神・淡路ではがれきの下で医療を展開し、ケガ人を治療するのがメインだったのが、東日本では津波でさらわれた人は亡くなっているし、逆に取り残された人にはほとんどケガはなかったのです。

でも、やはり助けられたはずなのに助けられなかった人というのは一定数発生しています。医療を継続できなかったり、もしくは高々15年ぐらいしか経っていないのに、高齢化の問題が非常に大きくなっていた。さらにその後の2016年の熊本地震では災害の直接死は50人程度でも、災害関連死が200人を超える見込みです。この関連死というのは健康を害して亡くなるわけですが、いままでの医療のアプローチと全然違うアプローチをしないとこの人たちは助けられないと医療者として感じていて、そこを変えなければと思います。

大木 助けられたはずなのに助けられなかった人というのは、東日本の場合は薬が足りなくなるとかいうことですか。

山崎  東日本の場合、病院までたどり着いて亡くなった方のうち1、2割の方は防げた死亡という形で推計されているのです。やはり医療の継続が断ち切られたということです。高齢者だと医療や介護が入ることで命が支えられている人がいて、それが途絶えると亡くなってしまう。高齢化に伴いそもそも医療や介護があって初めて生き続けられているという方が地域にたくさんいらっしゃる。そこが阪神・淡路のときとずいぶん違う。もちろん都市部と 地方部という違いもありますが、高齢化の進展もすごく大きいと思います。

大木 東北は、こう言うと語弊もありますが、ある意味で日本の高齢化の先取りをしていた地域ですよね。今後来ると想定されている南海トラフで大きな被害が予想される高知県土佐清水市なども、現在高齢化率が46%です。


山崎 熊本地震でも震災関連死者の8割方は高齢者です。よって直接死を防ぐことも大事ですが関連死の予防もすごく大事だと思っています。首都直下も、それほど高齢化が進んではいない地域かもしれませんが、ものすごい人数がいるので、医療や介護が途切れて亡くなる方の人数は計り知れないのではないかという怖さを感じています。

情報通信の重要性

大木 山口さんは情報通信や人工知能 (AI)の分野から防災に貢献することを研究していらっしゃいます。

山口 東日本大震災では、情報通信の重要性を関係者が身に染みて分かりました。2日後の3月13日になっても固定電話や携帯電話の通信が全く駄目でした。固定回線は190万回線が被災し途絶しました。携帯電話基地局は2.9万局が広域に止まってしまった。

インフラの被災というのは2種類あって、津波で流されてしまった、火災に遭った、倒壊したというパターンと、電源が落ちて機能停止してしまったパターンがあります。携帯電話には「輻輳」(ふくそう)といって、通話が集中することでつながりにくくなることもある。そういったインフラのダメージが史上最大だったので、これをなんとかしないといけないということが一番の教訓だったと思います。

震災後に医療関係者にインタビューしてみると、医療サービスの提供が通信の途絶によって支障が生じたケースがあったことが分かりました。災害が起きると病院は患者の受け入れや入院患者さんの給食手配、それから職員の安否確認などで電話をかけまくりますが、それができなくなる。さらに薬剤がないとか、ナースコールが故障してしまったということも多くて、通信が途絶したことで救えなかった命も多くあったのではないかと思います。

対策として通信インフラを物理的に頑丈にしたり、2重ルート化によって冗長系を組むことはできるけれども、それをするなら、携帯料金に月20万円払いますか? ということになって しまう。携帯各社のサービスはぎりぎりのところでコストを抑えているので、その前提で、医療業務も、公共サ ービスも非常時の連絡手段を別に用意しないといけないと思います。防災・減災分野は一番イノベーションが立ち遅れた分野だと私は思っています。電話、ファックス、ホワイトボードなど、いま皆がネットを使っている時代にレガシーシステムに凝り固まっている。これからは新技術を上手く使って、最終的に人の命を救うという形に持っていきたいと思っています。

大木 阪神のときは、携帯電話はまだ普及していなかったので通じやすかった。しかし、その後皆が持つようになって、3・11のときは携帯が全然通じないという事態が起こった。LINEの普及は3・11以降ですね。

山口 そうです。戦争が起きると科学技術の革新が起きるとよく言われるけれど、災害が起きるとメディアや通信の技術革新が促されるところがありま す。インターネットの一般への普及が本格化したのが阪神の後ですし、熊本ではLINE電話が非常に多く使われ、ツイッターも普及していろいろな情報が出てきた。そういうイノベーシ ョンの出現を考えれば、次の南海トラフや首都直下では、AIやスマートス ピーカーのような技術を使いこなしていく時代になるだろうと思います。

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