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【特集:福澤諭吉と統計学】
福澤先生の統計的思考/山内 慶太

2020/06/05

数量的に現象を捉える姿勢

福澤先生の統計学への理解、「実学」に象徴される統計的思考は、具体的なデータが無いところでも発揮されたことに大きな意味があるが、先生が数量データをどう扱ったかも見てみたい。

先生は元々、数量的な情報を積極的に集め、具体的に理解しようとする人であった。例えば文久2年の遣欧使節で各国の事情を探索した際の手帳には多数の数字が縦に横にと書き留められている。

また、著作においても、その国の事情を説明する時に統計資料を用いてより具体的にわかりやすく説明するだけでなく、議論を進める為に比較して示すこともしばしばあった。時事新報の社説を見ても、「肉食せざるべからず」(明治15年12月16日)では、日本全国の牛の屠殺頭数から1人当たりの牛肉消費量を推計し、更に数字の無い豚、猪、羊等は多めに見積もって加えた上で、欧米諸国と比較して、日本が格段に少ないことを示している。「国財論」(16年6月23日)では、明治6年から15年の間の各種の酒の石高を表にして、清酒の需要は増税によって一時的に減少するが翌年には元に戻ることを実証している。

このように、統計データを用いて、比較をしたり、変化を見たり、あるいはその要因を考えるというような思考が日常からあったことが窺われる。

具体的な例として、『民情一新』(明治12年刊行)を見てみたい。これは、1800年代の「近時の文明」(モデルン・シウヰリジエーションとも併記している)は、蒸気の文明であり、それによる蒸気船車、電信、印刷、郵便という「文明の利器」によって世界各国の人民の心情つまり「民情」が「一新」したことを論じたものである。

この中で、その利器によって「聞見(ぶんけん)」(「インフヲルメーション」とも併記している)つまり情報が瞬時に広がる時代になったことを説明し、英国の状況について「人の聞見を博(ひろ)くする」新聞の発行部数を示した上で「人の聞見を交易する」郵便書簡の数が、1867年には7億8千万余で、人口1人あたり25通と盛んであること、1874年には9億6千7百万と増加していると示している。

この頃の先生は、文明の進歩に不可欠な要素として、日本の状況も統計資料を基に対比して見ていたようで、前年に刊行された『通俗民権論』でも、「人智進歩の度を測量せんには、その地方に郵便物の多寡を見ても1班を知るべし」と、明治9年からの1年間の郵便物の数を示している。即ち、東京本局が15,103,000、大阪局2,788,000、京都局1,461,000、愛知965,000、青森257,000と列記し、更に愛知、青森は人口で割って、1人当たり年間0.8通、0.55通と少ないことを示している。

『民情一新』では更に、情報の伝達が緩慢であった時代の人民は蝶で言えば蛹のようなもので政府も容易に御することが出来た。しかし「思想通達の利器」を得た人民は羽翼をつけた蝶のようなもので、容易に御することは出来ない。そこで専制抑圧の手段をとる国が出て来るがそのような旧套では奏効しないと指摘し、英国の「平穏の間に政権を受授」、「政権を常に陳新交代」する形態を紹介し国会の必要を述べている。

ここでも、1784年から1879年の間の首相の「就職の日」、「在職の時限」、「執権(首相)の人名」の一覧表を掲載した上で、「右九十六年の間、執権の交代二十六代、在職の時限短きものは百二十一日、長きものは十七年八十四日、五年以上の物は(略)七名、十年以上の者は二名のみ。又、この九十六年を二十六代に平均すれば、一代在職の時限、三年六分九厘余」で「その交代却(かえっ)て速(すみやか)なるを見るべし」と示した。ここに、平均を算出するだけでなく、最大値、最小値をはじめ在職期間の分布も丁寧に記していることも注目すべきであろう。加えて、続けて日本においても徳川政府で、御老中御勝手方等の在職年数も表を作成して平均と分布を示し、1人で永年持続する地位でないことを説明しているのも面白い。このように、自ら積極的にデータを集め、分布を見たり、対比するという思考を福澤先生が持っていたことがよくわかる。

このような思考は晩年まで衰えなかった。例えば、時事新報社説「宗教上に統計の必要」(明治31年4月24日)は、仏教の状況は「法主の品行」の問題が著しく、このままでは維持の望みはないと改革の必要を唱えた上で、「その改革に関して我輩の一案は、僧侶の黜陟(ちゅっちょく)を行うに統計の数字に依てその勤惰能不能を判断することなり」と主張した。戸数と寺院の数、人口と僧侶の数と割合、僧侶の説教の時間、1年間の警察犯罪の数を見て僧侶の評価をすべきだというのである。僧侶の評価を、構造(僧侶の人口比)、過程(説教の時間)、結果(犯罪数)でと、今日、病院等のサービスの質の評価でよく使われる3要素に注目した提案は当時としては斬新であったに違いない。

「諸科推究の実学」

先生は、『文明論之概略』以降、統計的思考を正面から述べることは余りなかった。しかし、その思いが吐露されたのが、明治29年刊行の『福翁百話』である。

86話で「この統計全体の思想なき人は共に文明の事を語るに足らざるなり」とまで語った福澤は、34話でも、「我輩の多年唱導する所は文明の実学」であるとして、「数理の実を計(かぞ)えて細大を解剖し」、「疑(うたがい)を発してその本(もと)を究めん」とする文明の特質に発する「諸科推究の実学」による、蒸気や電気をはじめ科学技術上の成果は数え切れないと述べた。そして、科学技術を離れて無形の領域、即ち、政治、法律、経済等を見ても「その進歩発達は数理の賜(たまもの)に非(あら)ざるはなし。西洋諸国の人が夙(つと)に統計の法を重んじ、人間万事の運動を視察するに統計の実数を利用して、以て最大多数の最大幸福を謀(はか)るが如き、亦(また)以てその思想の所在を窺うに足るべし」と語った。最後に次の一節を紹介したい。

「その汽車汽船の動く所以(ゆえん)を学理上に説き、郵便の始末に由りて統計学の原則を示し、電信の実際に証してエレキトルの妙用を語る時は、一切万事、学理の外に在るものを見ず。独(ひと)り文明流の新事物のみに限らず、眼前にある一木一石、一紙一毫の微(び)も、之(これ)を真理原則に照らしてその性質を説きその効用を明(あきらか)にし、次第々々にその理を推究して玄妙に入り、玄の又玄なるものに達すれば、人間の方寸に宇宙を包羅(ほうら)して(略)」(70話)

『民情一新』で郵便の事情を分析してから17年、62歳の先生は、科学技術には理論があるのと同様、社会の現象や効用も統計的思考で推究し、その及ぶ範囲を拡げて期待を抱いていたのである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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