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【特集:アフターコロナのTOKYO論】
中島直人:東京の都心の先── アートがもたらす新しいアーバニズムの可能性

2022/08/05

  • 中島 直人(なかじま なおと)

    東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻准教授、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授

パンデミック以降の東京都心開発と都市計画

東京の都心部では、新型コロナウイルスのパンデミックが明確になった2020年春以降も、ウォーターズ竹芝あたりを皮切りに、さまざまな都市再生プロジェクトが門出を迎えた。丸の内近辺では、2021年6月に日本一の超高層タワーを含む常盤橋一帯の再開発プロジェクトTOKYO TORCH の一角をなす常盤橋タワーが竣工した。日比谷では、2022年3月に、帝国ホテルの建替えを中心に複数の再開発ビルと日比谷公園とを道路上立体公園で連結させるTOKYO CROSS PARK 構想が公表された。虎ノ門近辺では、やはり複数の超高層ビルによる立体緑園都市をうたった虎ノ門・麻布台プロジェクトが進行中である。神宮外苑地区では、野球場やラグビー場の更新を核とした再開発計画が2021年末に公表されたが、既存樹木の伐採が問題視され、議論を呼んでいる。

渋谷、新宿、池袋でも駅周辺を核とした都市再生事業が順次動いている。渋谷駅周辺では、公園を屋上に取り込んだホテル・商業の複合施設ミヤシタパーク(2020年7月開園)以降も引き続き、再編の最中である。新宿駅周辺もグランドターミナル構想に基づき、改札位置の変更による新たな自由通路の開設・東口駅前広場のリニューアル(2020年7月)から始まって、西口駅前広場に面する超高層建築群の再開発の着工や計画認可が進んでいる。池袋駅周辺も、豊島区国際アート・カルチャー都市構想に基づき、南池袋公園などに続く4つ目のハブとなる防災公園イケ・サンパークが開園し(2020年7月一部供用開始、12月全面開園)、その周囲では、密集市街地での都市計画道路の開設に合わせて、超高層住棟の建設が進んでいる。

以上の描写は、この2年半ほどの間の動きのあくまで一端に触れたにすぎないが、東京都心部では、大手デベロッパーをはじめとする発信力のある主体が進める、超高層ビル建設を伴う都市再生プロジェクト、再開発事業が続いていることはたしかである。これらのプロジェクトだけを見ていると、東京都心部の都市再生はパンデミックという期間を感じさせない連続性を保っている。その内容にパンデミックの影響があったとしても、土地の高度利用という開発の根幹概念やシステムに変わりはない。

とはいえ、これらの開発プロジェクトが各々掲げるコンセプトには、その時々の都市計画の価値観、課題が確かに埋め込まれている。都市計画にも流行り廃りがあると感じさせる。ただし、地球環境問題、気候変動への対応や人口減少・超少子高齢化社会を前提とした都市構造の再構築などは、短・中期的な流行りではなく、都市が長期的に対応していく必要がある。「グリーンインフラ」や「ウォーカブル」、あるいは「15分都市圏」などのキーワード自体は流行りとなるかもしれないが、その内容は、都市における生態系サービスや人間性、近隣の回復という都市の長期的な変化であり、ここ最近始まった話でもない。

都市計画におけるパンデミックへの対応も、開発プロジェクト等に見出せる短・中期的な流行り(といっても、開発には10年単位で時間がかかることがある)に回収される側面とともに、より長期的な変化として、徐々に形を現す側面があるだろう。コロナ禍初期に国土交通省が有識者へのヒアリングに基づきまとめた「新型コロナ危機を契機としたまちづくりの方向性」(2020年8月31日)で議論されたような事項、例えば、地元生活圏の形成、自転車を利用しやすい環境整備、オープンスペースの柔軟な活用、リアルタイムデータ等を活用した人の行動の誘導といった方向性が、じわじわと都市構造の再編を導いていくことは想像に難くない。また、在宅勤務の増加を受けて、都市計画の基礎データとなるパーソントリップ調査の調査手法の見直しが行われることが決まるなど、都市計画を支えるデータ自体の更新が、流行り廃りを越えて、都市計画の長期的な変化を支え、そして東京に再度フィードバックされていくと考えられるが、それには時間がかかる。

