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【特集:アフターコロナのTOKYO論】
陣内秀信:パンデミックを乗り越えた水都・東京

2022/08/05

  • 陣内 秀信(じんない ひでのぶ)

    法政大学名誉教授

見直されるオープンスペースの価値

現代都市文明の行き詰まりから脱却すべく、だいぶ前から世界の各地で都市再生に向けたさまざまな試みが繰り広げられてきた。コロナ・パンデミックを契機に、こうした時代を切り拓く動きがさらに加速されていくのは間違いない。

20世紀的な車社会から脱して街路や広場を人間の手にという動きは、パリ、バルセロナ、ミラノなど、先進的な都市でコロナ以前から展開し、注目されていたが、コロナ禍で屋外のレストラン、カフェが推奨されるに至って、世界のどこでもその動きを強めている。公共空間である街路上でのカフェ、レストランの営業を従来、かたくなに認めないできた日本の都市においても、コロナ禍でさすがにその可能性を積極的に探る方向に変わってきた。

じつは、都市のなかのオープンスペース、公共空間の重要性をアピールする動きは、東京でもすでに始まっていた。そもそも、バブル経済崩壊後の2000年代に入って、グローバルな市場優先の競争社会を背景に、日本の大都市では民間ディベロッパーの力が強まり、巨大な超高層ビル群、大規模なタワーマンションの建設が活発に進められ、それと引き換えに、市民、住民にとっての公共性、公益性を保証する真に豊かなオープンスペースを実現することが難しくなってきた。人々のつながり、コミュニティも希薄とならざるを得なかった。その危機感から執筆された槇文彦氏の「アナザーユートピア」という問題提起の論文(『新建築』2015年9月号)が一石を投じたこともあり、日本でも公共空間、オープンスペースの重要性を再び見直す議論が活発になってきたのである(槇文彦・真壁智治編著『アナザーユートピア──「オープンスペース」から都市を考える』NTT出版、2019年)。環境や暮らしを考えるさまざまな領域で、人々によって共有され、あるいは共に使われる場として、「コモンズ」という言葉がしばしば口にされるようになった。

こうした都市内のオープンスペースの重要性が、パンデミックの頂点を極めた高密都市ニューヨークで強く叫ばれたのは、印象的だった。ランドスケープの分野の発想が力を持ち、屋外の緑あふれる公園の存在の大切さが大きな注目を浴びた。とくにイースト・リバー、ハドソン・リバー沿いの水辺の公園は、密を避けつつ解放感に浸れる貴重な場所として評価を高めたのだ。

80年代のウォーターフロント・ブームとその後退

歴史を振り返れば、日本の都市でこそ、人々の集まる意味のあるオープンスペースは、川沿いの水辺に多く存在してきたことに思いが至る。西欧都市の広場に当たるものが水辺に集中したことは、京都でも江戸東京でも他の都市でも、共通していた。だが、近代の陸の時代となり舟運が廃れると、人々の集まる場所は街路の交差する場所に、そして駅周辺へと移り、水辺の価値は失われていった。

1960年代の高度成長期には、水の汚染はピークを迎え、悪臭を漂わせる川に沿って立つ建物は水にそっぽを向いた。だが時代が一巡し、東京では工業化社会を抜け出た80年代前半に、一度、ウォーターフロント・ブームの到来を経験した。まずは70年代に、水質が徐々に改善されて隅田川の魚が戻り、花火や屋形船の伝統も復活した。その水辺復権の流れは80年代に入る頃、ベイエリアにも伝わり、世界の新潮流としての旧港周辺のウォーターフロント再開発の動きに刺激され、大川端、深川、月島、芝浦といった港湾機能を担っていたエリアの倉庫にアートギャラリー、ライブハウス、レストラン、輸入家具ショップ、ディスコなどが入り、いわゆるロフト文化として人々の関心を惹きつけた。

こうした民間のいわばゲリラ的で小規模な面白い動きによって、ウォーターフロントのイメージが高まる中、80年代後半には、日本経済が好転してバブル経済の状況を迎え、新たな経済基盤であるビジネス・業務空間の開発の格好の場として、ベイエリアの元港湾空間に注目が集また。東京都も13号埋立地に臨海副都心計画を策定し、その実現に向けて動いた。その計画は本来、都心に集中する業務機能を海上副都心に分散させることを意図し、移転する企業の都心の本社跡地は、緑地、オープンスペースとして有効活用することを考えていた。だがバブルが崩壊し、1996年に予定されていた都市博は中止に追い込まれ、臨海副都心計画は暗礁に乗り上げる結果となり、以後、東京都は、ウォーターフロントへの関心を急速に失った。そのあり方を構想することもできなくなった。

となると、民間の都市開発のエネルギーもベイエリアから後退し、利益が確実に得られるタワーマンション群の建設は活発に行われるものの、主要な都市開発は大丸有(大手町、丸の内、有楽町)、六本木、虎ノ門、渋谷、日本橋など、都心の内陸部に再び集中することになった。21世紀になって欧米が、本来の物流・工業の役割を失った臨海部の水辺の土地を、新時代への大きな可能性を秘める場所として活かし、そこに多様な機能を混合させ、魅力ある都市づくりを推し進めたのとは真逆な方向で、内向きに都市を開発し続けてきたと言える。

