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【特集:SDGs時代の企業の社会性】
朝倉剛太郎:老舗染色工場が進めるSDGs

2022/06/06

  • 朝倉 剛太郎(あさくら ごうたろう)

    朝倉染布株式会社代表取締役社長・塾員

当社の生い立ちと歴史

当社は今から130年ほど前の、1892(明治25)年に群馬県桐生市で創業した染色加工場です。地元桐生市は、「西の西陣 東の桐生」と称され、数年前に「織都300年」を迎えた、古くから織物産業で栄えた街です。当社も、地元桐生の絹織物の加工からスタートしました。敷地内を流れる農業用水の水車を使った精米業から、その動力を用いて、絹織物を叩いて光沢を出す、「整理業」に転業したのがそのルーツになります。当時、桐生で織り上げた反物は、わが国の主要輸出品として欧米に輸出しておりました。当時の繁栄を物語るように、市内には、200棟を超えるノコギリ屋根工場が現在でも残っています。

その後当社は、生地を染め上げる染色業にも進出し、朝倉織物整理合名会社と染布工業株式会社2社体制となりました。しかし、第二次世界大戦により、従業員は戦地に。2つの会社は統合し、染布工場株式会社の敷地は国に接収されてしまいました。

戦後は、絹織物やウール、綿等の天然繊維の織物の染色整理加工からレーヨン、ナイロン、更にはポリエステル等の織物染色整理業へと合繊化に舵を切りました。更に、1970年代には、織物業から、伸縮性のあるポリウレタン交編の合繊ニットの加工に生産シフトし、台湾やタイ等への織物加工の海外生産移転の波を避け、同業他社に先駆けてニッチなストレッチニットの加工へと事業転換を図りました。また、2001年には、当時は珍しい、捺染型の代わりにデザインデータを使ったインクジェットプント加工を開始するなど、常に先端加工技術を駆使した、ニッチな事業分野へ進出し、同業他社との差別化を図ってきました。

現在では、合繊ニットを中心とした、染色加工を行い、五輪で活躍するアスリートの競泳水着の素材や、ゴルフウェア、産業資材等の生地加工を行っています。当社では、生地を染色するだけではなく、加工した生地に撥水や吸水、抗菌消臭といった生地に高次付加価値加工を施すことを得意としています。特に撥水加工では、1990年代から競泳水着の生地に強い撥水加工を行い、水着の軽量化や水の抵抗の極小化に貢献し、当社で加工した生地を用いた競泳水着を着用した国内選手が五輪等の世界大会で数々のメダルを獲得するのを蔭ながら支えてきました。

大正期に建築された蔵をリノベーションしてファ クトリーショップに

エネルギー大量消費事業者としての環境への取り組み──つくる責任、つかう責任

当社の本業である染色加工では、生地を高温(100~130℃)の水で煮込んで染色し、染色の前後工程でも生地を洗浄したり、乾燥させたりして生地の加工を行います。それは、大量の燃料と電力、水資源を使わなくてはならず、事業の遂行のためには、自然環境の汚染をしなければならないという宿命があります。そのため、当社は企業理念を、「環境の保全と、資源の有効活用に努めます」と定め、環境との調和を図ってきました。染色業という事業を当社のような中小企業が限られた事業資金の中で出来ることは、非常に限定的ではありますが、長い時間をかけ、省エネに取り組んできた内容を紹介します。

・ 地下温水ピットの建設:染色機の昇降温に用いた熱交換器で使用した中温域の水(約40℃)の再利用→約6%の燃料削減

・ 燃料の変更(重油→天然ガス)→CO2の30%削減
・ アキュムレーター(高温蒸気タンク)廃止→ガス使用量3.5%削減
・ 蒸気ドレンの再活用(ボイラー用水や加工用水へ)→ガス使用量7.7%削減
・ 保温(染色機・蒸気配管のバルブやボイラーバルブ類等々)の徹底→ガス使用量1%削減
・ 高効率ボイラーの採用と特殊減圧弁の採用→ガス使用量5%削減
・ 乾燥設備の送風ファンにインバーター導入(電力削減)→電力使用量約10%削減
・ 工場照明のLED化→電力使用量1%削減
・ 高効率小型モーターへの変更
・ 工場内コンプレッサーの整理統合

特殊減圧弁( 左) と高効率ボイラー

これらの諸施策を20年以上にわたって断続的に実施、その効果は総燃料使用量を20%以上、電力使用量に至っては、契約電力量を最大920kWhから590kWhまで35%以上削減することができました。副次的な効果として、以前は灼熱地獄であった生産現場は、省エネや保温により室温を数度下げることができました。

また、社運をかけて、2018年に工場排水(1日2000トン)を公営下水から自社処理に変更し、厳しい環境基準をクリアして自社で排水処理を実施、農業用水路に直接排水できるようにしました。その結果、下流で蛍を飼育する住民が、以前と変わらず、夏には蛍がキレイな光を灯すのを見ることができるようになりました。また、汚水を浄化する際に微生物を活用し、生物化学処理をしていますが、毎日1.5トンほど発生するそれらの汚泥は、最終的には、農業用肥料として再利用しています。

働きやすい職場を目指して──働きがいも、経済成長も

かつては、長時間労働、低賃金が我が国の製造業では当たり前で、当社もご多分に漏れず、高度成長期以前は、12時間2交代制で土曜も半ドン、できるだけ安い賃金で長時間労働を強いるという会社運営をしておりました。それに耐えきれなくなった社員達は、私が生まれた1970年に労働組合を結し、昇給・賞与のシーズンの度に厳しい団体交渉を繰り返すようになりました。私の幼少期には、深夜まで及ぶ団交に疲れ切った当時の社長である祖父、交渉担当者であった父の姿が印象に残っています。

そのような非生産的な従業員との対決から、労使の信頼と社員の経営参画を目指して、私の父、朝倉泰(1967年慶應義塾大学法学部卒、社長在位期間:1987年~2007年)は社長就任直後から、数々の施策を打ち出し、「働きやすい職場」を築いてきました。先代が行った主な施策は、次の通りです。

・ タイムカードの廃止:従業員を信用するとの姿勢を前面に出し、勤怠を出勤簿で管理。

・ 男女同一賃金制度を確立(男女雇用均等法に先駆けて)

・ 2001年から、法律に先駆けて定年後の再雇用を実施(年金満額受給まで雇用を保証)

・ 中小工場なのに年間休日116日(労働力の再生産を高め生産効率UP)

・ 日給月給制度の廃止と、長期傷病休暇(最大1年)の設定(安心して働ける職場づくり)

・ 大企業並みの退職金制度の導入とその維持のために、401K制度の導入

バブル期で経営も安定していた時代であったことも背景にはありますが、ゼロ成長時代の現在、退職金制度のように経営上の重い負担となっているものもあります。しかし、その甲斐あって、現在では、従業員の平均継続年数は20年を超え、1998年当時は女性の平均勤続年数が約7年でしたが、女性の勤続年数(平均21.4年)が、男性の勤続年数(平均20.3年)を上回っています。

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