アートアーバニズムの胎動

再開発プロジェクトに見出せるような都市計画の短・中期的な視座と、東京の都市構造を変化させていくような都市計画の長期的な視座との間を見据えた議論が大事ではないだろうか。コロナ禍の間に、筆者が参画した取り組みの中で、パンデミックを踏まえつつ、これからの東京都心部における1つの長期的な変化の可能性を議論、検討する機会と言えるものに、2020年4月に始まった大手町・丸の内・有楽町まちづくり協議会主催のアート×エリアマネジメント検討会(座長:太下義之・同志社大学教授)がある。

大手町・丸の内・有楽町エリア(大丸有)は、東京のCBD(Central Business District)として日本経済を牽引してきた地区である。とくにこの20年、順次、街区の再開発を実施していく中で、従来、オフィスのエントランスと銀行が軒を連ねるだけのビジネス街に、次第にグローバルブランドの路面店を増やし、夕方以降、あるいは土日にも人の姿が見られるようになった。また、そうした店舗が並ぶことになった中心の通りは、歩行者にとって歩きやすい充分な歩道空間が確保されるとともに、時間帯によっては歩行者専用となり、自由に動かすことのできるベンチなどのファニチャーが並べられる広場空間となった。さらにそうした空間的整備に加えて、エリアマネジメント活動を展開し、朝大学などオフィスワーカーたちが参加可能な多彩なプログラムが提供されてきた。

大丸有はビジネス街=まち全体として、働く環境を充実したものにすることに先進的に取り組んできた。そのまちが、エリア南端の有楽町の再開発を前に、新しいビジネス街のあり方を検討することになった。問題意識としては、東京の国際競争力の向上をもたらす力、社会や企業の新しい価値を生み出す力、つまりクリエイティビティをいかに涵養できるか、だという。仮説としてその中心に「アート」を据え、アーティストやアート関係の実務者、文化芸術政策や都市づくりの研究者らを集めた前述の検討会が組織され、議論が行われた。そこで考案されたのがアートアーバニズムであった。

都市づくりにも創造性を

アートアーバニズムという言葉は、検討会での議論を踏まえて、私が提案したアートとアーバニズムの組み合わせからなる造語である。アート自体は差し当たって説明の必要はないが、問題はアーバニズムである。現代語としてのアーバニズムには、2つの概念が重なり合う。1つは20世紀初頭のシカゴ派都市社会学に端を発する都市での生活様式という事実概念、もう1つは19世紀末から20世紀初頭にかけての欧州でのユルバニスムに端を発する、望ましい都市居住を実現するための技術・思考の体系(その一つが都市計画である)という規範概念である。アメリカを中心に英語圏で使われるアーバニズムという言葉は、この2つの概念の間を自由に移ろっている。事実概念は生活と、規範概念は計画と深く関係する。つまり、暮らし手とつくり手の双方から都市を語れるのがアーバニズムである。アーバニズムとは、計画と生活の両者を包含する、都市生活そのものと都市づくりの方法の実践的探究なのである。

したがって、アートアーバニズムは、アートがその暮らし手にもつくり手にも浸透する状況のことを指している。「アートのあるまちづくり」や「アートによるまちの活性化」と位相が異なるのは、「アートがある」のではなく、暮らし手でありつくり手でもある「アーティストがいる」ことを重視している点である。アートは都市に置かれる作品やコンテンツというだけでなく、アーティストを通じてアーバニズムそのものに立ち入り、組み合う。

