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【特集:デジタル教育の未来】
座談会:デジタル教科書、オンライン授業からみる未来の教室

2021/11/05

テクノロジーがもたらした恩恵

鹿毛 そもそも双方向性を促すところにデジタルの意義があって、それは今に始まったことではなく、昔から様々な工夫はあったというご指摘ですね。

デジタル教育と言った場合、最新のテクノロジーとしてビッグデータやAIなどがネットワークとして全てつながっているのを、道具として教育で使うというイメージがあります。コロナ禍でもデジタル機器を使ったかどうかが一番問題になり、使わない学校が遅れているとさんざん言われました。

デジタル教育はテクノロジーがあるからこそできるとも言えますが、使うほうが意義を自覚しないと、いつの間にか教育論がなくなり、ただ導入すればいいといったことがよく起こりがちです。そのようなことは、専門に近い領域で仕事をしている者は自覚しなければいけないということですね。

中野さんは長らくインクルーシブ教育や特別支援教育にかかわってこられました。ユニバーサルデザインというのも急に始まった話ではなく、以前からある概念です。そこに、今、デジタル化がめざましく進展してきた現状について、どのように捉えていらっしゃいますか。

中野 私はもともと知覚心理学という領域が専門ですが、大学院を出た後に国立特別支援教育総合研究所に就職したため、障がいのある子供たちの教育環境の改善のための研究に長年、取り組んできました。例えば、全盲の子供たちにとって、通常の文字で書かれた紙の教科書は全く読めないわけです。ですので、どうやって点字や音声に変換してアクセスできるようにするか、図表等をどのように代替していくかなどを考えなくてはいけません。

私が研究所に就職した1988年頃は、ちょうどパソコンが注目され始めた頃で、パソコンを活用して障がい者の学習を支援する方法が模索されていた時代でした。特別支援教育では、視覚障がいに限らず、様々な障がいを補うためのテクノロジーはものすごく重要で、最先端のテクノロジーを導入することが行われ続けてきました。

例えば、1979年にNECがPC8000シリーズを販売した翌年には、ブレイルマスターという点字の入力・編集・印刷・OCRなどが可能なワークステーションが開発され、全国の盲学校に配布されました。このようにかなり早い段階から特別支援教育はテクノロジーを活用してきました。というのは、教科書を始め、様々な教材等に自由にアクセスできなかったため、テクノロジーに頼らざるを得なかったのです。

鹿毛 現在、それはどのように変化してきたのでしょうか。

中野 以前は、テクノロジーを駆使して、紙のコンテンツにどうアクセスするかが問題になっていました。しかし、近年、コンテンツ自体がデジタル化されたため、情報へのアクセスがしやすくなりました。

また、今までは、コンピュータで教科書等にアクセスするためには複雑な手順を覚える必要があったため、その恩恵を受けることができるのは、一部の子供たちに限られていました。しかし、タブレットが登場し、コンテンツがデジタル化されたことで、教科書等にアクセスできる子供たちの数がぐんと増えました。

先ほど黒川さんからお話があったように、少なくとも学習者用デジタル教科書に関しては、特別支援機能が付いているので、万全ではなくとも教科書にアクセスできる子供たちが増えました。ただし、アクセスできただけでは当然、不十分です。コンテンツにアクセスして得た情報をどう活用していくかという情報活用能力が重要になります。

最近、大学に進学する障がいのある学生が増えてきています。障がいのある学生たちが在学中にテクノロジーを使いこなし、社会参加できるようにしていくためには、高校までの段階で、テクノロジーの使い方に加えて、情報活用能力を習得できるようにすることが重要です。

パラリンピックの閉会式のフランスのプレゼンテーションでは、視線入力装置を使って作曲し、指揮をしている場面が放送されていました。日本にも同様の技術はあるのですが、これらの技術を日常的に使いこなして生活している人はまだそれほど多くない。しかし、日常生活の中で使いこなせないとデジタル化の意味がないと思います。私は、教科書だけでなく、生活全般の中でテクノロジーを使いこなす力を育てることが大切だと思っています。

黒川さんには、学習者用デジタル教科書の特別支援機能についていろいろ注文をさせていただきましたが、それが今実現されつつあり、とても有り難く思っています。最初から障がいのある子供も利用することを想定して制作された教科書は、今回の学習者用デジタル教科書が初めてです。最初に文部省で点字の教科書が作られたのは1929年ですが、その後、2008年までの長い間、点字以外のアクセシブルな教科書はほとんど制作されてきませんでした。そのため、学習者用デジタル教科書の制作において、最初から障がいのある子供たちを想定していただいたことはとても価値があることだと思います。

鹿毛 まさに障がいのある子供に向けては代替としてのテクノロジーの開発が重要で、そういうことが学習者用デジタル教科書で実を結びつつあることは画期的ということですね。

おそらく世の中の考え方も変わってきていて、障がいのある子供に対して、特殊教育という位置づけからインクルーシブ教育に変わったことで、ずいぶん発想自体が変わったのだろうなと思います。

オンラインで同じ空気が吸えるか?

