【特集:SDGs時代の企業の社会性】
矢島里佳:日本の伝統はSDGsの本質──その原点から経営を考える
2022/06/06
日本は世界から注目されるSDGs先進国
私は、「日本の伝統を次世代につなぎたい」という想いで、大学4年時の2011年に株式会社和えるを創業しました。日本の伝統や先人の智慧とともに生き、経営をしていると、社会全体でSDGsについて考え始めている今、そのヒントは日本の伝統にあると感じます。
例えば、日本には「金継ぎ」という修復の技術があります。大切な器が割れても、捨てるのではなく、お直しして長く使い続けるという文化が存在しています。これはSDGsという言葉が生まれるはるか昔から、日本人が「もったいない」という精神性で、当たり前に続けてきたことです。本来の日本はSDGs先進国だったのです。しかし、器が割れたら直せるということを、現代の多くの子どもたちは知りません。中学校や高等学校での講演時に、「器が割れたらどうしますか」と尋ねると、9割以上の子どもたちが、「捨てる」と言います。それはなぜかと尋ねると、「両親がそうしているから」というのです。つまり、子どもたちは直すという選択肢を持っていないのです。というよりも、子どもを育む大人たちが、すでにその選択肢を持っていない世代になっているのです。
そこで、子どもたちに職人さんによる金継ぎのお直しを紹介すると、多くの子が「お直しという選択肢を持っていたら、直して使いたかった」と言います。
では私たちは、なぜ捨てるという選択肢しか持たなくなってしまったのでしょうか。その裏に、私は行き過ぎた経済活動を優先した企業の存在が潜んでいると考えています。後ほどこの点に関しても触れたいと思います。
私は、「APEC BEST AWARD」というビジネスコンテストに日本代表で出場し、大賞とベストソーシャルインパクト賞という2つの賞を受賞したことがあります。その際に審査員の方から言われたことが、今でも心に残っています。「あなたのビジネスは、世界の課題解決のヒントであり、ロールモデルである」という言葉です。まさに、日本の伝統は今の時代に世界から注目される要素を多分に含んでいるのです。まずは私たち日本人が改めて、自国の文化や伝統、智慧を引き継ぐことが重要ではないでしょうか。その想いから、和えるではさまざまな事業を行ってきました。
“aeru onaoshi” 事業では、大切なものを長く使っていただけるように、金継ぎや漆の塗り直し等のサービスを提供しています。とくに金継ぎは、海外からも注目されており、「Kintsugi」という言葉で通じるほどです。企業の経営としては、お直しをするよりも、新しいモノを購入していただいた方が利益率は高いです。ただお金を稼ぐことに意味を見出しているのであれば、お直し事業はやらないという経営判断になると思います。けれども私は、企業は必ず右肩上がりで成長するべきであるという常識に対して疑問を持っています。
そもそも私自身、お金を稼ぐために起業したのではありません。ジャーナリストとして、日本の伝統を次世代につなぎたい、その想いを実現するべく、最終的に起業という方法にたどり着いたのです。和えるが責任を持って、日本の伝統を次世代につなぐためには、企業として最低限やらなければならないことが、経済活動を通じて継続するということです。つまり、事業を継続させるための収益は必要ですが、赤字にならないかぎり、日本の伝統をつなぐ上で大切な事業はやるべきだという考えです。そういう意味では、お直しの事業はまさに日本の精神性を伝えるために極めて重要な事業と捉えています。経済の指標だけでは測れない、企業の存在意義を見出すことが必要です。
消費者から暮し手へ
私はジャーナリストを志し、2007年に慶應義塾大学の法学部政治学科にFIT入試を経て入学しました。FIT入試では、なぜ法学部政治学科で学びたいのかを問われます。そこで、入学することがゴールではなく、その先の目的に向かって入学直後から活動をし、自分自身の人生を振り返り、日本の伝統に興味を持っている自分に出逢うことができました。
入学後は、フリーのライターとして企画書を持ち込み、JTBの会報誌にて、大学での3年間、日本の伝統産業の職人さんを取材し、連載させていただく機会を得ました。取材した職人さんの多くは、「人間が自然を支配しているのではなく、自然界の中で生かされている」という自然への感謝の気持ちを持ちながら、モノづくりに向き合っていました。私たちの身近にある工業製品の多くは、購入時が最も良い状態で、使っているうちに劣化していきます。しかし、「伝統産業品は買った時が一番良いのではなく、使いながら育てていくもの」という話を職人さんに聞いてから、見るだけではなく実際に使ってみたくなりました。そんな折、職人さんから漆の箸を一膳お贈りいただき、そのお箸でご飯を食べたら、なんだか毎日のご飯がより美味しく感じたのです。漆のお箸は実用品でありながら芸術品でもある。職人さんが心を込めて、自然の恵みをいただき生み出した品を使うだけで、自分の毎日の暮らしが美しくなる。すると、感性が育まれ、自ずと美意識も磨かれていく。
私は偶然、このような日本の伝統とともに暮らす魅力に出逢うことができましたが、それを知らない方の方が多いと感じました。そこでジャーナリストとして、多くの方が日本の伝統に出逢えるきっかけを生み出し、人生の選択肢に加えていただけるように伝えていきたいと考えました。
これからの日本を担うミレニアル世代やZ世代は、物質的なモノの所有への価値よりも、モノを大切に使い続けるという行為に価値を感じています。物質的なモノよりも、目に見えない精神性に対する関心が高まっているのです。消費という概念自体が変容してきているとも感じます。和えるでは「消費者」のことを「暮し手」と呼んでいます。お客様は、経済を成長させるために消費をさせる対象ではないからです。「人間が豊かに生きる」という原点に立ち戻って考えた時に、豊かに生きるのが「暮し手」です。
モノの時代から精神性の時代への転換期
ここで今一度、なぜ「消費者」という概念が生まれてしまったのかを考えてみたいと思います。その大きな要因として、企業が利益を上げるために、お客様に対して物の購買を促す=消費させる、ということが行われてきたからではないでしょうか。つまり、経済的な側面のみから考えると、モノを直して使うより、新しいものを買ってもらう方が都合がいい。そこで、直すよりも新しいものを買うことこそが美徳であるという文化が醸成されてきたのではないでしょうか。
もちろん、ここまで単純な話ではないと思いますが、このような側面は否めないと考えます。大量生産・大量消費によって、一部の人は経済的には豊かになったと思います。経済活動だけを切り取れば、一見正しいことのように見えたのかもしれません。しかし、地球という単位で見たら大切なことが見落とされた考えだった。その反省から、SDGsという概念がこの時代に生まれたのではないでしょうか。果たして20世紀の功罪から私たちは何を学び、次世代に何を伝えるべきなのでしょうか。
企業の原点に立ち戻り、何のために存在しているのかを考えると、経済活動のためではなく、人々を豊かにするためだったのではないでしょうか。そういう意味でも、いたずらに「消費者」を生み出すような企業活動はやめて、「暮し手」を育む企業活動をしていく方が、人間として豊かに生き、働けると思いませんか。
私は、20世紀はモノの時代、21世紀は精神性の時代だと捉えています。その時代の転換期に掲げられたSDGs。モノの時代から、精神性の時代への移行に対しての具体的なアクションを「見える化」したのがSDGsなのかもしれません。
2022年6月号
【特集:SDGs時代の企業の社会性】
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矢島 里佳(やじま りか)
株式会社和える代表取締役・塾員