【特集:科学技術と社会的課題】
山本 龍彦:大学における科学技術と人文知の交差 ── X Dignityセンター設置の背景
2024/08/05
2. パラダイムシフトと学際
筆者は、社会秩序が根本的に変動するパラダイムシフトの最中には、領域の交差や対話がより必要になると考えている。おそらく(異論もあろうが)、直近のパラダイムシフトは、ルネサンス期に始まった、神を中心とした「神の秩序」から人間を中心とした「人間の秩序」への移行である。「近代」と呼ばれる現在の社会システム、すなわち「人間の秩序」は、ルネサンス、宗教改革、宗教戦争、市民革命などを経て段階的に形成されたが、それには学知の積極的な交流が不可欠だった。13世紀、既に神学者トマス・アクィナスは、神学とアリストテレス的哲学の総合を試み、近代化への礎を準備していたが、その確立にはさらなる学知の交差が必要だったのである。例えば、17世紀の哲学者スピノザは、大胆不敵にも自然科学の視点から聖書を読み、その真理性を否定して(スピノザによれば、聖書に登場する奇跡の多くは単なる自然現象か、預言者の誤った知識による)、「神の秩序」を徹底して相対化し、人間の契約による国家樹立の必要性を説いた。近代化に決定的な影響を与えたホッブズも、社会契約論をものにした政治哲学者であると同時に、ユークリッド幾何学や光学に精通した自然科学者であり、メルセンヌ・サークルを通じてガリレオらと交流していた。こうした知的交差が、彼の優れて現実的な人間観を育み、不世出の『リヴァイアサン』に結びついたと言っても過言ではない。近代啓蒙主義を発展させたカントもまた、処女作『活力測定考』から窺い知れるように、ニュートン力学の影響を受けた自然科学者でもあった。パラダイムシフトには、旧秩序(神の秩序)の非科学性を暴く自然科学者(ガリレオやニュートン)と、それに新たな「物語」を与える人文社会科学者(ホッブズやカント)との協働が不可欠だったのである(後述のように、近代啓蒙主義的「人間」観の非科学性が暴かれつつある現状の突破にも、両者の協働が確実に必要となる)。
また、近代化に向けた精神ないし文化の形成には、ルネサンス期から17世紀前半にかけて活発化した、私的な知的同好会「アカデミー」の影響が大きい。そこでは、印刷技術の発展などで教養を得た商人たちと学者が知的で自由な会話を楽しみ、時に音楽付きの晩餐会さえ用意された。「数学と音楽、詩が同居するような」アカデミーでは、当然ながら、文系・理系の区別は強く意識されない(隠岐さや香)。このような、非制度的で領域横断的な「知の連環」が、近代化にむけた市民文化を醸成し、市民革命などに結びついていったことは多言を要しないだろう(こうした私的なアカデミーは、その後、有力王侯貴族の庇護を受け、王権により制度化されていくことで専門分化してしまう)。
このように、新秩序の創成期には価値や意味を巡る領域横断的な対話が不可欠であるとすると、現在大学に求められているのは、まさにそのような対話なのではあるまいか。AIや脳神経科学などの科学技術は、人間は(少なくとも部分的には)理性的で、自律的な選択のできる特別な存在だ、という近代的システムの、すなわち「人間の秩序」の大前提を科学的に掘り崩しつつある。AIに駆動される現在の科学技術の発展を18世紀半ばの産業革命になぞらえる向きもあるが、おそらくそれは誤りである。人間の外形的「行動」を大きく変えた産業革命は、確かに革命的ではあったが、人間の「精神(の自由)」に直接介入するものではなく、その意味で「人間の秩序」を根本から揺るがすものではなかった。他方、現在の科学技術(遺伝子工学も含む)は、人間の特権性や中心性を基礎付けた自由な精神そのものの存在を疑い、これを人為的に操作可能なものとする。自由意思の虚構性はこれまでも夙に指摘されてきたが、自然科学の知見により、それがいよいよ虚構としても維持できなくなっている、というのが現状であろう。
それは、18世紀半ばというより、「神の秩序」ないし宗教的権威という自明のものが疑われ、パラダイムシフトが本格的に始動した16世紀的状況に近い。いま我々は、これまで自明のものとされてきた「人間の秩序」ないし人間の理性・自由意思の権威性(それに基づく国家、法、民主主義等のシステム)に正面から疑問を呈されているからである。福澤が強調したように、ここで自然科学が暴き出した「不都合な真実」から逃げることなく、むしろこれを前提に、「人間」とは何か、「尊厳」とは何かを根本から検討し、社会の価値や意味を巡る議論を行わなければ、境界の融解は無原則的に進み、秩序なき混沌が訪れることにもなるだろう。本センターは、いまこそ真の領域横断研究が必要であるという、こうした切迫した思いも背景にしている。
いま、「真の」と述べた。それは、これまでの日本にも名ばかりの領域横断研究は数多く存在してきたことによる。憲法の中でもプライバシー権や個人データ保護を中心に研究してきた筆者は、理系研究者から領域横断研究に誘われることも少なくなかったが、そこで文系(法学)の私に求められる役割は、彼らの研究が個人情報保護法に違反していないかなどの「コンプラ対応」であり、研究の価値や意味についての対話が求められることはほぼなかった。筆者が大学院生であった約20年前は、法学は科学技術研究を規制する敵役として疎まれることもあったので、コンプラ対応でも仲間に入れてもらえる現状には隔世の感がある。しかし、多くの日本の領域横断研究では、文系は未だに理系研究の「フォロアー」に回ることが多いように思う。