【特集:科学技術と社会的課題】
牧 兼充:スター・サイエンティストを核にしたサイエンスとビジネスの好循環の創出
2024/08/05
スター・サイエンティスト研究から考えるべきこと
慶應義塾大学がスター・サイエンティストを中心としたイノベーションのエコシステムを強化していくにあたって、そのエコシステムに関わる人が、その認識を改めるべきことが何点かあるように思う。
第一は、研究と社会実装の関係の再定義である。日本においては、研究と社会実装は代替的な活動である、という認識が強い。時間は有限であるため、社会実装に関わることにより、本来的な研究のパフォーマンスが下がるという懸念である。しかし実際には、研究と社会実装にはトレードオフは存在せず、むしろ相乗効果が発生する。従って、より優秀なサイエンティストには、研究パフォーマンスの低下を心配するよりも、積極的に社会実装の関与を勧めるべきである。
第二に、サイエンティストの社会実装の役割の再定義である。日本では、研究のみに関わるサイエンティストは「象牙の塔」に籠った人であり、研究パフォーマンスが下がってでも、社会実装に多くの時間を割くサイエンティストの方が、スタートアップに向いていると考えている人が少なくない。だが本当に重要なのは、サイエンティストの関与により、サイエンスとビジネスの好循環を生み出すことであり、サイエンティストがスタートアップの経営に関わることとは異なる。
第三に、スター・サイエンティストの適切な定義がエコシステム全体に浸透することの重要性である。スター・サイエンティストとは、産学連携が得意な人でも、スタートアップ経営が得意な人という意味でもなく、卓越したサイエンスを創出できる人である。この定義を歪めてしまえば、大学における「サイエンスとビジネスの好循環」は止まる。
慶應義塾大学の未来へ向けて
慶應義塾大学のスター・サイエンティストの分析を行った結果、示唆的なことがいくつかあった。
第一点は、より多様な人材に開かれた大学であることの重要性である。個別領域のスター・サイエンティストの6人中5人は、他大学で博士号を取得した後に慶應義塾大学に異動している。スター・サイエンティストの人材育成には、今まで以上に経験の多様化が重要であり、外部からの人材の呼び込みが重要である。スター・サイエンティストの育成と活躍を慶應義塾大学内のみで内製化できるとは考えない方が良い。
第二点は、異分野融合の重要性である。個別領域のスター・サイエンティストは他大学出身者が多い一方で、クロスセクションのスター・サイエンティストは慶應義塾大学出身者が多い。更には、実際にスタートアップに関わるサイエンティストも慶應義塾大学出身者の比率が高い。サンプル数が少ないために確定的な判断は避けるべきではあるが、この背景には慶應義塾の持つ異分野融合や産業界との距離に関する文化があるのかもしれない。
慶應義塾大学のスター・サイエンティストの分析から、慶應義塾大学の持つ強みと弱みが見えたようにも思う。
ところで、慶應義塾大学が世界を先導する科学・技術を引き続き創出する役割を担うために、未来のスター・サイエンティストはどの程度いるのであろうか。我々の研究グループでは、「スター・サイエンティストの卵」研究も行っており、その結果の一部をご紹介したい。スター・サイエンティストの卵を検出するにあたっては、
1. インパクトの高い研究:2008年から2016年に、ファーストオーサーとして、高被引用論文を2本以上出していること
2. キャリア初期から中期:1998年-2008年に博士号を取得していること
の2つを条件とした。その結果、日本では177人のスター・サイエンティストの卵がいる。その中で後日、実際にスター・サイエンティストになった人は31人おり、全体の17.5%であった。この177人のうち、現在慶應義塾大学に所属しているサイエンティストは7人である。この数字は日本の組織の中では6位にあたる。スター・サイエンティストの人数では14位であったことを考えると、慶應義塾大学は、現在のスター・サイエンティストよりも、未来のスター・サイエンティストをより多く抱えている大学であるのである。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2024年8月号
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