ポストコロナ社会での水都東京の可能性

だが、ポストコロナを見据えた現在、在宅勤務も増え、都心の陸の空間に超高層オフィスをさらに建設し、一極集中を加速させる考え方を疑問視する声も大きくなっている。臨海副都心が目指した分散型を再評価する必要もあるし、そもそも21世紀的な魅力ある空間を創造する可能性を秘めた臨海部や川沿いに、高層マンションだけでない、総合的な街づくりを構想すべき時代がきていると思われる。

ベイエリアには、さまざまな時代に造成された埋立地=島がいくつも存在し、一種のアーキペラゴ、すなわち多島海、あるいは群島を形づくっている。それぞれ造成の時期や成り立ちが異なり、形も役割も違う多様な島同士をできれば船と自転車で繋ぎ、回遊できるようにしたい。じつは、東京2020オリンピック・パラリンピックの競技施設の多くがこのベイエリアの島状の埋め立て地に集中していた。バスしかない脆弱な交通インフラを補って、水上交通を導入する絶好の機会を逃したが、これからでも遅くない。大きな可能性が秘められているはずである。

舟運の復活も、ポストコロナの時代の大きなテーマである。じつは、コロナ禍が始まる前の2019年の夏、東京都は晴海‐日本橋の間で通勤のために舟運を活用する社会実験を行い、成功を収めていた。晴海、豊洲をはじめ、ベイエリアに広がるいくつもの埋立地に数多くの人々が住むようになったことが背景にある。私も試乗し、その実現に期待が持てた。だがコロナ禍となり、以後の動きが見えてこない。ヴェネツィアはもちろん、ニューヨーク、ロンドン、ハンブルク、アムステルダムなど、世界を代表する水辺都市を見ても、通勤を含む日常の足として舟運を積極的に活用している。パス、チケットの共通化など、陸上交通との連携の動きもある。

東京でも、以前から提案され、社会実験もなされている羽田‐都心の水上バスの運行をはじめ、必要に応じ公的サポートも入れて、従来の観光用の枠を越えた水上バスの定期便化を実現してほしい。計画が検討されつつある築地市場跡地の再開発は、その絶好の機会となりうる。また、水上タクシーも人気を集めつつある。ヴェネツィアやボストンのように、水上タクシーで空港(東京では羽田)からホテルに直接乗り付けることも可能なはずだ。舟運事業者にとって最大の問題は、船を係留する場所が決定的に不足していることだという。海外の多くの都市ではルールを作り、川や運河に沿ってこうした船を係留し、むしろ船が浮かぶ水の都市の魅力を生んでいる。

実現しつつある魅力的な水辺の活用、再生事業

国内では、大阪での水都再生への動きには目を見張らされる。東京では都市開発の話題がいくつもあって拡散しがちだが、大阪では官民学が一体となって水都再生にエネルギーを集中し、成果を続々とあげている。大阪商工会議所では水都再生の研究会が組織され、企業も民間団体も専門家も一緒に問題に取り組み、行政も柔軟に対応して従来の規制を外し、水辺利用の新機軸を次々に打ち出してきた。

その1つ、土佐堀川沿いの中之島の対岸に登場した川床、「北浜テラス」の店舗群の魅力は格別である。河川敷を民間がルールに則って包括的に占用できる仕組みがつくられた。防潮堤の内側の公有地に、民間の建物から防潮堤の上までテラスを張り出し、そこに洒落たレストランやカフェ、ワインバーなどを設け、開放感あふれる素敵な水辺空間が実現したのである。東京都が主導し、台東区、墨田区、中央区、江東区(後に荒川区も加わる)が協力して展開した「隅田川ルネサンス」の取り組みでも、この大阪の意欲的な試みを手本とし、「かわてらす」という名称の制度が設けられた。河川管理者が指定した区域において、民間事業者等が特例占用許可を受けて川床設置・飲食営業を行うことを認めるもので、隅田川などに面し、河川区域内を活用して民間のレストラン、カフェなどの営業が可能となった。2013年からの社会実験を経て2018年以後、本格的にそれを推進し、すでに数カ所で実現されている。その初期の例、清洲橋のたもとに登場した「LYURO東京清澄 THE SHARE HOTELS」は、築30年近くのオフィスビルのリノベーション、コンバージョンで実現し、2階レベルにクラフトビールを楽しめるレストランがあり(上階はホテル)、その前面の隅田川沿いのウッドデッキは誰もが入れる素敵な水辺の戸外空間となっている。

一方、区のレベルでも、台東区は、川のまちとして知られる広島での先進的な成功事例から学び、都内初の民間事業者による河川敷地を利用したオープンカフェとして、「隅田公園オープンカフェ」を2013年に実現させた。隅田川の水辺とその周辺地域に恒常的な賑わいを生み出し、地域の活性化を図ることを目的としている。スカイツリーを目の前に眺められる地の利もあり、オープンした2店舗は人気を集めている。