アーティストや芸術家の立ち振る舞いから考えると、アートアーバニズムの実践とは、その地域や都市での人々の生活様式の中に創造的で共感をベースにした営みが確かに見出されること、そして、都市づくりの方法において、従来からの客観的、科学的、工学的な課題解決アプローチに加えて、より共感的、感性的、工作的な価値創造アプローチが並走すること、となる。都市づくりの根幹、哲学にアートが参画し、まちの日常の場面にアーティストたちがいる、これが、ビジネス街や商業地、住宅地などそれぞれの地域の文脈に応じて展開されることで、具体的なアートアーバニズムが立ち現れることになる。とくにグローバルな都市間競争のプレイヤー、あるいは日本経済の牽引者としての大企業が集う東京のビジネス街においてアートアーバニズムを提起することは、従来的な都市開発の限界点への問題意識とともに、日本的企業経営に関する都市の側からの問題提起が含まれている。アーティストが持つ創造性がまちに浸透することで、ビジネスそのもののあり方の変革をもたらす。もちろん、アーティストの立場に立って、アートが都市づくりに利用されるのではなく、むしろ都市づくりをどう利用するかという視点も同等に扱うことで、アートアーバニズムのリアリティが追及された。つまり、東京のアートシーンの国際的認知の不足やアーティスト育成システムの不足といった問題に答える側面を、アートと都市づくりの接合から考えるということでもあった。

このような視野を持つアートアーバニズムも、良くも悪くも流行りの一つと言える。実際、近年、アートとビジネスの掛け合わせはトレンドとなっている。ビジネス系アート本の流行について分析した森功次(2021)によれば、その背景にはVUCA(Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity)の時代において、データ分析や論理的思考だけでは差別化は図れないという問題意識があり、アートは創造性、独創性、デッサン、熟視的観察、物語化、文脈の創造、問いといった点で期待されている。つまり、アートは価値語(「良いもの」)である。一方で、アート思考におけるアート概念は曖昧であると同時に、西洋近現代の前衛芸術を前提とした偏狭さも指摘されている。そもそもアートのみが創造性を持つものではないし、アーティストの全てが創造的であるわけではない。また、ネリ・オックスマンが提唱した「The krebs cycle of Creativity」では、科学、エンジニアリング、デザイン、そしてアートの領域のアウトプットが他の領域に影響し、循環してイノベーションを生むとされている。こうした関係性に都市づくりを新たに掛け合わせたのが、アートアーバニズムなのだろう。

都市美運動100年とアートアーバニズムとの接続

2022年2月から5月にかけて、アートアーバニズムの実証パイロットプログラム(YAU: Yurakucho Art Urbanism)が、有楽町界隈のいくつかのビルで展開された。アーティストたちのスタジオ(コワークスペース)や相談所が設置され、アーティストが有楽町を訪れた。そうした中で、ビジネス街の人々とのより直接的な接点として、公募で選ばれたオフィスワーカーたちと気鋭の舞台演出家による2カ月のワークショップが開催され、1つのパフォーマンスが生み出された。6月に開催された成果展「YAU TEN 」で上演された『今ここから、あなたのことが見える/見えない』(倉田翠演出・構成)は、ワーカーたちのそれぞれのライフに関する独白がいろいろな角度から交差し、日常を浄化していく内容であった。出演者たち1人1人の異なる身体表現が6.6メートルピッチの典型的なオフィス空間を動的な場に変えていき、ビジネス街の一言ではくくらせない、まちで働く1人1人の感応力を引き出すアーティストの力を実感させた。

アフターコロナの都市において、オンラインワークの普及に伴い、とくにオフィスやビジネス街のあり方が問い直されている。単にオフィス空間の縮小ということでなく、やはりリアルに人が集まること、そのリアルの舞台としてのまちのありようが問われている。ビジネス街が働き手にとって心地よい、わざわざ行きたくなるものである、という方向性はさらに強まるであろうが、加えてアートアーバニズムが指向するのは、新しいことを生み出す力をまちに蓄えることである。アートアーバニズムが目指すのは、ビジネス街の新たな土壌づくりのようなものである。

