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【特集:障害と社会】
ノーマライゼーションと心のバリアフリー

2018/12/05

  • 中野 泰志(なかの やすし)

    慶應義塾大学経済学部教授 専門分野/知覚心理学・障害児者心理学

1.はじめに:「心のバリア」は「心」の中ではなく「社会」に現れる

「心のバリア」という言葉を聞くと、多くの人が、私たち一人ひとりの「心」の中にある、障害のある人達に対する「偏見」や「差別」や「誤解」を思い浮かべるのではないだろうか。また、障害のある人は「かわいそう」なので、守ってあげなければならないと考えることを「心のバリア」だと考える人もいるかもしれない。確かに、障害のある人に差別や偏見をもったり、同情したり、自分のほうが優れていると考えたりすることは「心のバリア」のひとつである。そして、これらの「心のバリア」をなくすためには、一人ひとりが障害のある人の困難を正しく理解し、「優しい気持ち」で、自分のできることを実行することは大切である。しかし、「心のバリア」を、個々人の「心」の中の理解や優しさの不足に限定して考えると、問題の本質を見失ってしまう。障害のある人達が様々なバリア(障壁)に遭遇せざるを得ないという問題の根源は、障害のある人達のことを考慮せずに構築された「社会のあり方」なのである。障害のある人達も社会の一員であることを認めなかったり、気づかなかったり、気づいていても行動を起こさなかったりしたことが「心のバリア」の源泉であり、個々人の「心」の中だけでなく、「社会」のあちこちに様々なバリアとして現れているのである。以下、「ノーマライゼーション」の理念と関連させながら、「心のバリアフリー」をどう捉える必要があるかを述べる。

2.ノーマライゼーションとは?

ノーマライゼーション(normalization)は、デンマークの社会省で知的障害のある人達の福祉行政を推進し、「ノーマライゼーションの父」と呼ばれているニルス・エリク・バンク–ミケルセン(Neils Erik Bank-Mikkelsen)氏が提唱した概念である。

1950年当時、デンマークの知的障害のある人達は、都市から離れた閉鎖的な施設に収容され、大部屋で集団生活をさせられ、持ち物や行動等も制限され、優生手術を受けさせられるという生活を余儀なくされていた。バンク–ミケルセンは、この実態に心を痛め、知的障害のある人達の「親の会」の活動に共鳴して、彼らのスローガンが国の政策になるように尽力した。そして、ノーマライゼーションという言葉が世界で初めて用いられた法律(1959年法)を誕生させた。

バンク–ミケルセンは、ノーマライゼーションの原理を「その目標は、知的障害者が可能な限りノーマルに生活できるようにすることだ」と述べている。バンク–ミケルセンと親交のあった花村春樹は、彼のノーマライゼーションの思想の基本を、「人々に自由、平等、博愛、連携を呼び掛けるもの」とし、その目的を『「ノーマリゼーションの父」N・E・バンク–ミケルセン──その生涯と思想』で以下のように紹介している。

「障害のある人ひとりひとりの人権を認め、取り巻いている環境条件を変えることによって、生活状況を、障害のない人の生活と可能なかぎり同じにして、『共に生きる社会』を実現しようとするもの」

障害のある人達が直面している課題を「人権」の問題と位置付け、「環境」を変えるという方法で、障害の有無や重さにかかわらず、誰もが「ノーマル」に生きることが出来る「共生社会」を実現するという考え方は、現代の福祉思想の基礎となった。

バンク–ミケルセンが提唱したノーマライゼーションの原理を体系化し、発展させたのは、1969年に『ノーマライゼーションの原理』を著したスウェーデンのベンクト・ニィリエ(Bengt Nirje)であった。ニィリエは、ノーマライゼーションの原理を以下のように説明している。

「ノーマライゼーションの原理は、知的障害やその他の障害をもつ全ての人が、彼らがいる地域社会や文化の中でごく普通の生活環境や生活方法にできる限り近い、もしくは全く同じ生活形態や毎日の生活状況を得られるように、権利を行使するということを意味している」

ノーマライゼーションの思想が国際的に公式に用いられるようになったのは、1971年の「国連の知的障害者の権利宣言」で、1975年の「国連障害者権利宣言」でも使われ、世界に広がっていった。

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