三田評論ONLINE

【特集:アフターコロナのTOKYO論】
座談会:コロナ禍を経て 明日の東京に暮らす

2022/08/05

アーティストがいる街

本間 芸術の領域でもクローズドにする動きが少し増えているのは私も気になっています。「あいちトリエンナーレ」が大きな論争を呼んだように、展示することに非常なテクニックを要する作品というものがあります。そういった作品は、まず限られた人たちの中だけで共有すれば良いのではないかという声が存在する。しかし私は、そのように閉じていく傾向は、ちょっと危険だと思うのです。

文脈はだいぶ違いますが、最近、映像を部屋全体に展開して、高い没入性を生み出す展覧会が人気ですよね。また、とても強いナラティヴがあって、一つの閉じた、一貫した物語に浸るような仕立ての作品や展覧会も増えていると思うのです。

これらは、現実と展覧会の間に接触がないという意味で、閉じた展覧会とも言えます。ナラティヴの強さは魅力であると同時に、閉じることにつながりかねないという意識をどこかで持っていたほうがいい。あえて、何か異なったものを差し込んだり、ズレを見せていくことも必要ではないかと感じています。

谷川 当社のエリアで言うと、特に有楽町のJRのガード下とかは、猥雑性もあって、「大丈夫? ここ」みたいな店がたくさんあったりするんです。

本間 大好きです(笑)。

谷川 実は最近アーティストの方々に、有楽町の街を調査してもらったのです。すると、アーティストの方々は、まさにガード下が好きだと。大手町はきれいすぎるし、丸の内もピカピカすぎて触れない感じで有楽町いいねと。「こんなところにこんな看板が」とか「こんな裏にこんな店があった、あの都市の隙間はなんなのだ」と、すごく有楽町は面白いと言ってくれるんですよね。

そんなこともあって、今、有楽町はアートがある街ではなく、アーティストがいる街になるといいのではないかという議論をしながら、「有楽町アートアーバニズム」というプロジェクトとして取り組んでいます。その関連プロジェクトで、新有楽町ビルというビルの1階の路面店舗だったところにアーティストに滞在してもらって制作してもらっているんです。

本間 今日、実はたまたま通りかかって写真を撮りました。

谷川 そうなんですか。「ソノアイダ」と言うのですが、藤元明さんというアーティストが様々なネットワークを駆使してアーティストを招聘し、アーティストの制作のプロセスがきちんと見えるみたいなことをやろうと、ご一緒しています。そういうことをやってみてわかるのは、まさにおっしゃるとおり、閉じたところにあったものが過程を含めて、プロセスが見えるというところにとても興味が持てます。

また、有楽町ビルの10階の区画に、アーティストの方々に滞在していただいて、そこで4カ月間ずっと制作してもらっていたのですが、その方々が有楽町で制作した素晴らしい作品が今アーカイブされているのですね。それは今の街を残していくという意味でも、文化の蓄積という面でも貴重だと思っています。

アーティストがいる街というのは、別にビジネス側にとってアーティストがいるから良いとかだけではなくて、アーティストの方々にとっても、街に支えられた、みたいな経験が積み重なっていくということも、たぶん都市をよくするための一つのきっかけになるのかなと思っています。

小林 閉じたものを閉じたままにするのではなくて、見せていく努力をすると、そこから自然に出会いのようなものが生まれるみたいなことがあるんでしょうね。

ドイツの千人の村と東京をつなぐ

ディマ 僕は、この3年間ドイツに戻れなかったんですが、人口千人の故郷の村で300人ぐらい参加している、その村の歴史を辿るFacebookのグループがあるんですね。そこに今の住民と世界中に住んでいる住民が参加していて、百年前の写真を通して議論している。この人はどんな人でしたか、この窓、このドアはどこの場所でしょうとか探っていくんです。

3年間離れていて、全く話せなかった人とつながったんですね。いろいろなアーカイブズが見つかって、18世紀の古い資料も見つかった。その研究をしたいと思っているんです。8月に戻るので、80歳、90歳のおじいさんたちにインタビュー調査をしたいんです。

自分の村を深く勉強すると、今、自分の住んでいる東京といろいろな共通の問題点が出てくるんですね。どうやってコミュニティの中で責任を分配するか。どうやって人が集まるようにするか。どうやってボランティアの活動を活用するか。もちろん法律は違うし、様々な違いはあるけれど、共通の問題点がたくさんあるから、お互いを学び合う機会をつくりたいですね。

ドイツの地域創生を見ると、再生エネルギーの使い方は得意だけど、日本は場づくりとか、新しいサービスをつくったり、古い工芸とかを活用して全く新しいことをつくるのは得意です。そういうエクスチェンジをするような場をつくりたいです。日本を離れてドイツに行かなくても、アイデアは出せるんですね。

