三田評論ONLINE

【特集:脳科学研究の最前線】
座談会:人類の可能性を開拓する総合知の未来

2022/03/07

  • 皆川 泰代(みながわ やすよ)

    慶應義塾大学文学部心理学専攻教授

    1993年国際基督教大学教養学部語学科卒業。2000年東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻認知・言語医学講座博士課程修了。博士(医学)。専門は言語心理学、発達心理学、認知神経科学。17年より現職。

  • 柚﨑 通介(ゆざき みちすけ)

    慶應義塾大学医学部生理学教室教授、同大学院医学研究科委員長

    1985年自治医科大学医学部卒業。93年同大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。専門は神経科学、シナプス形成、シナプス可塑性。2003年より現職。21年より医学研究科委員長。日本神経科学会会長。

  • 牛場 潤一(うしば じゅんいち)

    慶應義塾大学理工学部生命情報学科准教授

    塾員(2001理工、04理工博)。博士(工学)。専門は神経科学、リハビリテーション神経科学、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)。重度運動障害の治療実現のためConnect株式会社を2018年設立。

  • 南澤 孝太(みなみざわ こうた)

    慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授

    2005年東京大学工学部計数工学科卒業。10年同大学院情報理工学系研究科博士課程修了。博士(情報理工学)。19年より現職。専門はハプティクス(触覚)、身体性メディア、身体情報学。

  • 駒村 圭吾(司会)(こまむら けいご)

    慶應義塾大学法学部教授

    塾員(1984法、89法博)。博士(法学)。助教授を経て2005年より現職。2012年~13年慶應義塾高等学校長。2013年~21年慶應義塾常任理事。専門は憲法、人権基礎論。

脳を探るアプローチ

駒村 近時、人類の知的フロンティアは、およそ3つほど想定されているようです。まずは「宇宙」ですね。ご存知のようにテスラのイーロン・マスクやアマゾンのジェフ・ベゾスが巨額の投資をし、開発と商業化が加速している。

もう1つは「地球」です。SDGsが提唱され持続可能な地球社会の建設が推進されていますし、ビル・ゲイツなどは、「宇宙よりもまず地球でしょう」と地球環境に関心を集中させています。

そして3つ目が、「脳」になるかと思います。イーロン・マスクはこの分野でも「ニューラリンク」を立ち上げ、埋め込み型デバイスの脳内チップを開発して、神経疾患の改善に役立てようとしている。今、ヒトでの治験を始めるためにFDA(アメリカ食品医薬品局)と交渉中という段階のようです。

このように「脳」そして「脳科学」は今や非常にホットなトピックになってきています。『三田評論』では、12年前にも脳科学の特集をやっていますが、今日はその後の流れも含めて、脳科学の最前線に立つ、慶應義塾を代表する4人の方にお話しいただきたいと思います。

まずは自己紹介も兼ねて、どんな研究をおやりになっているのか。そしてどうして脳科学に関心をもたれたのかをお話しいただきたいと思います。最初に皆川さん、いかがでしょうか。

皆川 私は文学部心理学専攻に所属していますが、「人の心を科学的に理解する」のが心理学ですので、実験心理学、認知神経科学といった脳科学的な手法も使いながら心を明らかにしています。特に子どもの言語発達やコミュニケーション発達における脳の発達に興味をもって研究をしています。

脳科学への関心ですが、私はもともと言語学がバックグラウンドで、特に第二言語の習得に興味がありました。その中で、例えば「どうして日本人は英語のRとLを聞き分けることができないのか」といったことに興味をもち、研究していました。

そこで、いろいろな心理実験をすると、どうしてRとLが聞き分けられないか、というようなことは、突き詰めると結局、脳の違いになってくるんですね。さらに言語を獲得するということを考えるうちに、言語の脳機能、脳内基盤というものを見てみたいと思い、脳科学に興味をもっていきました。

駒村 慶應義塾内で「赤ちゃんラボ」というものをおやりになっていますが、どのような活動をされているのですか。

皆川 赤ちゃん、つまりゼロ歳児、1歳児というのは脳の発達が目まぐるしい時期で、このラボではいろいろな認知獲得に伴う脳機能を明らかにし、脳科学的なことばかりでなく、行動学的研究も含めて研究しています。

現在、私は主に2つ、大きな研究を進めています。1つは、自閉症など発達障害の子たちの脳がどう発達するのかという研究です。定型発達の子と比較することによって、コミュニケーション能力と脳の発達を明らかにして、早期診断、早期療育に役立てています。