ところで、アフターコロナというのも時代の見方の1つである。この見方以外にも、東京のこれからを考える歴史的な視座はたくさんある。例えば、来年2023年には東京は関東大震災から100年を迎える。1923年9月1日に発生した関東大震災では、コロナ禍による東京都内の死者(2022年7月14日現在で4,592人)をはるかに上回る、10万5千人余りの死者が出た。2023年は、そうした被害からの教訓、そして復興において生み出され、継承されてきた空間遺産に基づき、レジリエンスを育む東京を考える年になるだろうし、幸運にも同規模の地震に見舞われなかった震災後100年の時代が終わり、次の震災とともにある100年が始まることにもなろう。

関東大震災100年は都市の防災やハードな復興について喚起するだけではない。関東大震災後の東京は復興計画の策定途中にあり、まだ災後の風景が広がっていた1925年の10月に、「今や帝都復興を控えて、都市の事業界彌々他事なる秋、タウン・プランナーやシビック・アーティストは勿論、建築家も美術家も、その他いやしくも都市改良家、都市研究家として都市問題に興味と熱意を有せらるる士は漫然書斎や画室に閉じこもっているべきではあるまい」(「都市美研究会の設立」『建築雑誌』、477号、1925年)という趣旨で、都市美研究会が組織された。

「変った顔触で帝都美化の運動 やぼな都を作るなと 文学者や美術家も加って」(『東京朝日新聞』、1925年10月24日)という見出しで報道された都市美研究会は、都市計画家や建築家、ジャーナリスト、画家、経済学者、哲学者、詩人、小説家、人類学者、収集家、図案家など多彩な顔触れが集い、帝都の復興を自分たちで行っていこうという運動であった。都市美研究会は翌1926年には都市美協会に改組され、有力政治家や建築、土木、造園各界の大御所を会長や役員に据え、東京市と密接な関係を保ちながら、具体的な事業に関わる建議や意見の表明、市民を対象とした都市美観念の啓発普及の催し、雑誌の発行、さらには全国都市美協議会の開催などの活動を行った。その活動理念は、官僚専門家による都市計画に対して、シヴィックプライド、市民意識に基づく市民自治を基盤においた都市芸術(シヴィックアート)を対置するものであり、都市計画の改革運動を目指した。アーティストをはじめとする市民が都市づくりに参画する、その始まりが今から100年前の都市美運動であった。つまり、都市美運動100年となる2025年は、アーティストを含む市民都市計画の100年の節目でもあり、その精神の再出発の年でもある。

都市美研究会が1925年10月に設立総会を開催し、その後、都市美協会に至ってもしばらく事務所を置き、会合の場としてきたのは、麹町区有楽町1丁目1番地、有楽町駅の駅前にあった有楽ビルディング(有楽館)であった。このビルは1979年に取り壊され、その跡地には現在、新日石ビルが立っている。じつはその100年後のアートアーバニズムも、同じ地点から始まっている。「YAU TEN」で『今ここから、あなたのことが見える/見えない』が上演されたのは、新日石ビルとともに1つの街区を成している新国際ビルの2階であった。アフターコロナの東京もまた、個々のまち、場所固有の歴史、物語の中で紡がれていくことになる。アフターコロナは、さまざまなアーバニストたちによって、東京に無数のアーバニズムの物語が生み出されていく時代としていきたい。

<参考文献>

・中島直人+一般社団法人アーバニスト『アーバニスト──魅力ある都市の創生者たち』、ちくま新書、2021年

・中島直人「そもそもアートアーバニズムとは何か」https://note.com/arturbanism/n/nc7f4c47f11ec

・中島直人『都市美運動──シヴィックアートの都市計画史』、東京大学出版会、2009年

・森功次「「ビジネスパーソンのためのアート」本の流行と、教育的に注意すべきこと」、『人間生活文化研究』、31号、409-419頁、2021年

・「アート・ドリブンな未来入門」『Forbes Japan』、2022年4月号別冊

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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