鹿毛 ここで、2つのことを申し上げたいと思います。

1つは、今、中野さんがおっしゃった活用能力のことですが、これは能力の保証の問題ではなく、能力の開発が教育の目的そのものになるということです。障がいの有無に関係なく、情報の活用能力が求められるということは、すべての子供たちに対して、自分で自分をコントロールして、目的は何かを意識化しながら自分の学習プロセスを調整していく能力が求められる。

その力が不十分だと家庭学習に格差が生まれてくる。学校は皆が集まっているので、つられて勉強するという教育効果も実は生んでいます。一方オンライン教育というのは家庭環境の違いによってすごい格差が生まれる可能性があるわけです。

そこで問われているのは情報活用能力、自己調整の力があるかどうかです。しかし、その力を育てることについてはあまり議論されずに、結局は家庭に丸投げされて、家庭環境の格差にさらに拍車をかけていることが大きな問題としてあるのではないか。

もう1つ、オンラインと対面のハイブリッドはこれから進んでいくと思います。これは大学教育もそうです。コロナ以前からデジタルテクノロジーは対面授業においても使われていました。しかし、反転授業でタブレットを持って帰り、家で予習・課題をやってきなさいとなると、まさに物理空間的な意味での障壁が生まれて、その択一性が子どもたちの学びや成長に大きな影響を及ぼすことになるはずです。

そうなると、対面での授業の捉え直しがやはり必要だと思うのです。つまり、デジタル教育と対面教育がどのように重なり、どのように違っているのかについて、きちんと考えなければいけないと思うのです。

対面教育が大事なのは、同じ空気を吸って、五感や肌感覚で感じられるからです。デジタルの情報のやり取りだけで十分な学習や発達を保証できるわけではなく、人間の持ち味は、まさに五感を通して学ぶ点にあるはずです。

このような視点からデジタル教育というのはどう捉え直したらいいのでしょうか。

山上 オンラインで同じ空気が吸えるのか、という話ですが、CMSを使った情報発信は、最初は学校から生徒に情報を出すだけだったのが、各学年の工夫で、生徒からも何かメッセージを出せるようにということで、質問の箱を用意し、授業や自習で分からないことの質問を受け付けたんです。

それに教師が答えていたんですが、予想外のことが起きました。生徒の質問に生徒が答え始めたんですね。驚きましたが、雰囲気を上手くつくればオンラインでもそういったやり取りが生じる場合があるのですね。

もう1つ、個人的に50分の授業を45分で終え、最後の5分はオンラインでその授業の授業評価をやっていたことがあります。するととてもよい指摘が来て、6クラスの授業の3クラス目ぐらいでちょっと言い方を変えたほうがいいかな、と僕の授業が変わっていくのです。

そうやって終わりのほうのクラスでは改善されたり、フィードバックができる。1人1台デバイスを持って、普通教室でもネットにつながるのであれば、他の授業でも利用でき、様々な可能性があるかなと考えています。

鹿毛 なるほど。テクノロジーに触発されて、今までなかったようなコミュニケーションが生まれるという効果は確かにありますよね。よくZoomの授業だと質問がチャットなどによく書かれるようになったという話は大学教育で話題になります。

カスタマイズの必要性

中野 「同じ空気が吸えるか」ということを特別支援教育の観点で考えると、障がいのある子供たちは今まで同じ教室にいながら同じ空気を吸えていなかったと言えます。どういうことかと言うと、同じ場にいながら同じ情報が伝わっていなかったのです。ところが今、オンラインになり、すべての子供たちの情報環境が等しく低下し、差が縮まったのではないかと思います。

例えば、対面の授業の際には、視覚障がいの学生だけ、相手の表情が読めませんでした。ところがオンラインで顔を表示せずに授業を受けるようになると、皆、相手の表情が読めないわけです。その結果、視覚障がい者も同じ空気が吸えるようになったわけです。

これは、皆に障害者の苦労を知って欲しいという意味ではありません。オンラインで同じ空気を吸えるように工夫をしていくと、もしかしたら対面でも障がいの有無にかかわらず、同じ空気が吸える状況が作れるのではないかということなのです。

鹿毛 障がいの種類にもよるのかもしれませんが、オンラインだと孤立化してしまい、対面のほうが適応できたという場合はないのですか。

中野 それはあります。対面だと柔軟な対応ができ、先生にすぐ話ができるのはいいところです。その意味ではオンラインと対面のいいところを個人に合わせて上手く組み合わせていく、まさにカスタマイズが必要だと思うのです。今回のことをきっかけにそういう体制が整えられるとすごくいいし、何が共有されていたのかをあらためて考えるきっかけになると思います。

また、家庭学習と能力格差の話ですが、家庭学習で僕が気になる点は、GIGAスクール端末はどこへでも持ち歩くことができないと意味がないということです。障がいのある子供たちに対して、毎年、デジタル教科書・教材の利用実態調査しているのですが、小中高いずれでも、家庭では、学校と比べて、デジタルを使っている割合が高いんです。

その理由は、おそらくデジタルのほうがアクセスしやすいからだと思うんです。そのため、家庭学習における格差をなくすためには、どの家庭でも必ず端末やネットワークがあるような環境整備が必要不可欠だと思います。端末は自由に持ち歩けなかったら意味がないというのは、学びの連続性や主体的な学びという観点からも、学校の中だけで学びが止まるような環境整備は絶対に避けるべきだと思います。

鹿毛 カスタマイズという言葉が出てきました。学校空間だけを別物と捉えない発想の転換が必要ですよね。

中野 そうですね。多様な学びの場を考える必要があると思います。なお、実態調査を実施していて面白いと思うのは、デジタルが便利だと言っている子供たちの半数が、紙も必要だと回答している点です。子供たちは、紙の便利なところと、デジタルの便利なところを知っていて、上手く使い分けているのだと思います。私は2014年から毎年調査しているのですが、紙とデジタルの使い分けの実態はほとんど変わらないです。

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