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【特集:脳科学研究の最前線】
座談会:人類の可能性を開拓する総合知の未来

2022/03/07

企業の積極的な参入

駒村 公的ファンドあるいは政府系も含めて非常に多様なアプローチ、プロジェクトがあるのですね。一方、企業の関心も高いと思うのですが。

牛場 昨今、「ブレインテック」という言葉をよく耳にするようになりました。大きな企業は昔から感性工学、つまり、どういうものを消費者がよいと感じているのかということをマーケティングや製品開発に生かしたいというニーズがあります。

例えば凸版印刷や電通サイエンスジャムはこの分野に昔から関与されているし、他にもNTTデータ経営研究所とかマクニカという半導体メーカーがビジネスを立ち上げています。それ以外にもスタートアップが海外だけではなく国内でもどんどん増えてきています。

私自身も、脳卒中後の運動障害を治療するウェアラブル型のBMIを、医療機器として事業化しようと会社を立ち上げ、医療機器の承認・認証を取って、今年中に販売しようとしていす。

このようにマーケティングと医療機器、ヘルスケアといった分野で、だいぶブレインテックというものは進んでいる。この3年ぐらいで、ずいぶん耳にするようになりました。

駒村 南澤さんはいかがですか。

南澤 僕の周りだと、脳そのものというより身体のほうですが、コロナで皆がリモートワークをするようになり、距離を問わずに活動するためのテクノロジー、あるいは自分と異なる他者の感覚や体験を別の人に伝えるためのテクノロジーが非常に求められています。

例えばトヨタやANAのような「移動」を生業としてきたような企業が、車や飛行機で物理的に移動しなくても活動できるような未来を見据えてアバターロボットの領域に参入してきています。通信各社でも、5Gの高速通信を使うことで、サイバー空間を活用した新しい形態の人の活動領域をつくりあげていくことが、この3、4年でとても大きな産業になり始めていて、研究開発と事業化が加速しています。

僕らもTelexistence(テレイグジスタンス)株式会社という会社を東大と慶應の大学発スタートアップとして立ち上げ、アバターロボットを通じて新しい働き方をつくっていこうとしています。

シナプスから見た脳

駒村 脳科学研究と事業化は、その裾野がとても広がっているわけですね。

次に今、皆さんの取り組みを踏まえて、近未来がどのように展開していくのかを伺いたいと思います。今いる現場や技術の進展から、脳科学にはこんな可能性もあるとか、あるいは近年こんな劇的なポイントがあったというようなお話は何かございますか。

柚﨑 脳科学研究の大きな方向性の1つは、脳の配線図の全貌がわかれば、脳の働き方がわかるのではないかというアプローチです。電気回路の働きを知ろうとすれば配線図がないとわかりようがない。ただ神経細胞は数百億あり、さらに一個一個の神経細胞が千個ぐらいのシナプスをつくっているので、シナプスの総数は100兆個規模に達します。このような複雑な配線図を果たして決めることができるのでしょうか?

これは10年前は不可能と考えられていましたが、今はコネクトミクスと言って、例えば電子顕微鏡にしても電子銃1本では1立方ミリメートルの回路を決めるのに数年かかっていたものを、電子銃を61本並べて61倍の速度にした電子顕微鏡が開発されました。こんな電子顕微鏡を数十台使っても、人の脳の全配線図が決まるのに数十年はかかると思いますが、小動物の脳の全配線図はだんだん決まってくると思います。

ただ、配線図が決まってくるだけでは、神経回路がどう動いているのかはわからない。そこで、より多くの神経細胞から、より高精度の時間・空間分解能でその活動を記録する技術開発が進んでいます。究極的には、行動したり、考えたりしている時の個々の神経細胞の活動を数百億の神経細胞から同時に記録できるようにすることを目指しています。

ファンクショナルMRI(脳の機能活動がどの部位で起きたかを画像化するもの)は磁場を高めると解像度は上がり、脳全体の各部位での数万個ほどの神経細胞の活動の平均値が見えてきます。ニルス(NIRS)という近赤外線で見ると、脳表に近い10万個ほどの神経細胞の平均活動が計測できます。脳波はNIRSよりも時間解像度が高いですが、やはり脳表近くの神経活動の平均値です。ヒトの脳全体での神経活動を高時間解像度で記録することは難しいです。

実験動物でしかできませんが、1つ1つの神経細胞が活動すると蛍光の強度が変わるようなものをあらかじめ神経細胞に仕込んでおいて、数十万から数百万個単位で、個々の神経細胞の活動を記録することは可能になってきています。この結果を解析することで、どの神経回路がどういう計算をして、その結果、動物がどのような行動をするのかがどんどんと判明されていく。それが今後の研究の大きな流れの1つであり続けると思います。