日本が提供することは槇さんがおっしゃった通り、安全性とかたくさんあると思います。ドイツやアメリカに行くと怖いことがたくさんありますので。

実際の村の中では何も動かないんだけど、バーチャルな村は動いている。リアルでは若い人と年配の人はあまりつながっていないし、外にいる人と住んでいる人とも弱いつながりしかなかったのがつながってきている。それは日本でも同じだと思うのです。

小林 なるほど。今のドイツの千人の村と東京の1200万人の話との共通点を見つけようというような話が、もっとたくさん起きたらいいですね。それはたぶん、閉じないで開いていこうよ、ということとすごく関係していると思うのです。

日本人というのは、感染を抑えるための自己抑制力があるけれども、一方で、だから閉じてしまいがちなところがあるわけで、どうしても自然に任せておくと、日本人はとても律義にこぢんまりとコンパクトに収まってしまいがちなのでしょう。東京のようなところでも、若い人たちが少し閉じがちのように感じる。

やはり自分たちの内側だけという目線だけではなくて、外とのつながりを持つことが自分たちのことを理解することにもなるので、他者へ向けて理解してもらうように努力をしていくことは重要なのではないかとは感じます。

身近なつながりから新しい東京を創る

本間 「慶應義塾ミュージアム・コモンズ」という名前の大学ミュージアムの立ち上げに関わったときから、「コモンズ」(共有地)について考えています。やはり開き方にもいろいろある。つながり方にもいろいろあるということを示せたらと思っていました。

全部開いていなくてもいいし、全部閉じていなくてもいい。全部つながっていなければいけないわけではない。部分的でもいい。そういう曖昧さとか、ある種の適当さを、どうやって律義な日本人がつくっていくのかということを考えたいなと思います。

小林 そうですね。コモンズみたいなところをあえてつくってあげて、何かそれでいいんだよと言ってあげるというようなことは大事ですよね。

田中 私もコロナでいろいろ嫌なことはあったんですが、よかったことは、テレワークがある程度進んで、通勤が少なくなった結果、自分が住んでいる街に関われることが少し多くなったことです。都心に行ってグローバルに開くというよりも、自分が住んでいる街に少し開いていくというような余地が生まれたのがいいなと。

これまでの性別役割分業だと、夫が都心に出て仕事をして、妻が家にいて地域活動を担っているみたいなことがありましたが、それが少し解消できるのであれば、街への開かれのようなものもいろいろと出てくるのではないかという気がします。

谷川 田中さんのおっしゃった身近な世界につながりますが、先ほどディマさんも公園のことをおっしゃった。緊急事態宣言になっている時は、身近な公園ぐらいしか行くところがなくて、公園の再評価みたいなことがありましたよね。それは、そこに暮らす人にとっては、とてもいいことだったんだろうなという気がします。

遊具が一杯でつくり込まれた公園は、小さい子にはいいかもしれないけれど、本当にこれがいい公園なのかと考えたりする。何もないただの芝生だけがいいのではないかとか、皆の意識が緑とか公園とかに向いたのは、私は正直すごくよかったなと。私自身今までこんなに公園や緑が好きになったことはありませんでした。

公園を評価するようになってから、都市構造への見方が変わったのではないかなという気がするんですよね。例えば開発における緑の考え方も大きく変わった気がするので、それは今後の東京都市像にすごく影響があるのではないかという気がします。

ディマ それはすごくいい機会ですね。これから参加型のまちづくりの中で公園を通じてよくなる可能性があります。うちの家の前には素敵な古い公園があるんですが、あと2カ月ぐらいでリフォームされるんです。いっぱい舗装を入れて、古い木を切ってしまうという知らせだけが来たんですね。

実は同じようなパターンの都市づくりはいろいろなところで進められています。私たちが新しい可能性を見せられなければ、そういうことが進んで行ってしまう。今、すごく暑くて、大雨が降るのになぜアスファルトを入れて、古い木を切ってしまうのか。神宮外苑の問題もそうです。

小林 やはりこれからの都市のつくり方は、ボトムアップで、何が課題でどうしたらいいかということを一人一人が考えることが求められていると思います。おっしゃるように、そうしないでいると、あるときトップダウンで決められてしまうようなことが起きる。

身近な公園や自分の周辺の地域に対する意識が強まって、自分たちの街はこうあったらいいよねという意識が高まり、それが行政を動かすという順番になっていくと、少しずつ変わっていくのだろうなと思いました。

その身近なこと、身近な場所への意識は、人と人とのつながりを高めることにつながり、そしてもう少し大きいムーブメントになっていく。そういったことが、実は巨大な都市東京でも可能なのではないかと思います。

東京の強さというのは、そういう小さいものの集まりでできているというレジリアンシーだと思うのです。一人一人のつながり、その人たちの意識、その人たちの動きが、都市そのものを淡々と変えていくことになるのかなと思いました。

今日は有り難うございました。

(2022年6月30日、三田キャンパス内にて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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