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【特集:脱オフィス時代の働き方】
冗長と成長のはざまで

2020/12/07

とはいえ悩ましい生産性の問題

危機下といえる現在、何とか冗長性の確保にメリットがあることを以上に見てきたが、このことが将来に向けて持つインプリケーションは、実に悩ましいのも事実である。

平時におけるRedundancyのイメージが極端に悪いこともさることながら、もともと、大企業は冗長性に関して性善説的に運用してきた過去もある。今年急逝された英国の人類学者デヴィッド・グレーバー氏による『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)は、「意味のない仕事」を社会課題として取り上げ、世界的に管理職の人間ほど意味の感じられない仕事をしており、一方で社会的に価値の大きい仕事を提供する人間ほど低い賃金に甘んじている状況を強烈に問い直している。冗長性を性悪説的にみれば、何1つよさそうなことはない。この感覚は、誰しも否定できない側面があるのではないだろうか。

特に、もとより日本経済は低成長からの脱却という社会課題がある中、今後アフターコロナの時代を迎え、様々な産業は否応なく戦略レベルでの転換を迫られることとなる。一方で、経営資源の冗長化は既存の戦略に基づいて行われている。この2つの要素を運用し続けられるほど、多くの企業の収益性は高くない中で、個別の社員が自ら、成長のあり方と、冗長性の確保を複眼的に行う必要がある。それは、ありふれた表現でいえば、組織のメンバーに当事者意識の高さを求めることをも意味するが、そこまでのコミットメントに耐えられる組織を作ることができるかというのは、大小様々なリーダーへの重い課題といえる。

共感の時代

個人的な話だが、経営陣の一員として「当事者意識」を口にして求めることだけはしたくない、といつも考えている。自分がそれを求められるほど心が離れる天邪鬼というのもあるが、それは戦術やコミュニケーションといったレベルで陶冶できるものではなく、戦略や組織の目的というレベルと、リーダーによる体現からしか伝えられないと考えているからである。

コロナ禍を通じては、その考えをより強固にする瞬間がいくつかあった。例えば筆者の家でも、緊急事態宣言中は2歳児という最も説得の効かない相手と対峙しての共働きという状況が発生し、体感上は生産性が半減する中で、寝かせ付けを終えた深夜のみが、仕事に集中できる状況であった。これにはさすがに参った。ベンチャー企業の経営陣にとり、ハードワークは日常的であるが、それが初めて困難となった中で、常々様々な意思決定権を手にしているからこそ享受できていた、ある種の権力に気付いたのである。それは以前に、1カ月の育休を取得したときにも感じたことでもあった。世の中では時間という平等に与えられた資源を、組織のヒエラルキーに従って不平等に奪われる状況があったりもする。その点に自覚的でありつつも、ちゃんと意思決定ができる、共感のリーダーでもありたいと感じている。

近未来の話をすれば、専門的な知識を要する業務や、正解を求める動作を繰り返す業務は、いずれコンピューター化が行われる社会がすでに始まっている。そのような時代にあっても、最後まで残り続けるとされるのが、矛盾や不安と向き合う仕事である。現在、社会が大きな矛盾や不安と向き合う中で、会社としてもそのような状況に対する課題の解決に提供価値として挑みつつ、マネジメントという側面でもより心を砕いていく必要がある。

18世紀の仏哲学者ヴォルテールは仕事の意味として、貧困のみならず悪徳や退屈などからも人間を救う側面があると述べた。それは、冒頭に述べたように、会社には単なる共助の機構としての価値だけでなく、社会としての役割も委ねられていることを意味している。成長による収益の確保と、良き意味での冗長の両方が求められる中、一個人としても新しい働き方の哲学や軸を作れるよう、この時代を生きていければと考えている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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