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【特集:障害と社会】
パラスポーツが変える社会──ブラインドサッカーとの関わりを通して

2018/12/05

  • 牛島 利明(うしじま としあき)

    慶應義塾大学商学部教授、特定非営利活動法人日本ブラインドサッカー協会副理事長

2020東京パラリンピックに向けて

2020年が近づくにつれ、パラリンピックへの注目度は少しずつ高まってきているように感じます。しかし、一部の競技を除けばまだまだ認知度は低く、パラスポーツ(障害者スポーツ)に関心を持つ人はあくまで少数派です。関係者の努力にもかかわらず、依然としてパラリンピックはオリンピックと同等に並び立つ存在とは言えない状況にあります。

ただし、東京パラリンピックに向けたキャンペーンやメディアでの取り上げられ方は、次第に変化が出てきていることも事実です。これまで、パラスポーツは競技としての魅力というより、「障害を乗り越えて頑張る感動物語」という文脈で取り上げられることが多かったように思います。しかし、最近では競技そのものの魅力に注目し、スポーツとしての強さ、激しさ、巧みさといった側面が強調されるようになってきています。

このような変化が生じたのは、2012年のロンドンパラリンピックを契機とする世界的な潮流の影響があると考えられます。ロンドンパラリンピックは多くの観衆がスタジアムを埋め、大きな成功を収めた大会として評価されていますが、その成功の背景には、パラリンピックとパラスポーツのイメージを転換するキャンペーン戦略がありました。その象徴とも言えるのが、イギリスの放送局チャンネル4が制作した“Meet The Superhumans”というCMです。このCMでは、障害者アスリートたちの精悍で緊張感あふれる雰囲気や、練習・試合のダイナミックなシーンを散りばめて強調するとともに、交通事故や地雷の爆発、胎児エコー検査の映像を挟み込むことで、誰しもが障害を負う可能性と無縁ではないことを想起させます。このCMは、権威ある国際広告賞であるカンヌライオンズのフィルムクラフト部門でグランプリを受賞するなど、高い評価を得てロンドン以降のパラリンピックのキャンペーンにも大きな影響を与えました。

ブラインドサッカーとは

競技性をより強くアピールする世界的な潮流の中で広く認知されるようになった競技の1つとして、現在パラリンピック唯一のサッカー種目であるブラインドサッカー(football five a side:5人制サッカー)があります。サッカーというメジャースポーツを源流とすることに加え、プレーの激しさやスピード感、技術の巧みさを感じるのに適した競技であることが、その認知度向上にも寄与していると考えられます。

ブラインドサッカーは視覚障害者のスポーツとして生まれ、日本では2002年から普及が始まりました。チームはフィールドプレイヤー4名と、晴眼者(目の見える人)もしくは弱視者のゴールキーパーで構成され、フィールドプレイヤーはアイマスクを装着し、視覚を完全に閉じた状態でプレーするのが特徴です。ピッチはフットサルと同じ大きさで、転がると内部に仕掛けられた金属片がチャリチャリと鳴る特別なボールを使用し、選手はその音を頼りにボールの位置を把握します。

また、ガイドと呼ばれる声出し役が相手のゴール裏に立ち、攻撃の際、ゴールや相手チーム選手の位置や距離を伝え、味方のゴールキーパーと監督がことばで戦況や攻守の指示を伝える役割を担います。つまり、ブラインドサッカーは、視覚を閉ざした4人のフィールドプレイヤーが聴覚による空間認知とコミュニケーションを頼りにプレーするサッカーということになります。

フィールドプレイヤーとして出場できるのは、国際試合では全盲(B1クラス)の選手のみですが、国内試合ではアイマスクを装着した晴眼者や弱視者も大会ルールに規定された人数まで出場可能です。

ほとんどの視覚障害者のスポーツは、敵味方の選手が動く範囲を分け、選手同士の接触や衝突による怪我を防ぐルール上の工夫が取り入れられています。ブラインドサッカーの場合も、守備に入る選手は「ボイ!」という声を出して自分の位置を明らかにしなければならないというルールが定められています。しかし、通常のサッカーやフットサル同様、しばしば選手同士がボールを奪い合う激しい接触プレーが見られます。また、視覚を閉ざした状態での巧みなドリブルやパス、シュートは、「障害に配慮したリハビリテーションスポーツ」というイメージを覆し、初めて観戦する人々に新鮮な驚きを与えます。ブラインドサッカーには、ふだん視覚障害者と関わりのない人たちが、活動的なスポーツとは無縁と思い込みがちな視覚障害に対するイメージを変えていくという面があるのです。

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