駒村 神経回路の構造を正確に全部読み出し、それを機械にアップロードすれば、脳の果たす機能も遂行できるようになるということですか。

柚﨑 そういうアプローチです。最終的には、それをスーパーコンピューター上に再構築し、病気の時の脳のはたらきもシミュレーションできるようにします。「全脳シミュレーション」という世界ですね。全脳シミュレーションを行うには、神経細胞の活動についてより高精度の空間・時間情報が必要です。

ただし、ヒトにおいて脳の深部の神経細胞の活動を全部記録し、その結果をリアルタイムで解読してアバターに完全に表現させるということは、たぶん無理です。でも、脳の表面から得られる情報から、深部を含む神経活動を推定して、例えば、マヒの患者さんの「手を動かす」といった技術開発は進んでいくと思います。

駒村 これが進んでいけば、シナプス病の1つである、認知症なども解決のめどが立つのでしょうか。

柚﨑 進展するとは思いますが、ただ、やはり生物学的な側面というものもありますからね。電気回路はつないでしまえば終わりですが、われわれの脳神経は、使えば太くなっていくし、使わないと弱くなって最終的には失われ、病気になっても失われる。

その状態を情報工学的なシミュレーションで完全に全部再現できるかというと、やはりそれは無理です。やわらかな脳、先ほど牛場さんが言ったような可塑性の解明には、生物学的なアプローチが必要です。そこで私たちはやわらかさの実体であるシナプスの研究をやっています。

システムとして見る次元

牛場 脳の構成素子は細胞とか血管など、いろいろと必要不可欠な要素がありますが、私の立場から言いますと、もう1つマクロなところに、「脳はどういうインプットに対して、どんな処理をしてアウトプットを生み出すのか」という、計算論の次元があることに言及したいと思います。いわばパソコンのプログラムのようなもので、脳が何を目的として計算をしているのか、情報処理マシンとして脳を捉えるという見方です。つまりシステム思考で考えると、また少し違う視点が見えてくると思います。

脳があって、体があって、外界と連関しながら自己を形成したり、体を上手に動かしたり、ものごとを学習したりというプロセスは、全体をマクロな視点で捉えることで理解が深まると思うのです。

そうすると、脳の一部が傷ついて機能が維持できなくなった時に、AIで足りない部分をどう処理して補い、ロボットで上手く応答させるか、ブレイン・イン・ザ・ループをどうつくるかというようなことが設計できるようになる。こうした設計が可能になると、脳と機械が相互作用する過程で脳がダイナミックに変化するので、脳機能の回復を誘導したり、機械に意思を統合して円滑なコミュニケーションをしたりすることができるようになります。そのようにして、今までの医療や福祉ではできなかったことができるようになる側面もあると思っています。

科学技術の世界では、量子力学や量子コンピューティングが今、すごく流行っていて、1個の量子の小さな粒のレベルで見えてくる物理特性や原理に立脚すれば、今までの解き方では解けないような計算ができるようになる、という世界が広がっています。

一方、センチとかメーターのサイズになると、量子の性質は見えにくくなり、ニュートン力学が支配することになります。どちらもすごく大切ですが、どこの世界を切り出すかによって、その世界を支配する物理原理が全然違っている。それと同じように、脳の中もやはり遺伝子、分子、神経回路レベルの話もあれば、システムや計算論としてマクロな世界で見て理解したり、使いこなす世界もある。

だから脳の世界はやはりすごく大きくて、多様な立場でいろいろな発見があり、テクノロジーができてくるところが、すごく面白いポイントではないかと思います。

駒村 荒っぽく言うと、人間機械論みたいなものが昔からあったけれども他方で、やはり人間は生命体、生きものだと。この関係をどうするのかという問題は人文知的にも大きな課題ですね。

それから、情報→シナプス→細胞→身体→人間や社会と、どのレイヤーにフォーカスして見るのか。それらをシステムとして統合する視点に立つのか。たいへん面白く伺いました。

皆川 今のお話でいうと、私はざっくり柚﨑さんと牛場さんの間ぐらいにいる感じだと思うのです(笑)。脳機能の仕組みの、細胞、分子レベルではなくて、もう少し大きい脳のリージョンレベルというレイヤーで見ているかと思います。

例えば少し前までは、何かの認知タスクでどこの領域が活動したということしかわからなかったけれど、最近では深層学習や計算論的な進展によって、脳の結合にも細かい段階や状態があって、それがどのように繰り返されているかというレベルまで明らかにできるようになりました。

私の専門の発達で言うと、早産児は生まれた時の、シナプスも関係する脳の結合状態が、初めは短いレンジでしか結びつかない。しかし、外界の刺激を受けると、だんだんと長距離の結合ができていく。そういった特徴が、より細かく見られるようになったところが大きいと思います。

人文系の観点からはその脳の発達が外界の環境ばかりでなく、人との相互作用の要因からどのように発達しシステムを作っていくか、さらにその個々の脳がどのように社会や文化を作っていくか、という問題にもつながります。このような心理学の脳科学的知見は工学系にも役立てられますし、現在行動経済学でも頻繁に引用されています。

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