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【特集:大学院教育を考える】
小方直幸:大学院教育の陰陽

2022/10/05

3. 大学院生の生活実態──奨学金受給者の減少とその意味

奨学金は大学院進学や進学後の生活を少なからず左右する。居住形態や設置形態によりその様相は異なるが、平均的には次のようになっている(表1、2)。奨学金受給額は、修士課程より専門職学位課程、専門職学位課程より博士課程で高い。修士課程と博士課程では1.7-2.0倍の差があり、奨学金の持つ意味は博士課程でより大きい。奨学金が収入に占める割合も、博士課程の方が修士課程よりも3-9%ポイント高い。注目したいのはこの間の変化である。奨学金受給額は、修士、専門職学位、博士のいずれの課程でもいったん上昇した後、その後は急速に減少している。ピーク時の額と比較すると、修士課程では15万円、専門職学位課程では47万円、博士課程では28万円少ない。並行して収入に占める割合も減少し、2012年以降の落ち込みが特に大きい。ピーク時と比べ修士課程では8%ポイント、専門職学位課程では17%ポイント、博士課程では15%ポイントも少ない。

表1 奨学金の受給額と収入に占める割合
表2 奨学金の受給者及び必要としない者の比率

この変化は、大学院生の生活状況がより厳しくなったことを意味するのか。まずは奨学金の受給比率から検討すると、いずれの課程でも低下している。ピーク時と比較した変化は、修士課程では11%ポイント、専門職学位課程では26%ポイント、博士課程では15%ポイントの減少である。逆に奨学金の受給は必要ない、という比率は上昇している。奨学金の受給額や収入に占める割合低下の背景の1つには、奨学金の受給を必要としない大学院生が増えたことが挙げられる。ただし、奨学金問題は解決方向にあると単純に解釈することはできない。想定し得るシナリオは2つ。シナリオ①は「奨学金を必要としない有職者の社会人が増えた」、シナリオ②は「非有職者であっても家計に余裕のある者が増えた」である。

博士課程に着目し部分的ながらこのシナリオを検証してみたい。表3は、収入に占める家庭からの割合の減少と定職他の割合の増加を示している。背景にあるのが有職学生の増加である。実際、博士課程の社会人入学者は2018年まで一貫して増え続け(図5)、現在博士課程入学者の四割は社会人である。奨学金受給者減少の一端は、シナリオ①で説明が可能と思われる。だが表3では、アルバイト収入の占める割合も2012年以降再び増加傾向にある。社会人学生の増加は、リカレントやリスキリングという点からも歓迎すべきである。だがその傍らで、博士課程を断念する非有職者やアルバイトを余儀なくされる者の増加、という可能性も否定できない。「日本の理工系修士学生の進路決定に関する意識調査」(前掲)によれば、「博士課程に進学すると生活の経済的見通しが立たない」に76%が「そう思う」と回答し、博士課程進学の際の重要事項として24%が「博士課程在籍者に対する経済的支援の拡充」を1位に挙げている。博士課程の6割を占める非社会人学生を中心とした経済支援問題は、解決されたわけではない。その結果シナリオ②が仮に招来しているとすれば、それは博士課程での学びの機会の剥奪とも言い換えられる。

表3 奨学金以外が収入に占める割合(博士課程)
図5 社会人入学者数と全入学者に占める比率(博士課程) 出所:学校基本調査

4. 大学院教育の行方──政策レベルの陰陽と現場レベルの陰陽

大学院教育の充実に向けた政策は今なお継続している。例えば科学技術・イノベーション基本計画(2021)では、2025年までに生活費相当額を受給する博士課程学生を3倍に増加(修士課程からの進学者数の7割)、産業界の理工系博士取得者採用数も1,000名(65%)増加、⼤学等教員の職務に占める学内事務等の割合を半減といったことや、将来的に40歳未満の教員の割合を3割以上にすること等を数値目標に掲げている。裏を返せば、描いたとおりの大学院の改革や拡充が進んでいないことの証左でもある。

一方で、大学院卒の所得効果の高さ(島・藤村2014、下山・村田2019等)は指摘されてきたが、サンプル数の課題等もあり、博士課程の所得効果には頑強な結論が得られていない。また仮に効果があったとしても、大学院生の肌感覚としては認識されていない。正確な情報提供は不可欠である。でも人は統計をみて行動するわけではない。今回のような日本全体の動向を提示されるより、目の前の先輩の実態や指導教員の話が説得力を持つ。必要なのは、個々の大学院の現場で生活支援が充実しキャリア展望が開ける経験である。それに向けて各大学院は企業等とも対話しながら自らの博士課程をどう位置づけようとしているのか、そして政策は個別大学院の文脈に即した後押しができているのか。そこがズレていれば、制度も政策も迷走を続けることになる。

〈注〉

*1 「教育、学習支援業」には学校教育(高等教育を含む)とその他の教育・学習支援業が、「学術研究、専門・技術サービス業」には学術・開発研究機関(各種研究所を含む)、法務・財務等の専門サービス業、広告業、獣医学や土木建築等の技術サービス業が含まれる。

〈参考文献〉

天野郁夫(2011)「大学院答申を読む」『IDE』532、8-14頁。

金子元久(2013)「大学院の現実」『IDE』552、4-11頁。

島一則・藤村正司(2014)「大卒・大学院卒者の所得関数分析─大学教育経験・学習有効性認識・自己学習投資に注目して─」『大学経営政策研究』4、23-36頁。

下山朗・村田治(2019)「大学院進学の経済的収益─就業構造基本調査を用いた賃金プレミアムと内部収益率の推計─」『生活経済研究』50、1-17頁。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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