もう1つが、二者間でコミュニケーションをしている時の脳活動を明らかにすることです。MRIなどの脳機能研究では一般的に一人で何かしている時の脳活動を見るのですが、近赤外分光法や脳波では二者間相互作用の脳活動を見ることができる。この二者間のコミュニケーションが上手くいくと、脳活動が同期していきます。

そうした脳の同期を評価したり、AさんがBさんに何かコミュニケーション信号を与えた時に、どう反応するかといった相互作用のダイナミクスを脳のレベルで可視化するような研究をしています。これは自閉症研究の応用にもなりその解明にも役立ちます。

駒村 次に柚﨑さん、お願いします。

柚﨑 私の脳科学への関心の契機は、まだ多感な高校生だった頃、長期入院していたことがあったんですが、その時、退院してまた同じ症状で戻ってくる人が結構いることに気づいたことに始まります。

その時、高校生ながらに、例えば胃潰瘍が薬で治ったとしても、イライラしてストレスをため込んだりする原因にきちんと対処しない限り、また胃潰瘍が再発するのだろうと思ったんです。つまり、いわゆる心と体の関係を研究してみたいと思ったんですね。

医学部に入り、心や脳について勉強していくと、そもそも心の基盤であるべき脳の物質的基盤すら全然わかっていないと知り、まずはそこをしっかり理解したいと思いました。それが脳科学を研究した動機です。

脳は数百億の神経細胞がつながり合っていて、つながっているところをシナプスと言います。そのシナプスによっていろいろな神経回路をつくっている。神経回路がトータルとして働いて、いろいろな精神活動を起こすわけです。

先ほどおっしゃった自閉スペクトラム症という発達障害、あるいは統合失調症のような精神疾患、さらに認知症のような神経疾患にしても、多くの疾患のもともとの病変はシナプスに由来します。つながっているところがつながりすぎたり、逆に外れすぎたり、といったことが原因と考えられ、これはシナプス病とかシナプス症という概念となっています。

私たちの研究室では、このシナプスがどうやってつくられ、どういう時に失われるか。あるいは、つながりが機能的に強くなったり弱くなったりするのは、どういう分子機構で起きるのかを解明することで、シナプス病の新しい治療戦略につなげていきたいと思い、研究を続けています。

脳の可塑性を引き出す

駒村 それでは牛場さん、お願いします。

牛場 私は理工学部で脳科学を20年ほど研究してきました。脳の研究への興味は、小学生の頃、新聞社の市民講座で、松本元先生という脳科学の大変有名な先生が、子どもたちに向けて授業をしてくれるというので、リュックを背負って、ドキドキしながら聞きにいったことに始まります。

今も鮮やかに思い出すのが、松本先生が交流していた、ある少女の話です。実は、その少女は外科的な手術で脳が半分切除された方だったのです。でも、そういうことをまったく感じさせないぐらいリカバーしていて、人間らしい生活を送っている。MRIを見ると本当に脳がほぼ半量なくなっているのに、見た目では全然わからないぐらい聡明だったというのです。すごくショックでした。

その時、脳というのは、1つの個体の中でそれほどダイナミックに回路を組み替えて、失ってしまった機能を復元する大きな可能性があるということを知り、すごくわくわくしました。

一方、そういう「可塑性」と呼ばれる脳のやわらかさを外から上手く引き出す技術がまだない。そこで、それをつくってみたいと思い、理工学部でテクノロジーの研究を始めました。

矢上の研究室に入るなり、先生に無理を言って医学部のリハビリ科の医局に席をつくっていただき、医療従事者の先生方と一緒に同じ釜の飯を食べながら診察の現場を見て研究のトピックを見出し、矢上でものをつくって、それを医学部にもち込むような往来を20年来してきました。

私の専門は、そういった脳の可塑性を引き出すテクノロジーである「ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)」の研究です。ウェアラブルの脳波計と、AIで脳内状態を分析するプログラム、その分析した結果に基づいて動作するロボティクスや神経電気刺激装置といったものを体に取り付けて運動をしてもらうのです。

脳卒中後に脳損傷が起き、手が麻痺した人でも、BMIを付けた状態でトレーニングをしてもらうと、いわゆる「ブレイン・イン・ザ・ループ(Brain in the loop)」の状態になるんですね。そのループが上手く回ると脳の可塑性が誘導され、今までの標準治療では治せないような重度運動障害をもつ7割ぐらいの方を、ある程度回復に誘導することができるようになってきたのです。