その背景には、人間を価値の源泉と考える文系、人間をバイアスの源と考える理系という古典的対抗図式(隠岐さや香)がなお横たわっているのかもしれないが、パラダイムシフトが進む現在、このような図式に固執している場合ではないだろう。AIの進化によって宇宙および人間の「定量化」が進み、神の領域にも踏み込みつつある自然科学は、その研究や実装の価値や意味付けを意識せざるをえないし、人文社会科学は、自然科学の圧倒的な成果を意識せざるをえない。「自然」に対する主体的批判精神が人文社会科学の要諦だとしても、ホッブズの社会契約論が人間の現実の姿を前提としていたように、人間の自然的実存を無視した人文社会科学は空理でしかない。領域横断性を謳うことは研究資金獲得に有利であり、今後も名ばかりの領域横断研究が横行することが予想されるが、本センターは「真の」領域横断を実現し、自明性の崩壊によって齎される混沌を智徳の協働で突破していきたいと考えている。
3. センターの概要
そのためには、いわゆるフンボルト型大学に憧憬し、哲学や文系教養の重要性をノスタルジックに主張するだけでは不十分である。本センターでは、かつての私的アカデミーやサロン、大学の都市間ネットワークを重視する「ボローニャ・プロセス」などを参考にしつつ、過度に制度化されない、動的でリズミカルなネットワーク構造を取り入れる。研究ネットワークとして、例えば、脳神経科学などに強い沖縄科学技術大学(OIST)や、本センターと同様の問題意識をもつ海外研究機関との連携を予定している。
また、研究者と市民社会が積極的に関わり合い、相互に貢献し合うエンゲージメント・オフィスの設置、領域横断性を潜在させた人文社会科学研究と産業界とを架橋するブリッジング・オフィス(以下「BO」)の設置も検討している。現在、「人間中心原則」を柱とするAI倫理原則が世界中で定立されつつあるが(我が国でも「AI事業者ガイドライン」で人間中心原則が謳われる)、「人間中心」の意味を深いレベルで理解し、AI開発や事業に生かすには、「神中心」の秩序と対抗したルネサンス期以降の人文知を学ぶ必要があるだろう。カントに叱られるかもしれないが、AIビジネスにとっても人文社会科学研究は有用なのである。BOは、学生を中心としたブリッジ・パーソンが、ともすると内向きな人文社会科学研究を「翻訳」し、社会に向けて積極的に発信することで、有用性の気づきを提供するとともに、(晩餐会は無理だとしても)サロン型コミュニケーションを通じて産業界を含む社会全体に「知の連環」を創出することを目的としている。
本センターには経営者等で構成されるアドバイザリーボードが設置され、第1期メンバーには、カントなど哲学分野にも造詣が深い読売新聞グループ本社代表取締役社長・山口寿一氏や、やはり哲学に造詣が深く、デジタル社会の新しい思想的基盤を探究する京都哲学研究所を創設したNTT・澤田純取締役会長らが就任する。科学技術を価値や意味から考えることの重要性を理解し、かつ産業界の勝手も知る両名には、BOへのアドバイスなどを通じて、知の動的ネットワークの構築にご助力いただきたいと考えている。
最後に、本センターの研究体制について簡単に紹介しておきたい。センターが取り組む研究は、大きく、①「人間」や「尊厳」概念を哲学・倫理学はもとより、文学や美術史、文化史、思想史、感情史の観点から総合的に研究する「概念と歴史」ユニット、②AI時代の国家や集合的意思決定のあり方を検討する「デモクラシーと人間の尊厳」ユニット、③脳の仕組みを探究する自然科学(心理学、神経科学など)との協働で「尊厳」の意味を問う「脳の仕組みと尊厳」ユニット、④アテンション・エコノミーの課題を乗り越える健全な情報空間の設計や法制度のあり方を検討する「規範と制度」ユニット、⑤企業からの共同研究などに対応する独立ユニットの計5ユニットで構成される。本センターは、牛場潤一理工学部教授(神経科学)、大久保健晴法学部教授(東洋政治思想史)、徳永聡子文学部教授(中世イギリス文学)、筆者(法務研究科教授)の4名が共同代表を務めるが、①は徳永氏、②は大久保氏、③は牛場氏、④は筆者がリードすることになっている。各ユニットには複数のサブユニットが置かれ、様々な領域から多くの研究者に参加してもらうことを予定している。重要なのは、各ユニット・サブユニットが閉鎖的になることなく、相互に連関し、有機的に成長しながら、共同提言や(価値や意味を踏まえた)技術開発などのアウトカム(知の実装)につながっていくことである。研究の過程で新たなユニット・サブユニットが生まれることもあるだろう。先述のように、本センターが構築を目指すのは、過度に制度化されない、動的でリズミカルなネットワーク構造であるが、その具体化には、各学問領域のトップランナーであるとともに、他分野への理解も深い運営委員会の各メンバー(駒村圭吾法学部教授(憲法〔運営委員長〕)、北中淳子文学部教授(医療人類学)、田中謙二医学部教授(神経科学)、星野崇宏経済学部教授(行動経済学ほか))の手腕に期待するところも大きい。
近代システムの前提を掘り崩す科学技術の圧倒的な力を前に、我々は、人間の尊厳をいかに構想して、あるべき文明──ネクスト・パラダイム──を切り拓くのか。それは、自然科学を「学問の学問」として重視しながら、それが実証する「自然」に主体的に向き合うことで文明の「精神」を開拓しようとした福澤の大学でこそ取り組まれるべき課題であろう。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2024年8月号
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