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【特集:日本の“働き方”再考】
中村天江:人々を幸せにする「雇用流動化」とは?

2023/02/07

問題は、賃金・人事制度の硬直性

海外では転職によって収入が増えるのに、日本では増えない。ともすれば、減ってしまう。この理由を調べたところ、構造的要因が2つあった。

第1に、経験者採用では、例えば、中小企業が大企業で経験をつんだ人材を、メーカーが商社にいる人材をというように、事業の後攻企業が人材の豊富な事業の先攻企業から人材を採用する構図になる。いち早く事業に投資できる企業は、給与も高い傾向にある。また、そういった先攻経験を有した人材が欲しい企業は他社にもあり、採用獲得競争が発生する。そのため低い給与しか提示できない企業は採用に苦労するのである*2

第2に、日本企業の賃金・人事制度は硬直的で、採用候補者の労働市場での評価や前職での待遇に合わせて待遇を柔軟に設定できないことが、転職/経験者採用の拡大を妨げている*3

長期雇用が根づいている日本企業の賃金・人事制度は内的公正を重視している。対して、労働市場が流動的で競争的なアメリカでは、外的公正を重視した報酬制度になる。そのため、アメリカ企業はホワイトカラーの高度人材を採用する場合、市場での評価や前職での待遇を考慮して報酬を設定する。

具体的に述べると、前職で1200万円の給与を得ていた人材を採用するにあたって、日本企業は自社の賃金・人事制度に合わせて1000万円を提示するのに対し、アメリカ企業では1300万円を提示する。転職検討者にとって魅力的なのは当然後者である。今よりも収入が増える企業が転職検討者を惹きつけるのに対し、収入を減らす企業は転職検討者を逡巡させる。

しかも、この2つは密接に関連している。なぜなら、賃金水準の低い企業が、硬直的な賃金・人事制度を維持したまま、人材を獲ろうとするから採用できないのであって、賃金水準が低い企業であっても、採用候補者によっては高い賃金や役職を提示できれば、企業の人材獲得力は高くなるからだ。つまり、賃金・人事制度の硬直性が、個人の転職を妨げているのである。

採用力を高めるのは「高い報酬」

ここまで雇用流動化、とくに転職がなぜ増えないのかについて、個人の視点から考察してきた。しかし、転職が増えない要因として、企業の硬直的な賃金・人事制度の問題が浮かび上がってきたので、ここからは企業側の視点に切り替えて、つまり転職ではなく採用の観点から考察を進める。

図表3は、日本・アメリカ・フランスの企業が採用力を高める要因を分析した結果である。日本企業はアメリカ企業やフランス企業と違い、「通常よりも高い報酬の提示」が、採用数などの募集選考の成果を上げるのにも、入社後の活躍などの雇用後の成果を上げるのにも有効である。また、日本企業は「戦略実現のための人事制度や働き方改革」を行うことも、募集選考や雇用後の成果を上げるのに有効である。

図表3 企業の人材獲得力を高める要因
出所:中村天江(2020)『採用のストラテジー』慶應義塾大学出版会より一部改
※ 分析で統計的に有意な項目にのみ±を記載、±の数は有意水準を表す

「通常よりも高い報酬の提示」は、日本企業では効果的にもかかわらず、アメリカ企業やフランス企業では統計的に有意にその効果が観察されない理由は、アメリカ企業やフランス企業は前述したように、管理職や高度専門人材といったタレント採用では、外的公正を考慮した報酬提示をすでに行っているため、報酬の引上げだけでは採用競合との差別化にならないからだろう。一方、日本企業は他社の評価が高い人材であっても、自社の賃金・人事制度の範囲でしか給与を提示してこなかったため、その制約を取り払うことで、採用力を高めることができる。

企業が採用において高い報酬を提示することは、個人の転職を促し、企業の採用力を高め、労働移動を円滑化する。賃上げが極めて重要な社会課題になっているわが国において、賃金増加をともなう労働移動を広げることにもなる。しかし、繰り返しになるが、日本企業の賃金・人事制度は硬直的である。いったいどうすれば企業は採用候補者に通常よりも高い報酬を提示できるのだろうか。