つまり、AIと脳をどのように統合すれば、脳の可塑性を引き出すことができるのか、という研究を行っています。

駒村 では南澤さん、お願いします。

南澤 僕は「身体性メディア」といって、人が身体を通じて感じる経験をデジタルテクノロジーとつないでいく研究をしています。特に五感の中でも触覚ですね。ものに触れたり、触れられたりする感覚を人がどう知覚し、どのように行動するのかを理解し、工学的に再現するという研究をやってきました。

触覚を通じて、われわれは様々なことを経験し、人との関係性を構築していきます。研究を続けるうち、人の身体性と社会性のメカニズムそのものにだんだん興味が移ってきました。現在は、人と環境や他者といった外部とを繋ぐインターフェースとして身体を捉え、技術を使ってその身体を拡張したり支援することで、人と外界との関係性がどう変化していくのか、それを探索しています。

そうした経緯から、現在、内閣府とJST(科学技術振興機構)によるイノベーション創出プログラム「ムーンショット型研究開発事業」では、「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」する、目標1のプロジェクトマネージャーを担当しています。

僕のプロジェクトでは「サイバネティック・ビーイング」という言い方をしていますが、自分の生まれもった肉体以外の体をもてるような世界が今、近づいてきています。例えばバーチャル世界の中でのアバターと呼ばれる体、あるいは別の場所にあるロボットを自分の脳や意識とつないで操作することで、遠隔で活動することが技術的にできるようになってきている。

そういったバーチャルな世界やロボットアバターを使った時に、われわれの経験、コミュニケーション、それから働き方、生活スタイルがどのように変化していくかを、いろいろな技術を駆使して、いろいろなフィールドの方々と共創しながら探索しています。

多様な脳科学研究

駒村 今伺っただけでも、脳科学に対するアプローチやディシプリンは本当に多様だということが分かります。

ところで、法学部とロースクールで憲法・人権論を教えている私がなぜ司会をやっているのか、自己紹介を兼ねて説明しておきます。法学では「意思」や「人格」というのはとても重要な基本概念で、しかもそういったものは「自律している」、「自律しているべきだ」という前提に立って今まで議論してきました。でも、どこかで嘘くさいものをずっと感じていたところ、意思や人格の自律性をゆさぶる脳科学に出会いました。

先ほど南澤さんが言われたJSTのムーンショット型事業の目標1は脳科学系のプロジェクトですが、私もそこで昨年10月からELSI(倫理的・法的・社会的課題)担当の課題推進者をやっています。また、同じプロジェクトで牛場さんはサブ・プロジェクト・マネージャーをお務めです。

ただ、脳研究に関する公的研究推進については、慶應義塾の研究者が関わるプロジェクトがもっとたくさんあると思うのですが、そのあたりの広がりを少し柚﨑さん、補足していただけますか。

柚﨑 慶應の医学部が関連している脳科学関連の公的な大型研究としては、臨床系だと例えばAMED(日本医療研究開発機構)の「脳とこころの研究推進プログラム」で、精神神経科の三村將先生などが、気分障害(うつ病)をMRIで縦断的に追いかけて国際比較をしています。

あるいは生理学の岡野栄之先生が、同じAMEDの再生医療実現化事業で、iPS細胞を使って脊髄損傷や脳梗塞の治療につなげる研究を行っています。もう1つAMEDには、「革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト(革新脳)」というものがあり、できるだけ人に近い実験動物であるマーモセットを使って、精神神経疾患や発達障害の病態モデルの解明を目指しており、ここにも医学部の教員が参加しています。

もう少し基礎系に近いところでは、JSTのERATOのニューロ分子プロジェクトがあり、浜地格先生の京大拠点とともに私たちの教室が慶應拠点となっています。また私たちの教室ではJSTのCREST「オプトバイオ」にて、光によって脳の活動を操作するプロジェクトや、特別推進研究にてシナプス形成メカニズムの研究も進行中です。このように結構、大型の研究費が動いているような状況です。

駒村 皆川さんは何かありますか。

皆川 文学部の脳科学研究にはそれほど大型のものはありませんが、先ほどの私の自閉症の脳発達の研究は、日本学術振興会の科研費の基盤研究(S)というものです。またコミュニケーションに関する脳科学研究はJSTのCRESTの一部で、これは牛場さんも関係されていますよね。CRESTでは相互作用の脳科学知識をAIや工学的な技術デバイスなどに活かして、コミュニケーション行動を支援する試みも行っています。

心理学専攻は9名の専任教員のうち7名が認知神経科学や神経科学を専門としているので、柚﨑さんがおっしゃったプロジェクトのいくつかにも関係していますし、AIとロボットの共進化のムーンショット型研究(目標3)に参加されている先生もいます。

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