こうした小規模ながら水辺活用の価値ある努力が続けられるのと並行し、東京の都心で2つの意欲的な水辺開発の大規模事業が進められ、まさにコロナ禍の2020年春から秋にかけて、それらが完成した。あいにく華やかなオープニングのセレモニーはできなかったようだが、その後、順調に人々を惹きつけ、その魅力を発信している。

1つは、東武鉄道の浅草駅からとうきょうスカイツリー駅間の高架下にできた「東京ミズマチ」という名の複合商業施設で、北十間川沿いの水辺プロムナードと一体として整備された、まさに水の都市の再生の大きな公共性を持った事業である。この高架下をどう活かすかは、長年の懸案事項だった。東京スカイツリーができたにもかかわらず、せっかくの北十間川沿いがまったく活かされていなかった。そこへ東武鉄道が地元墨田区と組んで質の高い真の都市再生事業を成し遂げたことは、高く評価される。

その北の背後には、かつての水戸徳川家の下屋敷の池をもつ回遊式庭園を受け継ぐ隅田公園が広がり、格好いい電動式ママチャリで集まる若い母親たちのお喋りと小さな子どもたちの歓声で賑わいを見せている。都市にとっての緑と水のある開放的な公共空間の重要性が強く感じられる。「東京ミズマチ」とこの歴史性を持つ公園の見事な連携は注目に値する。ポストコロナでますます期待されるのは、こうしたコモンズと言ってよい水辺や緑地を活かした公共空間なのである。

同時に、隅田川を横断する東武鉄道の鉄橋に併設された歩行者専用の「すみだリバーウォーク」も開通し、浅草エリアと東京スカイツリーエリアが繋がって、隅田川を挟むこの界隈が、見違えるような魅力あふれる空間に蘇った。

コロナ禍で完成、オープンしたもう1つの水辺再開発の大事業が、「ウォーターズ竹芝」である。港区海岸の竹芝桟橋周辺の水辺に、東日本旅客鉄道(JR東日本)が開発したホテル、オフィス、店舗、劇場などからなる複合施設で、先の「東京ミズマチ」と「すみだリバーウォーク」の東武鉄道とともに、JR東日本という公共性、公益性を尊ぶ鉄道会社が手掛けた重要なウォーターフロント開発が、こうして東京にほぼ同時に登場した意義はすこぶる大きい。

定期便の水上バスの船着場に加え、東京湾の自然を感じさせる干潟も実現している。都心でありながらも水辺に囲まれ、浜離宮恩賜庭園を目の前にした立地は、優雅な時間を過ごせる都会のオアシスの感がある。商業施設「アトレ」の上部に設けられた劇団四季の劇場の前にあるイタリア・レストラン(「パッパガッロ」)の屋外テラスからは、かつてない東京のウォーターフロントのダイナミックな眺望を楽しめる(図1)。

図1 「ウォーターズ竹芝」からの眺望

水都東京・未来会議と亀島川みずべまつりでの実践

東京でもこのように、高く評価できる水辺再生の動きがいくつも登場してきた。とはいえ大阪と比べると、官民学連携の動きは弱く、とりわけ経済界の水辺への関心が薄い。東京の企業のトップは世界にばかり目を向け、足元の東京という自らの都市を魅力的にしていこうという指向性に欠けているように見える。東京の水辺を舞台に活動する市民グループもたくさんあるが、バラバラでなかなか1つにまとまらない。舟運事業者も増えているが、連携をとる仕組みが弱い。行政もリーダーシップを発揮していない。

そんな状況を乗り越え、東京に魅力ある真の水都を実現しようと、「水都東京・未来会議」(代表:竹村公太郎)が準備期間を経て、2年前に本格スタートした。土木、都市計画、建築、ランドスケープ、アート、舟運などの分野の多彩なエキスパートが集い、企業・行政・市民の間のネットワークを築き、水都東京を再生するための諸々の活動に取り組んでいる。

その実践として、この7月9日、10日、中央区亀島川を舞台に、「亀島川みずべまつり」が行われた。両側を水門で守られ、高速道路がない開放的で居心地のいい貴重な水辺空間なのに、使われず眠っている。そこを地元の方々の協力を得ていい形で活用し、東京の水都再生のモデルにしようという試みだ。新川大神宮で安全と成功を祈願し、サップ、カヌー、Eボートの試乗、電気ボートでの水上ツアー、酒問屋街の記憶につながる酒屋巡りツアーなど、楽しいプログラム満載で、大勢の方々の参加を得て、水辺再生へ向けて弾みがつくイベントとなった(図2)。

ポストコロナの都市づくりには、欧米の諸都市のような大胆な発想の転換が必要である。東京の水都再生は、その最も着実で効果が期待されるものであることは間違いない。

図2 「亀島川みずべまつり」の水上の賑わい

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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