「ジョブ型」により柔軟性UP

企業が硬直的な賃金・人事制度を脱し、優秀・有望な人材に高い報酬を提供する突破口のひとつは、昨今話題の「ジョブ型雇用」への転換である。ジョブ型雇用の理解や是非をめぐってはさまざまな指摘がなされているが、その点は他稿に委ね*4、本稿では日本企業の人事制度改革の内実に焦点をあてる。

伝統的な日本的雇用と「ジョブ型雇用」の大きな違いは次のように説明できる。伝統的な日本的雇用では、年齢や勤続年数によって昇進・昇格を行い、一度上がったら役職定年までは、実質的に降格も給与ダウンもほとんどないのに対し、ジョブ型雇用では職務内容や役割によって給与を定め、昇格も降格もありえる。つまり、年功という個人属性に強く依拠する内的公正を見直し、働きぶりや市場評価に見合った待遇にするのが、現在大企業が導入しつつある「日本的ジョブ型雇用」の特徴である。

まさに賃金・人事制度の柔軟性を高めるための改革がジョブ型雇用への転換であり、これは、図表3の「戦略実現のための人事制度や働き方改革」に該当する。また、ジョブ型雇用にすれば、年齢や慣行によらず抜擢人事も行いやすくなるため、図表3の「特別なキャリアパス」も提示しやすくなる。ジョブ型雇用は、採用力を高めるのに有効な人事制度なのである。

人事制度を全面的にジョブ型雇用に転換するのは大変なため、特定の職種やポストの人材獲得においてのみ「ジョブ型採用」を導入する企業もでてきている。ジョブ型採用の有用性は、経団連がジョブ型雇用転換を提唱した2020年の「経営労働政策特別委員会報告」でも、「高度人材に対して、市場価値も勘案し、通常とは異なる処遇を提示してジョブ型の採用を行うことは効果的な手法となり得る」とうたわれている。

幸せになる「上方移動」の拡大を

まとめよう。日本では長期雇用を重視する価値観が根強いが、「不満だらけでも辞められない」のは、個人にとっても、企業にとっても、不幸である。そのため「希望すれば転職できる」環境の整備が望まれる。「希望すれば転職できる」環境とは、単に転職先がみつかることではなく、前職以上にやりがいをもって、良い労働条件で働く選択肢が存在することである。その選択肢をつくる要は、前職以上の給与での転職機会や採用の拡大である。

これまで日本企業は賃金・人事制度が硬直的だったため、自社の給与レンジから外れる人材を採用することが難しかった。だが、近年、「ジョブ型雇用」転換を旗印とする人事制度改革により、人材登用や処遇決定における柔軟性を高める企業が増えている。とくに人事制度を抜本的に見直さなくとも、「ジョブ型採用」の部分導入によって、採用力を高めることもできるようになった。労働移動を円滑化する素地がようやく整いつつある。

雇用流動化はこれまで、解雇規制の緩和や不安定雇用の問題など、経営の機動性を高めるために、個人に負担を強いる面があった。しかし、個人が安心して暮らし、将来に展望をもてない社会はサステナブルではない。社会に必要なのは、経営側だけに都合のよい雇用流動化ではなく、個人が幸せに生きられる雇用流動化である。そのためには、前職以上の給与で転職できる機会の拡大が肝要である。

雇用流動化を個人の幸せという観点からあらためて立論し、企業や政府が推進することで、外部労働市場が未成熟な日本で健全な雇用流動化が広がっていく。

〈注〉

*1 リクルート(2022)「就業者の転職や価値観等に関する実態調査2022」

*2 リクルートワークス研究所(2013)「「海外現地法人の経営を担う人材の採用メカニズム」研究報告書」

*3 中村天江(2020)『採用のストラテジー』(慶應義塾大学出版会)

*4 例えば、慶應義塾大学産業研究所HRM研究会編『ジョブ型vsメンバーシップ型 日本の雇用を展望する』(中央経済社)において、清家篤、濱口桂一郎、八代充史、中村天江らが論考をまとめている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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