【特集:デジタル教育の未来】
跡部智 :デジタル教育の光と影──慶應義塾普通部での実践
2021/11/05
2021年、普通部では、全生徒が個人所有のiPadを持参して授業を受ける体制ができた。
本稿では、筆者が赴任した1990年代から今日までの普通部におけるデジタル教育の状況を、メディアを利用した外国語教育が専門の英語教員の立場で概観したい。
古くて新しい学校
普通部は、1898(明治31)年に一貫教育体制が確立して以来120余年、戦後は5年制から3年制に変わったものの、中等教育の本質を追求してきた学校だと思う。
学校とは、家族や外の世界とのやり取りから生徒を切り離し、隔絶された空間で学習に集中させる仕掛けである。
学校教育は系統的で内容限定的、義務的で学校中心の空間に身を置くことが特徴であり、そこが地域教育などと違うところだ。英語の時間に理科のレポートを書いてはいけないし、美術の時間に立ち歩いて作業しても、数学の時間は座って受けることが「正しい」とみなせることもルールの一部だ。こうしたルールは、明示的なものに限らず、生徒同士の振る舞いからできあがっていく暗黙のものまで多々存在する。そして、生徒の行動は教員からの指示だけでコントロールできるものでは決してない。
普通部の根幹にあるルールとして「授業に関係のないものは持ってこない」というのがある。携帯電話やスマホは授業に必要ないので持ち込まない。マンガや雑誌も図書館の蔵書以外はダメである。
組織的で排他的な環境で学習活動に取り組み、固定された学級集団の同じメンバーの中で人間関係を学び、苦労をともにしながら、お互いに影響を与え合い、成長していく。世俗から離れた修行者とまではいかずとも、不要なものは極力そぎ落としたいのだ。
そんな学校で、iPadの話は昨年度に一気に進展した。1、2年生を対象に学校が機種を推薦・指定して、8割以上の家庭が新規に購入することになった。今年度は全生徒が1人1台個人所有の端末を持参するようになり、外の世界がすぐ隣にやってきたのだ。
古くて新しい「デジタル」
情報技術を用いた教育では、IT、ICT、eラーニングなど様々な用語が使われてきた。「デジタル」は数字や桁を意味するdigit の形容詞である。「デジタル」は1970年代なら電卓や最先端の腕時計であった。現在再び「デジタル」という言葉が注目されるのは、DXと略される「デジタル・トランスフォーメーション」という概念、つまり、人々の生活を根底から変え、生活をあらゆる面でより良い方向に変化させるという指向から来ている。非効率な既存のやり方をデジタル技術で置き換えるという広範囲な話である。
文部科学省の推進するGIGAスクール構想(ギガはGlobal and Innovation Gateway for All 全ての児童・生徒のための世界につながる革新的な扉の意)では、1人ひとりに個別最適化され、創造性を育む教育ICT環境の実現を目指し、高速大容量の校内ネットワークの構築や、1人1台の端末整備が計画された。2019年から5年の予定であったものが、コロナ禍でスケジュールが前倒しされたことも追い風になった。この新しい風が学校の根幹部分のルールや常識を変えるインパクトを持っていると気づくのにそれほど時間はかからなかった。
ちなみに、購入費用は標準モデルで4万円から、キーボードとペンを付けて3年間の保証パックを入れたモデルで8万円台まであり、132GBの6万円の機種が多く選ばれた。
2021年11月号
【特集:デジタル教育の未来】
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跡部 智(あとべ さとし)
慶應義塾普通部教諭