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【特別記事】メルケル首相、塾生と語る

2019/06/12

ドイツのマイノリティーに対する政策と子育て支援

学生2 法学部政治学科1年の学生です。私はドイツに対して、障害を持った人たちやLGBTの人たち、移民の人たちなど、マイノリティーの人たちに対して、とても寛容な政策を取られているというイメージを持っています。メルケル首相にとって、寛容の価値とは何か、またマイノリティーの人たちに対してどういった政策をするべきなのか、ご意見を伺わせていただけたら幸いです。

メルケル たしかにドイツは寛容な国だと思います。寛容な態度をとらない人ももちろんいますが、ドイツは寛容な国であるように努めています。例えば障害を持つ人のために、どうしたら最もよい教育のしくみをつくることができるか、長い間議論してきました。

それはイデオロギー論争とも言えるものです。以前は特別の学校で学習させるという考え方でしたが、その後、いわゆるインクルージョン教育として障害を持つ子ももっと通常のクラスに受け入れるべきだ、という声が上がったのです。これは、どちらか一方が解決策ということではなく、どちらの道も必要で、大変な論争となりました。ドイツでは各連邦州が学校教育に対して権限を担っていますから、それぞれの州で対応が異なりました。支援学級を導入した州もあれば、しなかった州もあります。

少数者、あるいは同性愛者に関しても、社会全体で広汎な議論があり、今では同性愛カップルの婚姻が可能になりました。ここでも、すべての人々ができるだけ同等な形で社会参加ができる道を模索してきたのです。それは長い道のりでした。

1970年代にはまだ、妻が働きたいと思ったら、夫に働きに出てよいかどうか、伺いを立てなければなりませんでした。今日なら笑ってしまうし、想像もできないことですが、昔は今と同じではなかったのです。

子育てに関しては、ある制度を導入したことによって、人々の考え方が変わった例があります。ドイツでは、子どもができて休業をすると、それまで得ていた給与額の約60%からのいわゆる「父母手当」が支給されます。両親のうち、より稼ぎの多い一方が申請してこれを受給することもあるでしょう。両親の両方でこれを申請すると、12カ月ではなく14カ月分支給されます。2カ月のいわば「父親付加月」が付くのです*1

この制度の導入の結果、それまでよりずっと多くの父親たちが自分たちの赤ん坊と関わるようになり、「子育ては大変な仕事であって、母親は家でらくらくと座って暇を持てあましているのではないのだ」と認識するようにもなりました。これは、働き方全体にも変化をもたらしました。子育てのために職場をしばらく離れるのが妻なのか夫なのかがわからないからです。私たちは、社会におけるこうしたプロセスを通じて前進してきたのです。

(多くの塾生が挙手しているのを見て)あらあら、これはすごい(笑)。では3列目の女子学生にお願いしましょうか。

ドイツのエネルギー政策

学生3 私からの質問は、原子力発電に関してです。まず、ドイツは東日本大震災後にいち早く脱原発を宣言されましたが、その後の原発の廃炉のプロセスは順調かどうかを伺いたいです。もう1つは、日本はいまだ稼働中・停止中を含め海岸線に50基以上の原発が並んでいますが、それに関して、例えば国外からの攻撃の脅威など、原発が存在することの危険性についてどうお考えでしょうか。

メルケル ドイツは、福島第1原発の事故を受けて、原子力エネルギーから撤退することを決定しました。2022年末までに完了する予定で、最後の原発が2022年に停止されることになります。以前から私たちは日本の原発は非常に安全である、と評価していたわけですが、それでもあのような人智を超えた想像できないような事故が起きてしまった、ということが当時のこの決定の背景にあります。そこで脱原発という結論に至ったのです*2

もっともドイツには、それ以前に2022年頃の脱原発を決定していた政権(訳注:シュレーダー政権のこと)があり、それを撤回して、もっと時間をおいてから原発から撤退するとした政権(訳注:第1次メルケル政権のこと)がありました。福島の事故の後は、かつて歩み出した道に戻ったということになります。こうして今から3〜4年後には、ドイツはもはや原子力を使う国ではなくなるでしょう。いずれの国も、こうした決定は自ら下さなければなりません。

日本では原子力エネルギーに対してあまり批判的な議論が起こっていないように見受けられます。原子力の比率を高めようとしていると書かれているものを読みました*3。学生の皆さんの中では、それに反対するような議論があるのか、それとも誰もがそれで構わないと考えているのか、興味があるところです。

原発はその稼働において、まず特定の危険を伴うものであり、これらへの安全策を講じることは可能でしょう。しかしその後、数十万年もつき合わなければならない核廃棄物の問題もあります。ですから、最終処分ももちろん大きな問題です。

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