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【特集:スポーツとサイエンス】
仰木 裕嗣:スポーツに潜むサイエンス──猫とハードル選手と宇宙飛行士

2024/07/05

運動は筋活動だけによらない

高速で動くヒトの動きの中にはこの事例のように動かしたいと思って筋力を発揮して関節を動かしても、意思とは裏腹な動作が生じることもあるという事実は面白い。そしてそれを体現するスポーツのトレーニングは反復的に最適解を求める過程とみなすことができる。場合によっては局所最適解に陥ってしまって、よりパフォーマンスがアップする大域的最適解があるにもかかわらず、抜け出せないこともある。つまりフォームを変えることができないスランプに陥ったアスリートも多くいるであろう。多くの筋骨格系の最適シミュレーションでは、発揮する筋活動によるエネルギーが最小、関節まわりに発揮される筋の負荷を最小にする、といった目的関数が用意されるが、いずれにしても筋活動に主眼が置かれている。

ところが100m走のスプリンターが全力で走っている時の筋活動を観察してみると、地面を蹴った足が前に振り戻されて大腿が高く振り挙げられた局面では、大腿部を上に振り挙げる筋群である大腿四頭筋の活動が消失していることが古くから知られている。つまり「太ももが上がっている現象は、太ももを挙げているのではない、筋活動ではない」という事実である。ここでの力学的な原理は太もも付け根である股関節に作用する関節間力がこの動きを司っているということも明らかになっている。骨盤の加速度が股関節に作用することで生じるのである。

昔、農家では脱穀のために唐棹(からさお)と呼ばれる農具を使っていたが、これは2つの棒が関節でつながる構造で片方の棒を往復運動させると先端につながったもう一方がクルクルと回転する、というものである。関節のまわりには筋肉に相当するゴムや動力源がなくとも関節の軸に作用する力だけで、クルクルと先端側を回すことが可能になっていた。まさにヒトの身体も唐棹のような機構になっており、根元の関節に力が作用すれば、先端側はクルクルと高速で回ってくれる。スプリンターの太ももが高く上がっているように見えるのは、「挙げているのではなく上がっている」ということである。

ノーベル生物学・医学賞を受賞したアーチボルド・ヒル博士が、「筋は高速で動かす際には発揮する力をゼロにせよ、力を最大限発揮したければ筋を動かすな」と明らかにしている。したがって、高速で動かしたいときに筋力を発揮せずに「脱力」することは生理学的に見ても理に適っている。そしてすでにスプリンターたちはサイエンスの成果を実践して体現している。

見たままを信じるコーチングの誤解

太ももが高く上がっている事実を目にしたコーチの多くは、「太ももを挙げるトレーニング」をやらせようとする。その結果、本来は筋活動をやめ脱力していなければならない局面であるにもかかわらず力学的にも生理学的にも反したトレーニングを強いられる選手も少なくない。見た現象を選手自身が筋肉の活動で引き起こしていると信じ、サイエンスを理解しないコーチングが陥る過ちである。

色々な知見、研究を知った上でのサイエンスを活かしたコーチングが必要なことは理解するが、むしろ選手の言葉の奥底に潜んでいる物理現象の本質は何か? ということを常に深く考えるコーチング姿勢がサイエンスを活用したスポーツコーチングではないかと筆者は思っている。ただし、繰り返しになるが「わかる」と「できる」は違っており、どう教えるのか? という部分にまだ改善の余地はあり、サイエンスに根差したヒトがヒトを教える行為の奥深さが存在すると言える。この部分はおそらくしばらくAIにとって代わられることはないと信じている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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